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「世界霊魂」 アニマ・ムンディとは

 錬金術ではさかんに、アニマなる言葉が出てきますが、一般にはユング心理学の用語としての方が知名度が高いと思います。ユング心理学は有名ですので、この言葉の意味はご存知の方も多いと思いますが、具体的には男性の心理における、女性の姿に投影された己自身の心の分身のことを指します。

アニマの語源は「魂」を指しますが、錬金術ではこれが数百年前から女性の姿で描かれていたことも、ユングがこの言葉をこの意味にあてた理由の一つでしょう。アニマ・ムンディは「世界霊魂」又は「宇宙霊魂」などと訳されます。そして錬金術を心理学と同じと考えた場合、ダイレクトにこのアニマ・ムンディはユング心理学におけるアニマまたは女性の持つ場合はアニムスと一致すると考えて良いでしょう。
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ちなみに、ソクラテスは「ダイモーン(神霊)を信ずるもの」として告発されましたが、彼にもこの神秘の女性を知っていたと一部で言われています。(これについては、いずれ別に書きましょう。)次にダンテの「神曲」におけるベアトリーチェはダンテを神の世界に導きますが、文字通り彼女は彼を「案内」します。

ゲーテの「ファウスト」にも最後の一説に謎めいた言葉「永遠に女性なる者、我らを牽きて上らしむ」があり、確か後書きだったと記憶していますが、その著者が心理学に深いらしく「この一文はフロイト心理学と関係がある」ような書き方をしていました。これもユング心理学的に言えばアニマになります。

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つまり心の伴侶であるアニマまたはアニムスは、人間の心の変化・成長・革命に関係し、その変化を導く働きがあるのですが、ちなみにニーチェは「私はゲーテの言う『永遠に女性なるもの』の秘密を暴いた最初の人間かもしれない」と言っています。さらに「男性は『永遠の女性』を信じるが、女性については『永遠の男性』を信じているのだ」と、ユングのアニマ・アニムス論を先取りすることを述べています。

フロイトが自分の研究がニーチェの剽窃と評価されることを恐れたことは有名ですが、つまりフロイト心理学はニーチェ哲学と非常に近接しており、ユング心理学とも骨格的に大きく変わる物ではありません。アニマの意味する範疇は広く、秋葉原系アニメの美少女キャラクタも勿論、一つのアニマの現れですが、これは多く恋愛・性欲の対象ですので「低次アニマ」と表現して良い物で、この段階では心の成長に関わる機能は殆ど無いと思います。

これがあるきっかけにより、(私の場合は完全に一種の偶然ですが)自分の心の変容が開始するとともに自分が投影するアニマも成長し、より凛々しく、高貴に、そして恐ろしく厳しく成長します。非常に高次に達したアニマはギリシアの女神アテナのようになると言われていますが、私の経験から言えば「男性と見まごうごとき勇ましい女性」に進化しました。

簡単に言ってしまえば、自分の自我が成長すると、無意識としての伴侶のアニマも成長し、まるで2人で階段を上って行くように感じます。「神曲」にもこのような表現がありますが、非常に多くの錬金術絵画がそれを描いています。別の言い方をしますと、最初は可愛らしい愛でるべきアニマ(性欲の対象)であるのですが、次第に本人を「告発するアニマ」となり最後には、アニマ対自我の命を賭けた一騎打ちのような様相になります。

中高校生の時は理解できませんでしたが、プラトンの言葉「エロス(美しい肉体への愛)からフィロソフィア(愛智)へ」にも、おそらくこの意味が含まれているのでしょう。一部のキリスト教でYHWHの妻をソフィア(智)と呼ぶことがありますが、まさにそのような「智」を愛人とするような状態になり、はっきり言いますが、この段階のアニマは外見が美しくとも性欲の対象として絶対に見ないような「凄まじく厳格な人」のようなものになります。

実際、月と太陽が馬上で一騎打ちするような図や、雄雌のライオンが噛みつき合うような図が錬金術にありますが、正にこのように厳しいものであり、「アニマが勝つか自我が勝つか」という状況になります。このようなことで抜きつ抜かれつつ精神の階段を上って行き、上り切る時、終に自我は「永遠」と遭遇することになるのですが、これがゲーテの愛した「永遠」でありニーチェの言う「永遠回帰」の根拠になっていると考えています。

