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臨死体験とは?

 臨死体験は、今日では非常に科学的な研究の対象になりました。多くの医師がこの研究に取り組んでおり、多くの書物が著されています。

臨死体験研究の先駆的なものとしては、レイモンド・A・ムーディ・Jr博士の著『かいまみた死後の世界』(評論社刊)があります。ムーディ博士は、バージニア大学病院の精神科医で、医学博士、また哲学博士という経歴を持っている人物です。

博士は臨死体験をした人々の例を一五〇ほど集め、統計的に処理しました。するとそこには、体験の内容に驚くほどの共通性があったのです。

そのほか、米国心臓学の専門家マイクル・B・セイボム著『「あの世」からの帰還』(日本教文社刊)、コネチカット大学教授ケネス・リング著『霊界探訪』(三笠書房)、ワシントン大学小児科学助教授メルヴィン・モースおよびアメリカン・ヘルス誌の元編集長ポール・ペリー博士の共著『臨死からの帰還』(徳間書店)、その他多くの研究が発表されていますが、いずれも臨死体験に共通するパターンについてすぐれた解説をしています。

彼らの研究結果や、そのほか日本人の研究者らの結果を総合してみると、臨死体験には、おもに次の要素が見られることがわかります。

  (1) 死の宣告が自分に聞こえる
  (2) 安らぎと満ち足りた感覚を味わう
  (3) 肉体から離脱する(体外離脱)
  (4) 暗いトンネルに入る
  (5) 新しい世界が開ける
  (6) 死者と出会う
  (7) 光の生命体(光の天使)に会う
  (8) 生涯を回顧させられる
  (9) 生と死の境に立って、どちらに行くかの決定をする

ただし、臨死体験者の全員がこれらの要素を全部体験している、というわけではありません。全部体験した人もいますが、幾つかだけだった人もいます。それは臨死体験の深さによるのです。臨死体験者の証言を幾つも集めて総合してみると、これらの要素が、死亡から蘇生の間に見られるのです。これらの要素について、一つ一つ詳しく見てみましょう。

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■1:死の宣告が自分に聞こえる
  臨死体験者の多くは、自分が"死んだ"とき、周囲の人が死について語っていることを聞いた、と言っています。
「事故現場に居合わせたある女性が、『この人、死んじゃったの?』と尋ね、誰かが『うん、死んでるよ』と言っているのが聞こえました」(『かいまみた死後の世界』)。

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■2:安らぎと満ち足りた感覚を味わう
 臨死体験者の多くは、自分が"死んだ"直後に、肉体の苦痛が去り、安らぎと満ち足りた感覚を味わった、と証言しています。
「まるで、この世に私をつなぎ止めていた帯が切れたようでした。もう怖いとは思わなくなっていましたし、だいいち肉体の感覚もなくなっていました。

「非常にほっとしました。痛みは全くありませんでしたし、あんなにゆったりした気分になったのは初めてでした。すっかりくつろいで、いい気分でした」(『かいまみた死後の世界』)。

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■3:肉体から離脱する
 こうした感覚に加え、臨死体験者の証言の中で注目すべきことは、彼らが死と共に肉体から離脱したと証言していることです。フィンランド政府の地域医療部長を務めるルーカネン・ギルデさんは、自分が手術を受けている時に、執刀医の医療ミスで臨死状態になり、体外離脱を経験しました。彼女自身、フィンランドでは高名な医者ですが、その時のことをこう証言しています。

「手術中のことでした。突然わたしは肉体を抜け出し、天井のあたりから手術の様子を見ていました。すると担当の医者が、メスを持ち上げ、静脈のかわりに、間違って動脈を切ろうとしていたのです。私はあわてて、『そこは切っちゃダメ!』 と叫んだのですが、その医者には聞こえませんでした。彼はそのまま動脈を切ってしまい、血が天井まで吹きだしたんです。その後、私は『トンネル』を通り、光の世界に入りました。

手術後、目が覚めた私は、自分の見たことを担当医に話しました。でも彼は、『動脈を切った』とは言わず、「出血が多かったから幻覚を見たんだろう』と言いました。そこで私は、医師の特権を利用して自分のカルテを見てみたんです。そこには、誤って動脈を切ったことが記されていました」(NHK『臨死体験』)。

