カテゴリ:「天球の音楽」と聖なる七音( 30 )

シュタイナーの音楽論 Ⅱ

●霊的存在の世界と音の世界
  アトランティス人は3度、5度を体験することがありませんでした。7度を感じるときに音楽体験をもったのです。彼らにとっては、インターヴァルのもっとも狭いものが7度であり、彼らは7度以上のインターヴァルを有していたのです。

そして、3度、5度を彼らは聴き落としました。3度、5度は彼らには存在しなかったのです。7どの中に自然に生きると、人間は音楽を自分の中に経過するものとして知覚することがありません。自分の身体から外に出て、宇宙の中で音楽を知覚したのです。

ポスト・アトランティスの時代になっても、5度の音程に際して人間は、5度の中に神々が生きていると体験しました。5度の時代には、人間は音楽とともに、忘我の状態に陥りました。のちにやってきた3度の時代において、人間は音楽体験に際して自分の中にあるようになりました。音楽を自分の身体に受け取るのです。音楽を自分の身体に織り込むのです。3度体験とともに、長調と短調の区別が生じたのです。

さらに時代をはるかな過去、アトランティス時代よりもさらに遠い昔にさかのぼってみると、非常に興味深いことがわかってきます。レムリア時代です。そもそもレムリア時代には、人間はオクターブの中で音と音の隔たりを意識しうるというように音楽を知覚することはできませんでした。

インターヴァルがオクターブを越えて広がっているときにのみ、レムリア人は音程差を知覚したのです。たとえば、ドと次のオクターブのレの、ド-レのインターヴァルのみを知覚したのです。今日の私たちにとって「あるオクターブの中の1度、次のオクターブの中の2度、その次のオクターブの中の3度」であるものの中に、古代の人間は客観的な長調、客観的な短調を知覚したのです。

自分の中で体験される長調と短調ではなく、神々の魂的体験の表現として感じられる長調と短調です。今日私たちが内的な長調体験と呼ばねばならないものを、人間は自分の肉体から分離した状態において、宇宙の歓喜、宇宙創造の喜びの表現のごとき神々の歓喜の音楽として、外に知覚したのです。

そして、今日内的な短調体験として存在するものを、レムリア時代に人間は、聖書に堕罪として語られている、神的-霊的な諸力からの人間の落下、よき力からの落下の可能性についての非常な嘆きとして知覚したのです。

「意識魂の時代に生きている人間は、いま内的になっているものが、ふたたび外なる神的-霊的なものへと向かう道を見いださねばならない」といいたいと思います。メロディーの中で体験される感受の内的な富が個々の音に移行し、人間が単一の音の秘密を理解することによって、そのようなことが生じます。

いいかえれば、単にインターヴァルを体験するのではなく、内的な豊かさをもって、内的な体験の多様性をもって、単一のひとつのメロディーのように体験できると、そのようなことが生じます。


●音と言葉を通しての人間表明
 地上の人間組織は、霊的なものの模造です。人間が内に担っているものだけではなく、外的な自然のなかにあるものも、すべて霊的なものの模造です。言語によって自分を表明し、歌によって自分を表明することによって、人間は身体、心魂、精神という自分の有機体全体を、外と内に向けて表明するのです。人間は、音声と音の中に開示するものの中に存在するのです。

人類の歴史の中で、言語は本来、歌から発生したものです。歴史以前の時代にさかのぼるに従って、言語は歌に似ていきます。非常な過去にさかのぼると、歌と言語の区別はなく、両者はひとつのものでした。人間の原言語についてはよく語られますが、「人間の原言語は原歌謡であった」ということもできます。

音楽の観点から見ると、人体は楽器なのです。ヴァイオリンやその他の一般の楽器も、なんらかの子音から組み立てられたものとして把握することができます。子音について語るとき、楽器を思い出させるものがいつも感情の中にあります。そして、あらゆる子音の全体的調和が人体の姿を示すのです。

母音は、人体という楽器の上に演奏される魂です。人間の話す言語の中に子音と母音を追っていくと、おのおのの言語表現のなかで人間が自己を表現するのがわかります。人間の魂は、人体の子音的構成の上に母音的に躍動します。静かな恒星領域があり、その背後に運行する諸惑星があります。

ある惑星がある恒星を通過すると、音の世界全体が鳴り響きます。恒星天の中に、素晴らしい宇宙の楽器があるのです。その背後で、惑星の神々が黄道12宮-恒星天の楽器を演奏するのです。

人間から子音を取り出すと、彫塑的に形成しなければならない形態が発生します。母音を人間から取り出すと、歌わねばならない音楽、歌が発生します。このように、地上に立つ人間は二つの宇宙芸術の成果なのです。

一方から、彫塑的な宇宙芸術が到来し、もう一方から、歌唱的、音楽的な宇宙芸術が到来します。二重に、霊的諸存在が活動を結合します。ある存在が楽器を構築し、べつの存在がその楽器で演奏します。
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by sigma8jp | 2008-12-08 00:11 | 「天球の音楽」と聖なる七音 | Comments(0)

シュタイナーの音楽論 Ⅰ

芸術において人間は、世界のなかに結びつけられた霊を解放する。
音楽芸術において人間は、自分自身のなかに結びつけられた霊を解放する。
                ルドルフ・シュタイナー

 ルドルフ・シュタイナー「音楽の本質と人間の音体験」(西川隆範訳/イザラ書房)の中から、シュタイナーの音楽についての考え方を何回かに分けて引用紹介してみたいと思います。
先日、中野純「日本人の鳴き声」(NTT出版)の紹介をしましたが、それと重ねあわせて考えてみるとき、音楽についてのとっても興味深いビジョンが次第に浮上してくるのを理解されるのではないでしょうか。