ユングはこの「そら恐ろしい宇宙のようなもの」を「自己(セルフ)」と呼びましたが、この時言うならば一種の全能感「宇宙と一体化したような気分」になります。(この時が自我インフレーションの極限状態です。)ユング心理学ではこの自我インフレーションが極大になった状態を「エナンティオドロミー」と呼びます。

ちなみにニーチェはユングより先にセルフという用語を使用しており、また「ツァラトゥストラ」の中で自己(セルフ)を「偉大なる天体=太陽」に喩えています。ニーチェの永遠回帰(永劫回帰)は、色々と文章的に小難しく解釈する哲学関係者がいますが私はこれは、一つの精神的変容の究極段階に達した状態と深い関係があるものと考えており、この、まるで時間を静止したような、「永遠(∞)=無(ゼロ)」というべき非常に仏教的境地と関係が深いと思います。

これがニーチェが「西洋の仏陀」と呼ばれる理由なのでしょう。しかしこれは文章に書いただけでは理解不可能であり、実際に体験しないと分からないのですが、経験してみると正にこのようにしか言えないものです。

ファウストは「止まれ、あなた(世界=全て)は美しい。」の一言を吐き、賭けで悪魔に負けますが、この言葉は、正に全ての世界と時間が停止し見事に美しい、完全で永遠なる世界への賛美であると思います。ニーチェは色々な先人にケチをつけることで有名ですが、彼はゲーテは絶賛していたと聞きます。


<プライマルジェム>
  プライマルジェムは、『至上の結晶(プライマルなジェム)』ですが、『プリマ(第一の)』が語源がここから来ているように感じます。こうなってくると、錬金術的にはプリママテリア(第一原質もしくは第一質料:prima-materiaもしくはprote-hyle)を思い出さずにはおれません。プリママテリアは賢者の石の初期材料である事から第一の物質みたいな感じで呼ばれております。

錬金術概念の第一の物といえば、世界霊魂。この世界霊魂(アニマムンディ)はいろんな物質の根元(イリアトでいえばマナ)みたいなもので、アニマムンディを手にできれば世界の全てを手にしたようなものだと考えられます。このアニマムンディは、世界の母体であり、この母体は、宇宙の全ての物質を含めた原材料の元となっている。

(伝統的)錬金術で言う「物質界」とは科学的な物質とは意味が違います。錬金術では「物質」と「精神」を2つの両極と考え、この世に存在するものはこの両極の間に位置し、その間を移動するものと考えます。すなわち「物質」が存在するためにはなんらかの「精神」的なものが必要であり、また「精神」は「物質」的な支えが必要という具合にこの両者は本質としては同じと見なします。

さて、(伝統的)錬金術の教義を一言で言えば、「物質を始め、この世に存在するものは唯一神を起源とする世界霊魂(アニマ・ムンディ)によって存在しかつ動かされている。神が世界霊魂によって物質という衣を与える事により世界霊魂の集合体となる。すなわちすべての被創造物は多様な形はとっていても、本質は唯一つである。それゆえ天上界と地上界には本質的な違いはなく同じ仕組みでできている。

神が世界創造で行った事と同じ原理は実験室でも-規模ははるかに小さくても-実現できる。
そして神が創造した世界の原理を肌で感じ、理解するのが目的である。現代科学が自然を理解し認識するのは自然を理解し、利用するのが目的であるが錬金術では認識し自然を超越して神に近づくために実験を利用する。」

そして「世界霊魂」を手に入れれば(すべての物質の根源は同じですから)自由自在に物質の変成ができる(たとえば卑金属を金に変えるのはその一例にすぎません)のみならず、病気を治し永遠の命すら手に入れる事ができるわけです。

したがって(伝統的)錬金術のテーマはこの「世界霊魂」を手に入れる方法になるわけです。
この世界霊魂が極度に純粋になると「石」の形をとると言われこれを「賢者の石」と呼びました。すなわち(伝統的)錬金術とは「賢者の石」を捜す(または作り出す)実践の道と言えるわけです。

