【 世界論,反宇宙的二元論 】
こうして、人間の三元構成論は、実は、グノーシス主義における「全体世界論」における「三世界構造論」に対応します。以上までの説明で、グノーシス主義は、悪に満ちる「地上世界=この宇宙」と、悪より解放された、榮光の知られざる至高神の支配する「プレーローマ」または「オグドアス・アイオーン界」の二元構造になっていることが明らかになっています。 このように、「悪の暗黒宇宙」と「真の本来的光明永遠世界」を対比させ、「この悪の宇宙」を否定する思想を、「グノーシス主義」の「反宇宙的二元論」と称し、これは、或る思想・信仰が、グノーシス主義であるかどうかの一つの判定「規準」です。そして、このような世界全体について云える「反宇宙的二元論」構造が、実は、人間の存在においても、構造として備わっていることが分かります。つまり、「悪の宇宙」に属する闇の「肉」と、「プレーローマ」に属する「光の霊」の二元対立構造がそれです。 ところで、上の説明で、何故「心魂(プシュケー)」を、「悪の宇宙」に属すると、述べなかったのか、疑問に感じられる方もおられるでしょう。それは、実は、人間の「心魂(しんこん・たましい)」と云うのは、非常に複雑と云うか、微妙な位置にあり、それはデーミウルゴスが創造したものです。 しかし、「霊的要素」 「神的性質」も僅かに帯びており、グノーシス主義の派によって解釈が異なりますが、或る条件においては、「心魂」の救済が可能であり、「たましい」は、「霊」と共に、プレーローマの神的永遠世界へと帰還して行く可能性が認められているからです。「心魂」は、「境界的存在要素」であり、人間の三元構成論が、「霊・心魂・肉」であるならば、これは、「全体世界」の三階梯構造に丁度対応しているとも云えるのです。 先に少し述べましたが、グノーシス主義の「全体世界構造」は、「悪の暗黒宇宙=地上的世界=質料的・物質的世界」 対 「光と善の宇宙=天上的超越世界=形相的・霊的世界」の二元論が基本にあり、これを、グノーシス主義の「反宇宙的二元論」構造と呼びました。 しかし、もう少し詳細にグノーシス主義諸派の世界論を眺めると、もう一つ、「地上世界=悪の宇宙」と「天上世界=霊の永遠界」の中間に、「境界的世界」と云うものが設定されているのが普通です。これは、「創造神話」において通常語られるのですが、プレーローマ永遠界における「或る事件」とは何なのか、と云う問題にも通じます。 そもそも、この世=悪の宇宙が創造される契機となったのは、最初に述べたように、「知られざる至高神」の永遠的「流出」の過程において生じた「或る超宇宙的事件」に起源があるとされます。この「事件」は、幾つかのヘレニク・グノーシス主義の派の神話では、至高アイオーン(プレーローマを構成する光明の高次霊・永遠原理)たちのなかの最低次のアイオーンである「ソピアー(智慧) Sophiaa」と呼ばれる女性アイオーンが、その未熟さ故に、知り難い、至高の「父(ビュトス=深淵,Bythos)」の本質を知ろうとして過失を犯し、大いなる苦しみや困難に陥り、彼女は、それ故に、プレーローマ世界より落下して、「中間世界」とも呼べる世界にあって霊の流浪を経験します。 (この超宇宙的過失事件を引き起こしたのは、最下位女性アイオーンのソピアーではなく、男性アイオーンのロゴスであったと云う教説も存在します。『ナグ・ハマディ文書』中の『三部の教え』においては、そのように説明されています。勿論、これには或る理由が想定されるのですが)。 アイオーン・ソピアーのこの「過失」とその結果の苦悩から、「中間世界」にソピアーの分身とも云える様々な霊が生まれます(例えば、ヤルダバオート=デーミウルゴスの母とされる「アカモート」など)。 他方、プレーローマの至高アイオーンたちは、ソピアーを救おうと試みるのですが、事態は進行し、「中間世界」にアルコーンと呼ばれる低次霊・低次アイオーンが誕生し、その頭でもあるデーミウルゴスが、驕り高ぶった挙げ句、自己を至上者と錯誤して、みずから「世界」を創造しようと試みます。 しかし、デーミウルゴスは、完全な霊ではなく、至高のアイオーンでもないので、不完全な創造・造形しか行えず、その結果、「この世=暗黒の悪の宇宙」が創造され、人間もまた、この暗黒の宇宙の住民として創造されたのだと云うことは既に説明しました。 そこで、以上に述べた、グノーシス主義世界論における、「天上世界」 「中間・境界世界」 「地上世界」の三世界論と、既述の「人間の三元構成論」は、丁度パラレルな形にあるのだと云うことが出てきます。プレーローマ或いは天上世界に対応するのが「霊」であり、地上世界或いは悪の宇宙に対応するのが「肉」で、そして、「中間・境界世界」に対応するのが「心魂」であると云うことになります。 「心魂」は、この三元世界論との対応性から見ても、明らかに、不安定な位置にあることが分かります。人間の「霊」は紛れもなく、天上世界=プレーローマに属するに対し、「心魂」は、この境界世界に属すると考えられるからです。 哲学的原理より見れば、「肉」は、「質料・物質」であり、「霊」は、「純粋形相・イデアー」であると云うことになりますが、「心魂」は、「質料的性質を備える形相的存在」と云うことになるでしょう。アイオーン・ソピアーが、中間世界で苦難に陥っているのと丁度対応して、人間の魂=心魂も、中間世界において、苦難に喘いでいるのだとも云えます。 ヴァレンティノス派では、人間は最初から三種類に分かれており、それぞれ生まれた時より「運命」が定まっているとされます。即ち、「質料的・物質的人間」と「霊的人間」、そして「心魂的人間」です。「質料的人間」には「救済」はなく、「霊的人間」は、最初から「救済」に与れることが予定されており、「心魂的人間」は、その行いや、「認識・覚醒」に応じて、救済されるか否かが、決定されるとします。これは一種の「運命論」になっています。 他のヘレニク・グノーシス主義諸派は、ヴァレンティノス派の教えほど明確ではありませんが、しかし、やはり、「宇宙的既定運命」と云う概念を持っていたと考えられます。「人間」は、肉と霊を持つことで、滅びる部分と、救済に与れる部分があると云うことになりますが、問題は、「個人の意識=我」の救済があるかないかでしょう。 そして、「個人の意識=我」とは、要素的には、「心魂(たましい)」のことを意味すると考えるのが妥当でしょうから、「人間の救済」の問題とは、つまる処、人間の「心魂」或いは「霊魂」の救済の問題である、と云うことになります。そこで、次に問題となるのは、霊魂(たましい)の救済を、ヘレニク・グノーシス主義では、どう考えていたかと云うことです。
by sigma8jp
| 2008-11-14 22:13
| 古代叡智(グノーシス主義)
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