●建築・彫刻・絵画・音楽

人体の法則を空間内に投影したものが建築です。
エーテル体から彫塑あるいは彫刻が発生します。
絵画はアストラル体の法則を内包します。

自我をもってアストラル体の中に沈潜することをとおして音楽が生まれます。音楽は自我の法則を含んでいます。けれども、日常生活における自我の法則ではなく、意識下、アストラル体に移行したかたちで自我の法則を内包しているのです。


●音楽の本質(1)

メロディー、ハーモニーのなか、その人間の魂への作用のなかに、神界の影を感じることができます。 人間が眠ると、アストラル体と感受魂は、底次の構成要素から離れます。ベッドの上には、物質体とエーテル体があります。その他の部分はアストラル体と

神界のなかに生きています。神界で、魂は音の世界を自分の内に受け入れます。人間は実際、朝目覚めるとき、音楽的な領域、音の海を通過していきます。 音楽にとっては、感受魂と感受体の共同が、特別の意味をもっています。あらゆる意識は外界を克服することによって生じる、ということを知らねばなりません。

快感、喜びとして人間に意識されるものは、精神的なものが身体的-生命的なものに打ち勝ったこと、感受魂が感受体に打ち勝ったことを意味しています。内的な震動をもって眠りから戻ってきた人間には、気分が高まり、感受魂が感受体に打ち勝つのを知覚できる可能性があります。

魂がみずからを体よりも強く感じることができるのです。人間は短調の作用において、いかに感受体の震動が強いかを知覚することができ、長調において、感受魂がより強く震動して、感受体を圧倒しているかを知覚できます。単三度だと、魂の痛み、感受体の優勢が感じられます。長三度では、魂の勝利が感じられます。

人間は神界に属するものを、自分の故郷、自分特有のものと感じます。神界を流れるヴァイブレーションが、人間のもっとも深く、内的な本質を通して感じられます。アストラル的なもの、物質的なものは、たんなる覆いのように感じられます。

神界のなかに人間の本来の故郷はあります。そして、この故郷、神的-霊的世界からの残響が、物質界のハーモニーとメロディーのなかに響いています。ハーモニーとメロディーは、この低次の世界を、崇高で素晴らしい存在の予感で貫きます。

ハーモニーとメロディーは、人間の最奥の本質をゆさぶり、この世が与えることのできない純粋な喜びと崇高な精神性の震動で人間の最奥の本質を震わせます。絵画はアストラル体に語りかけます。音の世界は人間のもっとも内面に語りかけます。

音楽は、時の流れのなかで受肉をしては、つねに新たな体験をしなければならない魂の模像です。人間の魂は生成中のものです。音楽は地上で流れゆくものであることによって、人間の魂の模像になっているのです。


●音楽の本質(2)

人間は耳をとおして音を外界から受け取り、周囲に返します。耳はもっとも古い器官のひとつであり、喉頭はもっとも新しい器官のひとつです。耳と喉頭の関係は独特のものです。耳は一種のピアノのように、震動します。

耳の中には多数の繊維があり、それぞれが一定の音に合っています。外で生起しているもの、外から入ってくるものを耳は変化させないか、あるいは、ごくわずかしか変化させません。ほかの感覚器官、たとえば耳は、周囲の印象を変化させます。

ほかの感覚は、将来になってはじめて耳の段階へと進化します。耳というのは最高の進化段階にある物質器官なのです。 耳は、さらに古い感覚と関係をもっています。空間内での位置測定のための感覚、すなわち、3次元空間を感じ取る能力です。この感覚が自分のなかにあることを、人間はもはや意識してはいません。

この感覚は、耳と内密に結び付いています。耳のなかに、注目すべき湾曲があります。たがいに垂直に交わっている三半器官です。この器官が損傷すると、人間は方向を知る能力を失います。この器官は、聴覚よりもなるかに古い空間感覚の名残なのです。

今日、音を知覚するように、人間は昔、空間を知覚していたのです。耳は音、すなわち、空間から時間のなかに移るものを知覚します。 こうして、音楽的感覚と数学的感覚に類似性があるのが理解できます。

数学的感覚は三半器官に結び付いています。音楽的な家族は、音楽的な耳という特徴をもっています。数学的な家族には、空間的才能が結び付いた三半器官が、とくに形成されています。
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by sigma8jp | 2008-12-08 00:06 | 「天球の音楽」と聖なる七音 | Comments(0)

シュタイナー音楽の本質

  ルドルフ・シュタイナーの「血はまったく特製のジュースだ」(高橋巌訳・イザラ書房)に所収の「音楽的なものの本質」をご紹介します。 シュタイナーの芸術をテーマにした業績のなかで、舞踏、絵画、彫刻、建築などにくらべて、理論面でも実際の活動でも音楽に関するものは決して多くはありませんが、音楽を軽視しているわけではないと思われます。

シュタイナーの芸術観は、リヒャルト・ワーグナーのような総合芸術を指向しているようで、音楽を芸術に固有の空間内で他の芸術と結び付けようとすることに意味があるようにとらえていたのではないでしょうか。

本論からの引用です。
音楽に耳を傾けるとき、われわれは自分の霊界の故郷をこの世の現実の中に映し出しているのです。霊的内容のその幻影の中で、魂はこの上ない高揚感を覚え、人間の存在そのものに限りなく近づいていきます。

だからこそ音楽はどんな素朴な魂の中にも限りなく深く働きかけてくるのです。どんな素朴な魂も音楽の中に、デヴァカン界で体験したことの余韻を感取します。そして本来の故郷にいる自分を感じます。そのような折りには常に人は、『そうだ、お前は別の世界からこの世に来たのだ』と感じます。