「神」の被創造物は多様な形をとってはいますがそこにはすべて「神」がいます。人間もまた「神」の被創造物であるが故に当然我々の中にも「神」がいます。しかし物質界で生きている宿命(物質界での穢れ&錆)で「エレウシスの密儀」で書いた事を書き直せば、「生きている間に無知であれば生きている間も、そして死んでからも決して内なる神に気がつく事はない」


錬金術の目的は、「賢者の石」を生成すること
  錬金術は金を精製するのが目的ではなく、完全な金「賢者の石」を作るのが目的とされる場合が多い。賢者の石自体が不老不死の薬として扱われたり、他の金属と混ぜることにより金が精製できるといった話があるが、錬金術が盛んな時代にこの手の詐欺が多かったためとも説明できるため具体的なことは不明だが、賢者の石が精製できれば錬金術は成功と言える。

中国などでは不老不死の薬、「仙丹」を作る「仙丹術」が錬金術にあたると思われる。賢者の石の具体的な色、形、外見は不明。文献により「金のような石」、「外見のつまらない石」「ルビーのような赤く透き通り液化する石」、「赤い粉末」などいろいろあり、あたりまえだが確証のある物はない。

具体的な錬金術(すなわち賢者の石の精製方法は文献により二通りに分けられる。

◆一つには、古来の三大元素(三基本素)とされる「水銀」「硫黄」「塩」から、純粋な金「賢者の石」を作る方法。
(ただし、ここでいう三種類の物質は、現在の科学で一般にいわれる硫黄(S)水銀(Hg)塩(NaCl)ではなく、硫黄 [Sulfur]能動的特性(男性)可燃性、金属の腐食、 魂、意志、生活水銀 [Mercury]受動的特性(女性)輝き、揮発性、可溶性、可鍛性、霊、 感情、塩、[Solt] 結合、硫黄と水銀を結び付ける、肉体、無気力とされ、全ての物質を形成する要素であるとされる場合が多く、科学的に物質そのものを使用することは誤りでされるとされる場合が多い。

◆二つには、精製方法として「プリマ・マテリア」つまり第一(最初)の物質から、金を生成するという方法。この物質の選択を誤ったために失敗したという推測も多い。一般にはどこにでもあるが誰も気にしない物、つまらない価値の無い物といわれ、粘土、灰、糞尿、馬糞、土、鉛などが有力であるとされた。中でも鉛が重さ、価値の低さ、反応の鈍さから特に有力視された。この方法で具体的に精製する手順は第一に、この「プリマ・マテリア」の正しい選択。そして、文献によってかなり差があるのだが大体は、

◆第一過程、発芽(ゲンミナティオ)
◆第二過程、形成(フルマティオ)
◆第三過程、結合(コンジュクティオ)

◆第四過程、黒化(ニグレド)
◆第五過程、白化(スペル)
◆第六過程、黄化(?)

◆第七過程、赤化(ルペド)
◆第八過程、投企(プロジェクティオ)
◆第九過程、輪廻(ロタティオン)となる。

黒化(ニグレド)は「燃焼の後の黒き物」「物質の死」などを示し、赤化(ルペド)は「物質の生き返り」を示すという。尚、赤化の前に輝きを放つという文献、赤化で完成という文献もある。投企(プロジェクティオ)は文献によっては最終段階とされる場合もある。

その他に二基本素、全ての物は本質(エイドス)と形相(ヒュレー)により、構成されるという考え方からこれらを完全に分離し、形相(ヒュレー)を思い通りに変更(操作)するのが錬金術で物質から形相(ヒュレー)を取り除いた完全な物質(完全な金?)が賢者の石でされるという方法。

さらに、二基本素、三基本素と考え方が似ている四大元素という考え方。つまり全ての物質は、

◆火の要素(精霊サラマンダー・爬虫類)
◆水の要素(精霊ウインディーネ・水銀)
◆風の要素(精霊シルフ・中和剤)
◆土の要素(精霊ノーム・憂鬱質)で形成され、
◆エーテル?つまり光・空気の要素(精霊ウィル=オ=ウィスプ・霊的物質)