ギルデ医師が、死んでいる間に自分の遺体から離脱して見ていたことは、このように事実だったのです。以来ギルデ医師は、魂の存在や死後の世界を信じるようになり、死への恐怖感がなくなったと言っています。そして臨死体験の研究者の一人になりました。

体外離脱に関するこうした証言の多くは、みなこのように具体的であり、それが事実と一致していることもあとで確認されています。これは体外離脱がなにかの"幻覚"ではなく、現実のものであることを示しています。

とくに体外離脱者が、耳から得ることのできる情報以外のことも、多く語っていることは注目すべきことです。彼らは、実際に体外離脱して、遺体とは別の位置から見なければ知り得ないような事柄も、多く語っているのです。

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■4:暗いトンネルに入る
 体外離脱のあと、臨死体験者の多くは、「暗いトンネル」を体験しています。落雷を受けて死んだ米国南部の自動車商は、こう語っています。
「嵐が来そうだというのに、ゴルフをしていたんです。そのとき、ものすごい衝撃を受けて、雷に打たれたんです。しばらく体の上に浮かんでいたのですが、やがてトンネルに吸い込まれてゆくのを感じました。

まわりの様子は何も見えなかったけれど、すごい速さで進んで行くのがわかりました。私は間違いなく、トンネルの中にいたんです。出口の光がどんどん大きくなってくるのが見えたので、わかったんですが」(『臨死からの帰還』)。
 
また、交通事故にあって臨死状態になった女性は、こう言っています。
「自分がトンネルの中にいるのに気がつきました・・同心円のトンネルです。あの体験をしてからまもなく、『タイムトンネル』というテレビ番組を見ました。らせん状のトンネルを通って、人間が過去の時代へさかのぼっていくのです。そうですね、思いつく限りでは『タイムトンネル』が一番似ています」(『かいまみた死後の世界』)。

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■5:新しい世界が開ける
光に満ちた澄みきった世界
 トンネルを出ると、新しい世界が開けた、と多くの臨死体験者が語っています。心筋梗塞で"死んだ"ある男性は、こう語りました。「私はそのトンネルを通り抜けたようでした。突然私は別の場所にいたのです。一面金色に輝いて、とてもきれいでした。どこから光がくるのかわかりませんでしたが、光はあらゆるところにありました。音楽も聞こえました。小川がせせらぎ、草や木や丘もある田園の中にいるようでした」(『続 かいまみた死後の世界』)。
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これは、トンネル以前はまだ"こちらの世界"であり、トンネルを抜け出ると"あちらの世界"に入る、ということなのでしょう。心臓疾患のために臨死体験をし、トンネルを抜け出た日本人女性も、全く同じ様な光景を見ています。

「果てしなく真っ暗なところを、上へ上へと昇っていくと、ぱっとまぶしいほど明るい世界へ飛び込んだのです。私は小高い丘に立っていました。じつに青々とした草原が広がっていました。
羊や馬がたくさんいます。背の低い潅木がところどころに立って、きれいな風景です。空もまぶしいほど明るく、気持ちのいい天気です」(新倉イワオ著『臨死体験』勁文社)。

ある人は「臨死体験には悪霊が関与している」と言いますが、もし悪霊が関与しているなら、このようなことは決して起きないでしょう。

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■6:死者と出会う
  臨死体験者の中には、目の前に開けた新しい世界において他者の霊に出会った、と証言している人々もいます。心筋梗塞で死んだ中年の男性は、こう述懐しています。
「突然私は、別の場所にいたのです。一面金色に輝いて、とてもきれいでした。・・・・人もいました。もちろん、人も私たちが思っている形をしているわけではありません」(『続 かいまみた死後の世界』)。

また心停止を経験した十歳の少年はこう言っています。
「トンネルを出ると、たくさんの人が待っていた。みんな、ランプみたいに内側から光っていた。あの場所は、全体がそんなふうに光っているんだ。あそこにあるものは全部、光がいっぱいに詰まっているみたいだった。知らない人ばかりだったけれど、みんなぼくのことが大好きだったみたい」(『臨死からの帰還』)。

一方、知らない人ばかりでなく、知人や近親者を見たという人もいます。ある女性はこう言っています。

「真っ暗なトンネルに入って、そして明るい光の中に出ました。私のそばに死んだ祖父母と父と兄がいて、美しく輝く光が私たちをとり囲んでいました。説明できないような色、この世にはないような色の光でした。人もいました。幸せそうで、三々五々集まっている人もいましたし、学んでいる人もいました。・・・・」(『続 かいまみた死後の世界』)。