実際、事物の内奥の部分に生き、働いているものの余韻こそ人間が音楽の中で感じとるところのものなのです。そしてその働きは正に人間の内的ないとなみに親和しているのです。魂のもっとも内る、そして霊界と親和した要素は感情です。

そしてそのような感情を担った魂は、音の中でこそ一番自分らしい働きをします。音の世界に生きる魂にとっては、自分の内なる感情を生かすために、感情を仲介する肉体の存在などもはや必要ではありません。

音楽の原像は霊的なものの中に、一方その他の諸芸術の原像は物質界にあります。人間が音楽を聴くとき、浄福感をもつのは、その音が人間の霊的故郷の中で体験した事柄と一致しているからなのです。

本論の中ではいろいろ論じられていますが、概略については以上の内容です。これに加えて、「訳者付記」の中で高橋巌さんが、シュタイナーの「音楽と人類の意識の進化との関係」について紹介しているところがありますので、引用しておくことにします。この箇所は読み方によれば、グルジェフとの関連性を指摘できるように思えますので、なかなかに興味深いところです。

人間の意識にとって、3度の音程が特別切実に響くように、太古の人間は7度を体験する度に、脱魂状態に襲われた。そしてギリシャ=ローマ時代から中世にかけての人間にとって、5度の響きはまるで天使がわれわれの心の内部で歌っているようであった。

3度は近代人の主観的な喜び、悲しみのもっとも適切な表現を可能にしたが、しかしその近代人も1度から7度までの質的変化は理解できるが、8度はまだ1度と共通の質的体験としてしか感じとることができない。やがて音楽鑑賞の中で、オクターブのインターバルを体験する毎に、『私は今、自分の霊我と出会った』という感情が呼び起こされるであろう。

そしてそれは巨大な音楽体験になるであろう、というのである。シュタイナーは更に、この未来の音楽体験はわれわれのエーテル体(生命体)が肉体からの拘束を脱して、もっと柔軟になったときに現れてくる、とも述べている。

19世紀以来、文化の特質が男性的、理性的な方向に傾く中で、われわれの意識に一種の硬化現象が生じている。固定され、こうちょく化された意識は、自己救済をエーテル体の復活に求めている。そしてこの復活を可能にしてくれる最上の芸術手段もまたふたたび音楽なのである。

クレーの作品の音楽性についての評論もありますが、芸術行為というのは、神秘学的にみると興味深いところがたくさんあります。 シュタイナーにとっては、教育も芸術行為としてとらえられていますので、単に、社会論や記号論などで解釈されるような芸術作品のような既成の芸術論ではとらえられるはずもないことが理解されると思います。

まさに、霊・魂・体という3分節によってとらえられる神秘学的な芸術行為理解は私たちの生きる行為そのものと不断に、そして密接にかかわり合っているからこそ奥深く、意味深いものなのではないでしょうか。
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by sigma8jp | 2008-12-08 00:02 | 「天球の音楽」と聖なる七音 | Comments(0)

音楽の規則性と人間の感覚

共感覚
  このように、さまざまな事物から音楽が聴けるのだから、われわれ「人間」からも音楽を聴くことができるのではないかと、そういう期待が生まれてくる。
たしかに、どんな形態でも、そこに調和的な比率や規則性があるならば、それをパラメーターとして音楽に変換できるだろう。

人間の肉体も均整の取れた調和(黄金分割)があるので、うまく工夫すれば音楽として聴くことができるはずだ。ある試みによれば、男性から聴こえたのは長調で、女性からは短調が聴こえたという。しかしながら、人間の本質は、その肉体的外観よりは“心”にあるといえるだろう。したがって、心から聴こえる音楽こそが、その人物の本質を反映していることになる。

では、はたして“心”を音楽として聴くことはできるのだろうか。心には形態がないので、パラメーターを見つけることは不可能だ。心理テストをうまく利用すれば、あるいはパラメーターを見つけることができるかもしれない。しかしなかなか難しそうである。

それよりも、直感的な印象に頼った方が正確である場合が多い。実際、われわれは相手の人柄からにじみでる雰囲気を感じとり、それを音や音楽、色彩やかたちなどで表現しているものである。たとえば「腹黒い人間」という言葉は、悪いことをたくらんでいる人を色彩で表現したものであるし、「女性の黄色い声」などは、音の特徴を色彩で表現したものだ。

このように、ある感覚器官でとらえたものを、他の感覚器官として認識する現象を「共感覚」と呼ぶ。第3章で紹介した霊界で音がかたちになるという現象も、広い意味での共感覚といえるだろう。この共感覚によって、人の心から音楽を聴くことができるのである。そこで共感覚について、もう少し説明を続けてみよう。

海外で報告されたある女性美術教師は、ドの音階を聴いたときに薄紫の色を“感じる”といい、レの音はオレンジ色を感じるといった。同様に、ミは赤、ファは青、ソは緑、ラは茶色、シは黒を感じるというのである。つまり彼女は音程を色彩で感じたのだ。
また、味覚から楽器の音色を想起するという人も報告されている。

その人によると、たとえばキュラソは、かん高くなめらかなクラリネットのようであり、キュンメルは、響きがよく鼻にかかったような音をしたオーボエのようであり、ハッカクリームやアニス酒は、甘いと同時にピリッとして哀れっぽい音を出し、かつ柔らかなフルートのようである。チェリーブランデーは、野性的なトランペットの一吹きのようであり、ジンやウイスキーはコルネットやトロンボーンの荒っぽい響きで口の中を一杯にしてしまう。

ブルゴーニュ産のブランデーは、耳が遠くなるような騒音を出すチューバと一致する。一方、キオス産のラキ酒とマスチク酒は、口の内側で腕を大きく振って力一杯打ったシンバルや太鼓の雷のとどろきのような音がするという。