を結び付けるものとして使用し賢者の石を精製する方法。ここで示すエーテルとは現在科学でいわれるエーテル基をもつ物質のエーテルではなく錬金術の用語のエーテルとみられる。さらに中国では五大元素(火・水・風・木・金)の考え方もあるが、具体的な錬金術との関連が確認できなかったためここでは割愛する。
by sigma8jp | 2008-12-22 16:28 | 錬金術の奥義 | Comments(7)
Commented by unknown at 2017-12-09 12:09 x
ブログを拝見しました。「永遠に女性なるもの」を体験された方が他にもいたことに感慨深くしました。ここではその再現性には触れてはいませんが,私は万人が同様の経験ができれば,良いと考える者です。確かにこれを経験するとあなたが仰るようにニーチェなど考え方に近くなるのがわかります。しかし,ニーチェには愛がないのです。彼の考察には愛が無い。そこが私には悲しく思えるのです。
Commented by unknown at 2017-12-09 14:54 x
連投ごめんなさい。言い忘れたことがあります。いわゆる神秘体験での感覚は2年ほど続きましたが,今は通常モードです。その時は,仏教経典の意味や世界の仕組みに,直感的な理解がありました。理解というと論理的な理解のように感じられますが,直感的な理解です。同感するといった方がいいかな。そして象徴的な夢を見続けました。あなたもそうでしたか。とても興味があるので,差し障りのない程度に,体験内容をおしらせください。同じ経験がある人はいないと思っていました。
Commented by sigma8jp at 2017-12-10 00:15
(管理人から)
女性なるものの感覚的な神秘体験をされたのですね。
確かに、アニマ・ムンディというと、ユング心理学でいうアニマ以上の大いなるアニマとでも言ったらいいのかもしれません。
どちらかと言うと、グレート・マザーに近いかもしれません。
このアニマムンディの世界に繋がれると、例えば人類愛や地球の大自然への親近感がグーンと増し、個人の意識を超えた境地に辿り着くことがあります。
私の体験から、言えることなのですが、この瞬間に”魂が目覚める”ことになります。よく仏教などにも、仏の”浄菩提心”とか、”発心”なども、その一例と言えます。もともと仏教の世界観は、女性的な大地の原理によって、法が説かれているところがあり、如来蔵的な意識が正に、アニマ・ムンディそのものであるからです。例えば、真言密教の曼荼羅には、二種類の曼荼羅があって、男性原理である金剛界曼荼羅と、女性原理である胎蔵界曼荼羅があります。男性原理である金剛界は、字のごとく永遠なる輝きである金剛石=ダイヤモンド(錬金術の「賢者の石」)としての不滅性を表していて、一方の女性原理である胎蔵界は、地球の母胎に宿る子供(平等に人類に愛を注ぎ育む)母親の永遠性を表していて、両者は不二であると言います。このような観点から見ると、ニーチェなどは金剛界的だと言えるのではないでしょうか。魂の成長には、これら二つの曼荼羅に見る父親の智慧と母親の理法という意識が必要だとわかります。これらは、左右の車輪のごとく補い合い、成長するものなのです。智慧とは原理を理解することを言い、理法とは、物事の道理をわきまえることを言います。子供の教育にも、父親的躾けと母親的な子供への理解と道理を聞き入れる接し方がカギを握ります。
Commented by unknown at 2017-12-10 08:53 x
管理人様,ありがとうございます。
当初,自身の経験の意味がわかりませんでした。それで,神秘主義や哲学など,色んなものを読んで見ましたが,正確に定義出来ないまま,時ばかりが過ぎ去って行きました。今ではそれを「愛」と呼ぶことにしています。男女の愛を超えたもの。個人的な経験に裏打ちされない,普遍の法則,力として。
私は象徴的な夢を見続けていましたが,その1つのエピソードにこの様なストーリーがあります。
「私は身の丈ほどある草薮の中を,掻き分けながら進んでいた。ある瞬間,視界が開け,広い空き地に出た。そこには白と赤が印象的な巫女が,御幣を振って,私に向かう道を示す。その道の先には,一人で歩いていたと思っていたが,もう一人の友人の背中が見える。二人が進む道には,万人が喜びに浴する山があると言う。いつの間にか,登山道の入り口に,着いた。赤い大きな鳥居が見える。天気が良く。青空に山の稜線が見える。山には木が一本も生えていない。その山の頂上から降りてきた人達の笑顔が見える。」,私はあの体験以来,大きな暗示にかかっています。それは運命という言葉が虚しく感じるほど,必然なのか,分かりません。あなたの生活は大きな暗示に支配されていませんか。