臨死体験者は、天国あるいは「よみ」の入り口までは行くので、そこで死者の霊に会うこともあるようです。

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■7:光の生命体に会う
慈愛に満ちた光の生命体
 さらに重要なことに、臨死体験者の多くは目の前に開けた新しい世界において、慈愛に満ちた"光の生命体"に会った、と証言しています。子どものころに臨死体験をした中年の女性は、こう語りました。

「庭を見渡しているとき、その人に気づいたんです。その庭はびっくりするほどきれいでしたけど、その人の前では色あせて見えました。私はその人に完全に愛されており、完全に守られていると感じました。あれほど深い喜びを感じたことはありません。何年も前のことですが、今でもあのときの感情を思い出すことができます」(『臨死からの帰還』)。

また、こう語っている人もいます。
  「(光の生命体から)『おまえはわたしを愛しているか?』という考えがわたしの心に伝わってきました。はっきりと質問の形をとっていたわけではありませんが、わたしは光が、『もしわたしを愛しているのなら、戻って自分の生涯で手がけたことを完成させなさい』という意味で言ったのだと推測しました。この間ずっとわたしは、深く強い慈愛に包まれているような気持ちがしたものです」(『かいまみた死後の世界』)。
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この"光の生命体"とは何でしょうか。光の生命体が、「おまえはわたしを愛しているか」という質問をしてきたのであれば、この生命体は神ご自身、またはキリストであると考える人もいるでしょう。実際、そう解釈している臨死体験者も少なくありません。ある臨死体験者はこう語りました。

「私は、その光に到達しようと懸命でした。全然恐ろしくありませんでした。どちらかといえば快適な経験でした。私はクリスチャンなので、あの光とキリストとを即座に結びつけました」(『かいまみた死後の世界』)。

しかし一方で、日本の臨死体験者の中には、この光の生命体を「菩薩」とか「仏」だとか解釈している人もいます。またインドであれば、ヒンズー教の神と解釈している人もいます。これについて、レイモンド・ムーディ博士は言っています。

「死後の世界の体験者たちは・・・・この光の生命が何者なのかという点になると様々な解釈があり、体験者個人の信仰、教育、あるいは信念によって大きく左右されるようである」。
つまり、「光の生命体に会った」という原体験は同じなのですが、それが何者かということになると、体験者の"解釈"が入り込みます。その解釈は、その人の持つ宗教や、バックとなる文化によって左右されているのです。

これは、ある意味では無理のないことでしょう。というのは臨死体験で見る世界は、全く初めて見る世界であり、物質界の様子とは大きく異なっているので、体験者は自分の持つ知識でそれを解釈しようとするからです。
では、これを『聖書』から解釈するとどうなるでしょうか。


光の生命体は天使
 聖書から見た限りでは、この光の生命体は、天使(御使い)であるように思えます。というのは聖書は、主イエスの語られた「ラザロと金持ち」の話において、
「ラザロは・・・・死んで、御使いたちによってアブラハムのふところ(よみの慰めの場所)に連れて行かれた」(ルカ一六・二二)と記しています。

死者を迎えるのは、「御使い」つまり天使なのです。とくに「光の天使」(二コリ一一・一四)と呼ばれる者が、死後の世界の入り口において、死者を迎える役を担っているのではないでしょうか。
新約聖書の「使徒の働き」には、使徒ペテロが牢に捕らえられているとき、そこに天使が現われて彼を助けたという記事が載っています。

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■8:生涯を回顧させられる
  臨死体験者の中には、光の生命体の前で自分の生涯を回顧させられた、と述懐している人々が多くいます。二三歳のときに臨死を経験した女性は、こう語っています。
「その光の存在は私を包み込み、私の人生を見せてくれました。これまでしてきたことをすべて見て、反省するわけです。中には見たくないこともありますけど、みんな終わったことだと思えば、かえってほっとします。

この体験をしている間ずっと、力強く愛に満ちた生命が、私のすぐそばにいることがはっきり感じられました」(『かいまみた死後の世界』)。

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■9:生と死の境に立って、どちらに行くかの決定をする
  その後、臨死体験者の多くが、生と死の境に立って、この世に戻るように言い渡されています。臨死状態から帰還した心臓病専門医はこう語っています。