一方、楽器の音色から色彩を感じる共感覚もあり、ドナスという人によれば、ピアノは紫、チェロはオレンジ、ハープはワインレッド、バイオリンはクリームイエロー、フルートは青、オーボエはオリーブグリーンである。しかしゲーテは、チェロの色は橙色、バイオリンはウルトラマリンブルー、オーボエはバラ色、クラリネットは黄色、ホルンは紫、トランペットは赤といっている。

さらに、マイヤーズという人によれば、ショパンは「春の葉の緑のような透明な色」を呼び起こすが、シューマンの作品はくすんだ紫色を生じさせ、シューベルトの「第三即興曲」はワインレッド、ベートーベンの「月光の曲」の第2楽章は青色に感じるという。
リストはオーケストラの練習中に、「できればここはもっとピンクに」とか「黒すぎる」などといって演奏者を当惑させたそうである。

作曲家で神秘家でもあったスクリャービンは、出す音によってさまざまな色彩が投影されるカラーオルガンというものを発案している。もっともあまり注目されずにすたれてしまったが、その理由についてエドガー・ケイシーは、「このような調和ある活動によって表されるものを十分に鑑賞できるだけの意識が個人やグループの中に養われていなかったためである」と説明している。

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人から音色を聴く
  さて、こうした共感覚を使い、人物から音楽や楽器の音色を聴くことができる。次のような手順で少し練習すればよい。まずは比較的かんたんな楽器の音色から挑戦してみよう。
その場合に必要なのは、なるべく多くの楽器の音色を知っていることである。

ファゴットの音色を知らずして「彼からファゴットの音色が聞こえる」とはいえないからだ。楽器の音色を数多く知っているほど、人物から聴こえる音色をより詳しく表現することができる。
そうしたら、その人物から感じる、平均的な雰囲気をつかむ。感覚的なもので構わない。

あたたかい人だとか、神経質だとか、怒りっぽいとか、その程度でよい。あまり知的に分析するとうまくいかない。さて、そうしたら、そういう雰囲気にマッチした楽器の音色は何だろうかと思いをめぐらす。あたたかい人の場合、ホルンやチェロのような音色だと思うかもしれない。

そうしたら、想像でそれらの音色を聴いてみる。そして、あらためてその音色と人物から受ける感覚とがマッチするかどうかたしかめてみる。マッチしていれば、それがその人から響いてくる音色ということになる。場合によっては複数の楽器の音色が聴こえることもある。

以上の練習を繰り返すと、しだいに意識せずとも相手から音色が聴こえるようになる。
では、具体的にどのような人物からどのような楽器の音色が聴こえるだろうか。
たとえば金管楽器は火のエレメントで、意志を強くする効果があったが、同様に金管楽器が聴こえる人というのは、意志が強そうで、火のエレメントの特徴を持っているのである。

とはいえ、共感覚は基本的に主観的なものである。この通りに聴こえなければいけないというわけではない。これは後に続く大切なことを理解していただくための、ほんのお遊びにすぎない。気楽にトライしていただければいい。
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by sigma8jp | 2008-11-18 22:57 | 「天球の音楽」と聖なる七音 | Comments(0)

楽器と4つのエレメント

 錬金術の考え方によると、この宇宙万物はすべて4つのエレメント(要素)に分類されて関連づけられる。4つのエレメントは、火・風・水・地という象徴的な言葉によって表されるが、
これは同じ特性を持つ仲間同士を集めて分類したものである。
たとえば、火の仲間は何だろうか。太陽、花火、電気、照明、火傷、爆弾、戦争、怒り、熱病・・・といった事柄が連想されるだろう。このように、万物を4つのカテゴリーに分類したものが4つのエレメントの対応関係なのである。これに楽器を分類すると次のようになる。

地= 打楽器↓本能に作用する。
水= 弦楽器↓感情に作用する。
風=木管楽器↓知性に作用する。
火=金管楽器↓意志に作用する。


<4つのエレメント>

◆火のエレメント◆
[象意]明るさ・顕現・統率・挑戦・創造・威厳
[性格]意志・情熱・積極性・外向性・自信家
[人物]年長者・権威者・父・君主・有名人
[病気]熱病・眼病・高血圧・脳神経・循環器
[動物]ライオン
[季節]夏
[方角]南
[色彩]赤
[類推]闘争・装飾・勝負・教育・輝く・金属

◆風のエレメント◆
[象意]変動・自由・解放・純粋・成長・適応
[性格]知性・機敏・軽快・社交・楽観・空想
[人物]兄弟・友人・若者・旅人・自由業者
[病気]神経・呼吸器・不眠症・風邪・喘息
[動物]鳥
[季節]春
[方角]西
[色彩]緑
[類推]空・交流・樹木・通信・配達・スピード

◆水のエレメント◆
[象意]柔軟・変容・共感・包容・流動・影響
[性格]情緒・柔和・親切・協調・内向・繊細
[人物]女性・少女・芸術家・詩人・保母・秘書
[病気]泌尿器・婦人病・生殖器・冷え性・中毒
[動物]魚
[季節]冬
[方角]北
[色彩]銀・水色
[類推]隠蔽・睡眠・平和・家庭・宗教・神秘

◆地のエレメント◆
[象意]安定・堅実・育成・保守・独立・爆発
[性格]温厚・勤勉・忍耐・まじめ・独立心
[人物]母・労働者・運動家・武道家・修行者
[病気]胃腸・潰瘍・肝臓・便秘・皮膚・癌
[動物]牛
[季節]秋
[方角]東
[色彩]茶色
[類推]自然・集積・鍛練・奉仕・暗闇・堅固
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by sigma8jp | 2008-11-18 22:46 | 「天球の音楽」と聖なる七音 | Comments(0)