Commented by sigma8jp at 2017-12-12 02:08
象徴的な夢を見続けたということは、あなた自身の魂のルーツを示す夢だと判断されます。このような夢を見続けることによって、魂の目覚めを触発されることが多く、あなた自身も触発されたのだと理解されたのですね。おそらくは、そのルーツに属しているアストラル界からの働きによって、かつての同胞が夢を見せたのだと思います。このような巫女星から、この地球に降りてきたワンダラーが大勢いると聞いております。巫女のルーツを持っている人は、たいがい日本昔話に出てくる ”鶴の恩返し” など、プレアデス系種族が多く、ギリシャ神話などに登場する ”オリオンと七人の姫” や中国などの物語では、”西王母と七人の娘” が有名です。以前に、私の夢に出てきた、鶴の恰好をした女性たちのことを ”鶴族” と呼んでいました。そのルーツの中心星を調べたところ「北極星の紫微天宮」だと分かり、そして地上に降臨するための拠点となる神社は「天河神社」だと分かりました。これと関係が深い暗示を残した映画で、昨年「君の名は」が大ヒットしました。巷では「瀬織津姫」がブームになり、瀬織津姫の神社を参拝する人が増えたと言います。私はこれらの背景には、天の時が到来した「暗示」だと理解しております。
Commented by unknown at 2017-12-16 18:23 x
 私が今まで考えてきたことを伝えます。ご存知かもしれませんが,ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」という本があります。人類は3000年前には自我意識がなかったという仮説を示した本です。私はこの本に出会って,無意識と表層意識の関係について,自分なりに考えて見ました。
 現在,我々の無意識は眠っているのではなく,現に働いているが,無意識のイメージは時間感覚がない為に,とても混乱したイメージとなり,統合失調症の症状に似た発現の仕方をしている。
 無意識と表層意識の間のコミュニケーションは,表象を用いていたが,現在はほとんど使えない状況にある。この為,初期の意識状態からすでに2000年以上も経過しており,錬金術などのイメージ言語の有効性はほとんど無い。この為,錬金術の書籍などの表象言語体系は読み解くことができない。唯一,ユングの様に心理学の知識を総動員して論理的に読むことはできるが,一般人には,ほとんど難しい。
 無意識との対話の方法は,「永遠に女性なるもの」を使うしかない。その手段は論理でも祈りでもなく,感情を使うこと以外にない。感情の的確なコントロールと解放を利用するしかない。
 もし,無意識との再統合がこの世界の方向性であるならば,私たちは必ず成功するはずです。そう思っています。だから,現実の世界に戻ってきてください。そうしないとこの世界を救えないからです。私は,27年間も,同じ体験を持つ人を探してきたのですから。
Commented by sigma8jp at 2017-12-22 01:29
確かに、無意識と表層意識の間のコミュニケーションは,現在はほとんど使えない状態にあると言えるかもしれません。というのも,現代人の殆どが潜在意識をはっきり知覚する能力がありません。これは、日常の出来事に対して、多くは自我意識を先行しているため、潜在意識に対しては殆どが無意識状態に陥っており、いわば眠りに近い意識状態なのです。そのため、アニマムンディ―には人類は永い間、接触できない状態にあります。正直、アニマムンディには、無秩序の領域と秩序領域の二重構造から構成されています。無秩序の領域とは、満たされない感情が渦巻く、未処理のまま残された領域であり、秩序的な領域とは、処理することが出来た感情で無意識の原型として収まっている領域です。無意識的な感情とは、絶えずポジ・ネガの感情が去来する領域なので、理想的な感情の処理方法としては、ネガをポジに変換することにあります。その能力に長けた存在だけが、アニマムンディ―に自由に接触できる訳です。そのように長けた存在は、過去の出来事のすべてをデータベースとして活用しており、人類の過去や未来の出来事、更には物事の展開をコントロールする能力が備わっているため運命を支配できます。
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