「その人(光の生命体)は私に、あなたは帰らなければならない、あなたにはまだやらなければならないことがあるから、と言うんです。やがて、私は吸い込まれるように肉体に戻ってゆきました。・・・・気がつくと、私は横たわって、手に(蘇生のための電気ショック用の)電極を持った医師を見上げていました」(『臨死からの帰還』)。

また、ベトナムでの戦闘中に"死んだ"ある軍曹は、こう語っています。
「『神様、私は死にたくありません』と頭の中で叫んでいました。すると私の頭の中に『大丈夫だ』という声が聞こえてきたのです。『お前はまだ死なない。ここにはまだ来なくてよい』と私に話し聞かせていました。

次の瞬間、意識を回復すると、私のまわりを囲んで泣いている仲間たちが見えました。その一人が驚いて、『君は死んでいたはずなのに!』と言ったのです」(NHK『臨死体験』)。
子どものころに臨死体験をした女性は、こう語っています。

「八つのとき、プールで溺れかけたことがあるんです。底なしの真っ暗な穴に落ち込んだようでした。すると突然、明るい光が現われて、とても安らかな気持ちになったんです。その光と話をして、このまま光の中にとどまりたいと言い張りました。でも、あなたにはやらなければならないことがある、と言われました。そして、私はこの世に戻ってきたんです」(『臨死からの帰還』)。

また、帰るように光の生命体から言われるのではなく、死んだ近親者を通して言われたと証言する人もいます。臨死状態におちいったある母親はこう語っています。
「霧の向こうから叔父のカールが現われました。叔父は何年も前に死んでいました。叔父は私の行く手をさえぎり、『戻るんだ。現世でのおまえの仕事はまだ完成していない。戻りなさい。すぐに』と言いました。

私は戻りたくなかったけれど、どうしようもありませんでした。あっという間に、私は自分の物理的肉体の中に戻っていました。・・・・そして私の小さな息子が『神様、お母さんを返してください」と泣き叫んでいる声が聞こえたのです」(『かいまみた死後の世界』)。

この人の場合、帰るように言ったのは近親者でした。しかしその直後に実際に肉体に戻っているのを見ると、神が何らかの配慮から、死んだ近親者を用いて彼女に帰るように告げさせたのだ、とも理解されます。

いずれにしても、臨死体験者は生還する前に、この世に帰るように言い渡されていることが多い、という事実は興味深いことです。彼らは、そう言い渡された直後に実際に生き返っているのです。これは、彼らの体験が幻覚ではなく、事実であったことを示すもう一つの証拠ではないでしょうか。


臨死体験者は死後の世界の一部を見たが、全貌を見たのではない
 臨死体験者は一般に、死の体験を通して神からの取り扱いを受け、新しい使命と機会を与えられ、期待を込められて世に戻ってきた人々である、と言えるでしょう。

人は死ぬと、天国あるいは「よみ」の各所に行きます(二コリ五・八、黙示二〇・一三)。しかし臨死体験者は、神からの特別な恵みを受けて、天国の周辺部、あるいは辺境部、また「よみ」の慰めの場所の入り口付近の光景を見る機会を得、そののちに生還しています。

臨死体験者となった人々は、死後も魂は肉体を離れて存続すること、死後の世界は存在すること、神と人を愛する者たちのために素晴らしい場所があること、神は天使を通じて私たちに深い愛情を示されること、さらに、地上の人生にはそれぞれ重要な使命があること、などをあかししています。彼らの証言は、死後の世界の研究のために重要な資料と言えるでしょう。

聖書の正しい理解と、臨死体験の間に、根本的な矛盾はありません。臨死体験の適切な研究は、聖書のいう死後の世界をより明確にする一助となるでしょう。
とはいえ、臨死体験者の見てきた世界は、死後の世界の一部であって、その全貌ではありません。死後の世界は、臨死体験者の見た世界よりも、実際にはもっと大きな広がりを持っています。

臨死体験者の証言だけから死後の世界の全貌を明らかにすることはできません。死後の世界に関してバランスある理解を私たちが持つためには、聖書の記述を中心に研究していくことが不可欠なのです。

久保有政 著
by sigma8jp | 2008-11-18 20:28 | 「体外離脱」と「臨死体験」 | Comments(0)
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