楽器と4つのエレメント(地・水・風・火)

打楽器の効能(地のエレメント)
  アタック(音の出だし)が強く、以後、急速に減衰する爆発的な波形を持ち、これが打楽器の効能にとって大きな意味を持っている。
打楽器は一般に感情の下層、本能に近い感情に訴え、刺激性と覚醒の働きを持つ。低い音程ほど本能的な感情を刺激させる。打楽器はリズムと深く関係しているので、いかなるリズムで演奏されるかにより、その効能も異なってくる。

また、打楽器は“爆発”の音であり、心の奥に抑圧されている感情を爆発させ表面化させる効能を持つ。その意味でストレス解消の効果が高い。
打楽器は、生命力が減退している人には、生命力を喚起させる強壮剤となり、野性的なたくましさを湧き立たせる効能がある。しかし過度になると、攻撃的で野蛮になったり、衝動的行動に走らせたり、本能的な快楽に耽溺させる傾向となる。

一方、本能的感情を抑圧させている人にとっては、カタルシス効果となる。アリストテレスは、放置しておけば家具を壊しかねない破壊的な子供のエネルギーのはけ口として、打楽器のひとつ、ガラガラ楽器の使用を提唱していたという。これは、打楽器の持つ爆発性の応用である。

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弦楽器の心理的効能(水のエレメント)
  弦楽器の音色は、魂の曲線性と似たような特徴を持っているため、親密度が高く、それゆえに深い共感と影響力をもたらす。ストリングスのように、川の流れをイメージさせる音色は、やはり川にたとえられる人間の感情や心とよくマッチする。すなわち感情の中核に強く作用する力を持っている。

エドガー・ケイシーは、「憂鬱な時や気分が落ち込んた時には、いつでも音楽を鳴らしなさい。この場合、弦楽器なら何でもよい。これらはあなたが悲観と楽観との間の溝を埋める手助けをしてくれる」といって、とりわけ弦楽器を高く評価している。

弦楽器でも、ギターやハープなどのように瞬発的な音の場合は、やや打楽器的な要素も含まれてくる。これらは一般に、心を正常な機能に戻す調律的な作用が強い。このことはピッチカート(弦を指ではじく)やコルレーニョ(弦を弓でたたく)による奏法についてもいえる。

アメリカ・ミシガン州の医学博士アイラ・アルトシューラー博士の研究によれば、バイオリンとフルートの音色は視床下部をもっとも刺激するという。視床下部は、人の精神状態を根底から司る器官である。またギターの音色は、女性を美しくさせるアンドロージェンという副腎皮質ホルモンの分泌を盛んにさせるらしい。

さて、オーケストラにおけるストリングスは、高い音域からバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスとなる。基本的に音質は同じであるが、音程が異なるために、音色が異なっているように感じられる。すでに述べたように、低い音程ほど本能や潜在意識に訴えかける作用を持ち、高くなるにつれて理知的あるいは表面意識に作用する傾向となる。

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木管楽器の持つ効能(風のエレメント)
  木管楽器は、英語で Wood Wind Instrument といわれるが、実際、この楽器は風のエレメントに属する。風とは心や知性の象徴である。フルート、ピッコロ、クラリネット、オーボエ、ファゴットなどが木管楽器である。実際はフルートやピッコロは金属製なのであるが、昔は木製であったらしく、今でも木管楽器に分類されている。

なお、ピッコロはフルートよりも音程が高く、ファゴットはオーボエよりも音程が低いというだけで、音色そのものはほぼ同じであるといえる。
木管楽器は、感情の上層部、知性に近い領域に強く働きかけるため、音のメッセージが表象として浮かびやすく、輪郭がはっきりとしていて明朗である。表面的ではあるが、動的で機敏に対応できるため、軽快さ、自由、解放感、純粋さ、とらわれのなさといった心理的効能をもたらしてくれる。

古代ギリシャの哲人デモクリトスは、病気を治すためにはフルートの音色がいいとし、アラビアでは精神疾患の治療のためにフルートが用いられたという。魂の音はフルートの高い音に似ている。そのため、「共鳴の原則」から、フルートあるいはピッコロには魂を調律させる非常に大きな力が潜んでいるように思われる。

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金管楽器の心理的効能(火のエレメント)
  トランペット、トロンボーン、ホルン、チューバなどが代表的な金管楽器である。金管楽器は火のエレメントであり、意志の領域に作用する。意志とは、目的に集中し、それに向かって直線的に進んでいく積極性である。活力を湧き出たせる効能があり、その点では打楽器と似ているが、こちらは理性的な方向性があり、創造的にエネルギーが向けられるのである。

また、金管楽器は「自我」意識と深くかかわっている。英語で「ホルン(またはトランペット)を吹く blow one's own horn(trumpet)」という言葉が「自画自賛をする、自己宣伝をする、自慢する」の意味であるように、金管楽器は自信や自尊心を高め、自分自身を積極的にアピールするためのバイタリティを刺激する。ただし、短気や虚栄心、攻撃性や自惚れといったマイナス面も生じやすいので注意が必要である。
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by sigma8jp | 2008-11-18 22:44 | 「天球の音楽」と聖なる七音 | Comments(0)

魂の資質と音楽

  音楽に限らず真の芸術とは、魂を目覚めさせるものだと、私自身は考えている。もしも使命というものがあるならば、魂の覚醒こそが芸術の使命であろう。
そして魂の覚醒は、魂の特性を表現した芸術によって実現される。すでに述べたように、似た者同士は共鳴し合うからだ。つまり魂は、自分自身を表現している芸術に接することにより、自分自身を取り戻すことができるわけである。

では、魂の特性を反映した音楽とは、どのようなものだろうか。
心理学者のA・H・マスローは、本書でいう魂の特性について研究した人物である。
彼は「これ以上の幸福はない」という至福の体験をした人々を調査することで、次のような共通点を発見した。

統合性=分裂や葛藤がなく平和的で、人や自然、世界と調和した感覚や一体感。状況に左右されない一貫した考えや行動。

完全なる機能=努力や緊張、力みなくして、物事をうまく遂行すること。
自発性=こだわりなく、自然で開放的で、純真にありのままの自分を表現すること。
独創性=他人のマネでなく、個性としての性格や才能、生き方をすること。
世界からの自由=自分以外のいかなる事物からも支配されることなく、過去や未来にもしばられず、真実の自己に基づく法則にしたがって生きること。

無我=だれに対しても向けられる思いやりと無償の愛。
完成=願望や潜在的才能など、開花されるべきあらゆる可能性を開花させ、やるべきことを最後までやり遂げること。ユーモア(楽観性)=何ものにも依存しない、魂から自然に湧き上がる幸福感。生きることそのものの喜び。

感謝の念=世界を美しいもの、善なるものと認め、世界に対して何か報いたいと願い、実行に移すこと。マスローのこの調査結果は、魂の特性そのものである。魂が目覚めたとき、われわれはだれもがこういう意識状態となるのだ。

そして、結論としては、こうした内容を持つ音楽こそが「調律音楽」なのである。
有名なアメリカの霊能者エドガー・ケイシーは、音楽について次のようなリーディング(霊的啓示)を残している。「音楽は一人一人の魂の発展の一部である。音楽とは、“生命を与える流れ”であり、魂と心をより偉大に解釈することによって、体を無限なるものに合わせる時の基礎となるものである」
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by sigma8jp | 2008-11-18 22:35 | 「天球の音楽」と聖なる七音 | Comments(0)

霊界で聴こえる音楽

 ところで、臨死体験をした人の報告を読むと、魂の故郷である霊界において、たとえようもなく美しい音楽を聴くことがあるという。物質世界を越えた霊界で音楽が鳴っているのだから、音楽の本質は霊的であるといってもよい。そして魂は、肉体を持たなくても音楽が聴けるということだ。音楽は心さえも通り抜け、魂にまで浸透しているというピタゴラスの言葉は、真実であるということがわかる

偉大な作曲家というものは、高い霊界の音楽をインスピレーションで聴きとり、それを地上にもたらした人物なのである。
ただし、それが完全に伝えられているとは、考えない方がいい。完璧な美しさと偉大さとを持った霊界の音楽の、ほんの断片だけがもたらされたにすぎない。

地上世界は波動の粗い不完全な世界であり、とうてい霊界の精妙さを伝えることなどできないからだ。それはちょうど、美しい景色を肉眼で見たのと、それを写した新聞の粗雑なモノクロ写真を見るくらいの差があるだろう。あるいは天下の名演奏を生で聴くのと、SPレコード(若い人は見たことがないだろう!)をおんぼろ蓄音機で聴くくらいの、いやそれ以上の開きがあるに違いない。

とはいえ、たとえわずかの断片であったとしても、霊界の精妙な音楽を反映した調律音楽を耳にすると、魂はそれに共鳴し、感動し、懐かしさを覚え、自分自身もまた、その音楽のように調和した存在であることに目覚めてくるのである。
ここで、調律音楽の具体的な例を見てみよう。

アメリカのあるトラピスト修道院の修道士たちは、第二ヴァチカン公会議の取り決めに従い、日課祈祷をラテン語で唱えるのをやめてしまった。
すると、今までは1日に5、6時間の睡眠で十分であったのに、それでは足らなくなり、病気や心理不安が生じ、あらゆる物事がうまくいかなくなってしまった。

いろいろと改革を試みたがすべてうまくいかなかった。結局、その原因はグレゴリオ聖歌を典礼で歌う時間をなくしてしまったことではないかということになった。そこで、特別な許可を得た上で古いならわしを復活させたところ、修道士たちの問題はいつのまにか消えてしまい、再び物事がうまくいくようになったのである。
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by sigma8jp | 2008-11-18 22:30 | 「天球の音楽」と聖なる七音 | Comments(0)

大作曲家とその音楽がもつ影響 2

ブラームス[1833-1897]
  代表作 4つの交響曲、序曲、2曲のピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲など。
ブラームスの作曲したピアノ・ソナタを聴いたクララ・シューマンは、「神が既製品としてこの世に送られたかのようだ」と語った。彼の音楽は、ベートーベンと似たような内容を持つ。すなわち、あらゆる人間の感情がそこに描かれているのだ。

しかしブラームスの場合、それらは克己的な自制心によって統制されており、均整と堅実さによって貫かれている。しかし冷たくはなく、あたたかいハートを秘め、穏やかな品位が滲み出ている。彼の音楽により、克己心、自制心、忍耐などが刺激され、やさしい感情を育成させることができる。


サン=サーンス[1835-1921]
  代表作 交響曲第3番「オルガン付き」、組曲「動物の謝肉祭」、ピアノ協奏曲その他。
 彼は音楽のみならず、いろいろな分野で才能を発揮した人物であり、神秘学の研究も行っていたらしい。超人的な記憶力の持ち主で、早くから音楽の頭角を表した。
彼の代表作「オルガン付き」は、なかなか大胆な展開であり、オルガンの音色や、しだいにもりあがる曲の展開から、生命力を湧き上がらせる効果が非常に強いと考えられる。また「動物の謝肉祭」のようなかわいい作品は、豊かな感性を養う効能があるようだ。


ムソルグスキー[1839-1881]
  代表作 組曲「展覧会の絵」、交響詩「禿げ山の一夜」オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」、歌曲など。
ロシア国民楽派の1人であった彼は、「展覧会の絵」で知られるように、多彩な音楽が書ける作曲家であるといえるが、彼の本質は無骨さと、ある種の反抗精神にあるようだ。その点でオペラこそがムソルグスキーの本領であるといえよう。
「展覧会の絵」に限っていえば、いろいろなタイプの曲が混入されているため、その効果もさまざまである。ただし全曲を通して聴いたときには、その展開が音楽療法的にもマッチしており、何かしらの気分転換が図られるかもしれない。気分転換や何かにくぎりをつけたいときに聴くといいだろう。


チャイコフスキー[1840-1893]
  代表作 7曲の交響曲、バレエ組曲、3曲のピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲、序曲など。
彼の音楽の傾向は2つに分けられる。ひとつは、すばらしくチャーミングで夢想的な音楽、たとえば「くるみ割り人形」などのバレエ音楽だ。もうひとつは、交響曲におけるやや病的なまでの激情と感傷性である。前者は単純に楽しめる音楽である。後者の場合、カタルシス効果の強い音楽であり、それゆえに良い面も悪い面も持っている。悲しい気持ちや抑圧された思いを発散させる効果がある反面、過度に耽溺すると、病的な感傷性や自己憐憫が芽生える可能性があり注意が必要かもしれない。

特に注目したいのは、彼の音楽の持つ爆発性である。たとえば第4交響曲終楽章における爆発的に始まる冒頭、第6番1楽章の中間あたりで、静かなクラリネットの後に急に爆発する打楽器と金管、そして序曲「1812年」での大砲の音などだ。ロシアの情報公開により、隠されていたチャイコフスキーの素顔が少しずつ明らかにされてきたが、彼はときどきかんしゃくを起こして椅子を壊すことがあったらしい。こうした爆発的な音楽は、抑圧された怒りや不満などを浄化させる効果を持っている。


ドヴォルザーク[1841-1904]
  代表作 交響曲7、8、9番。スラブ舞曲集、序曲、弦楽四重奏曲、チェロ協奏曲など。
チェコの国民楽派である彼は、ニューヨークの音楽学校の校長としてアメリカに渡ったが、ホームシックになり、「新世界から」という傑作を生んだ。しばしば「新世界」と呼ばれることがあるが、正しくない。それは新世界すなわちアメリカから祖国に思いをはせて作曲されたもので、新世界を描いた曲ではないからだ。祖国への郷愁を感じさせる曲調を持つが、これは同時に魂の霊的故郷への郷愁も刺激する効果を持っている。また、全般的に楽観的な考え方や前向きな活力、人生の喜びが発見できるような効能を持つ。

彼は大の機関車ファンであったらしく、暇さえあれば機関車を見ていたという。自分の作品への評価は厳しく、少しでも出来が悪いと楽譜を破棄してしまった。36歳のときには3人の子供を次々に失うという悲劇に襲われている。彼の音楽からくる生命の躍動は、こうした試練を乗り越えた末に到達したものであろう。


グリーグ[1843-1907]
  代表作 組曲「ペールギュント」「抒情組曲」「ピアノ協奏曲イ短調」
彼が残した言葉のうちで私が好きなのは、「オリジナリティは重要ではない、重要なのは感情の真実さである」という言葉だ。オリジナリティが重要ではないとは思わないが、いたずらに奇をてらった現代音楽の風潮(すべてとはいわないが)は好きになれない。大切なのは自らの感情に誠実になって音楽作りをすることだ。
グリーグの作品は、そんな音楽である。潜在意識に訴えかける傾向が強く、霊的故郷に対する懐かしさや、故郷から離れてしまった哀愁のようなものが伝わる。そのため、魂の意識を目覚めさせる刺激になるだろう。


リムスキー・コルサコフ[1844-1908]
  代表作 交響組曲「シェラザード」、「スペイン奇想曲」、オペラ「金鶏」、交響曲第2番 その他。 
ムソルグスキーと同じくロシア国民楽派のひとりであった彼は、管弦楽法の大家で、彼の残した教科書は今でも使われている。
彼の代表作「シェラザード」に関していえば、これはアラビアンナイトの話を音楽で綴ったものなのであるが、まず何といってもその色彩感溢れるオーケストレーション(管弦楽への編曲法)の見事さに驚かされる。目にも鮮やかな音に、日常の煩わしさからしばし解放され、ストレス解消と、気分転換に大きな効果を発揮するだろう。


フォーレ[1845-1924]
  代表作 「レクイエム」、組曲「ペレアスとメリザンド」、弦楽四重奏曲など。
 やさしく慎ましい性格であった彼は、多くの室内楽曲を残しているが、やはり「レクイエム」がその真髄であろう。この曲は、魂の浄化と平和と安らぎに大きく貢献してくれる傑作である。他の曲も、人間的なあたたかみに溢れた傑作が多い。


マーラー[1860-1911]
  代表作 10曲の交響曲、歌曲など。
「交響曲は世界のあらゆるものを包含しなければならない」と語ったマーラーであるが、その言葉通り、彼の作品にはあらゆるものが包含されている。美も醜も、聖も俗も、善も悪も、怒りも優しさも、絶望も希望も、悲しみも喜びも、すべてが表現されている。だが、単なる羅列ではなく、それらが全体との関連で意味づけされていき、しだいに統一されて神的な境地の高みにまで展開されていくところが、彼の音楽のすばらしさである。マーラーの音楽は哲学的であり、混沌とした多様な価値観に生きるわれわれに、ある明確な指針を与えてくれる。人生の選択や生き方に迷ったときには、大きなヒントや霊感を与えてくれるだろう。


ディーリアス[1862-1934]
  代表作 「フロリダ」、「春を告げるカッコウ」、「夏の歌」、その他。
彼の音楽活動は、41歳で結婚してから始まる。ほとんど世を捨てたような隠棲生活を始め、自然をテーマにした曲作りに専念した。65歳になると、全盲となり両手足の麻痺という悲劇に見舞われるが、友人の助けを借りて口述で作曲に励んだ。彼の音楽から、すがすがしい気持ちにさせてくれる一種の清涼剤としての効能を見いだすことができる。


ドヴュッシー[1862-1918]
  代表作 交響詩「海」「牧神の午後への前奏曲」「ベルガマスク組曲」、その他。
彼の作風は、モネ、セザンヌ、ドガといった印象派の絵にたとえられる。それは音の使い方が、まるで彼らの絵の色使いのようなパステル・カラー調だからである。
洗練された彼の音楽は、精神を調律させて、高い治癒的効果を持つようである。精神を安定させ、適度な官能的刺激によってリラックスに導き、気持ちを楽にし、自由と解放感をもたらしてくれるだろう。


R・シュトラウス[1864-1949]
  代表作 「ツァラトゥストラはかく語りき」、「英雄の生涯」「アルプス交響曲」「死と変容」その他。
彼の音楽は重厚な宇宙的響きが感じられるが、ワーグナーやブルックナーのような天上的なものではなく、むしろ地上的な活動力を刺激する効果を持っている。彼自身がそうであったように、作品も全般的に楽観的なものが感じられる。その点で、つまらないことにくよくよする傾向のある人には、何らかの効果が期待できるかもしれない。
ただ、「死と変容」に関していえば、宗教的かつ神秘的な雰囲気に満ちており、気持ちを不思議に静めて清める効果があるようだ。


グラズノフ[1865-1936]
  代表作 8つの交響曲、幻想曲「海」、「春」バイオリン協奏曲、その他。
作品は内面的な要素が強く、なかなか抑制が効いている。自然をテーマにした美しい曲を残しており、新鮮ですがすがしい感情に導く効能がある。また自然への愛情や畏敬の念を芽生えさせてくれる。


シベリウス[1865-1957]
 代表作 8つの交響曲、交響詩「フィンランディア」、バイオリン協奏曲など。
自然を感じさせるさわやかな音楽を残したが、自然を直接的に描写したというよりは、人間の目を通して、その思いを綴ったというべきであろう。年を経るにつれ、作風はより内面的に、瞑想的に深まっていき、60歳にして作曲活動を突然やめ、その後死ぬまでの30年間は、自然と対話しながら隠棲生活を送った。シベリウスの音楽は、自然という題材をもちながらも、宗教的で深遠な感情がこめられており、聴く者の心を崇高なものに近づける効能をもつ。


サティ[1866-1925]
  代表作 「3つのジムノペティ」「3つの梨の形をした小品」歌曲「私はあなたが大好き」、その他。
サティは「指導者イエスの芸術の首都教会」という宗教団体を作り、教祖となった経験を持つ。生涯を独身で通し、パリからかなり離れた、寂しい小さな街にあるアパートの部屋にはだれも入れず、孤独と秘密におおわれた不思議な作曲家であった。彼の残した代表的ピアノ作品ジムノペティからも、そうした神秘的な雰囲気が感じられる。

彼の音楽のユニークな点に「家具の音楽」と分類された一連の曲がある。これは最初から鑑賞を目的とせず、文字通り家具のような存在の音楽だというのだ。今日でいえばBGMというところだろう。この曲を発表したときのことが面白い。まじめに演奏に耳を傾けようとした聴衆に向かってサティは、「おしゃべりしろ! 歩きまわれ! 音楽を聴くんじゃない!」と怒鳴ったという。

サティがどのような意図でこうした曲を発表したのか、その真意は研究不足のためよくわからない。多少の冗談気はあったのかもしれない。だが、音楽を人間とはまったく無関係の存在として独立させたときに、むしろ音楽と人間との真の関係が生まれるようにも思われる。全般としては、サティの音楽は、聴く者の感情を洗練し、すっきりと調律する効果があるようだ。


カリンニコフ[1866-1901]
  代表作 2つの交響曲、「皇帝ボリス」「杉と棕櫚」「ニンフ」など。
今のところ知名度の低いロシアのこの作曲家は、しかしどの偉大な作曲家に勝るとも劣らないすばらしい才能の持ち主であった。早逝ゆえに作品数は少ないが、残されたものは珠玉の絶品ばかりである。特に交響曲第1番は、哀愁を帯びた旋律が美しい名曲中の名曲だ。第2交響曲は、さらに輪をかけてすばらしい。

それは至純を極めた美しい叙情性と、躍動する生命の喜びの賛歌である。オーケストレーションの鋭い技法を駆使しながらも、それを意識させない味わい深い響き、個々の楽器は独自の旋律を伸びやかに歌う。それでいて全体がひとつに調和して進行していくという、つまりは対位法音楽の最高傑作なのである。ひたむきで純粋で、聴く者に勇気と光明を与えてくれるだろう。私が本書で目指していたものが、この交響曲にはすべてこめられている。ぜひ多くの人に聴いてもらいたい作曲家である。


スクリャービン[1872-1915]
  代表作 交響曲3番「神聖な詩」、4番「法悦の詩」5番「プロメテウス」、10のピアノ・ソナタなど。
彼は、神秘和音なる独自の音階を開発するなど、今日の現代音楽への足掛かりを築いた人物でもある。神智学者でもあったため、その作品も神秘性が濃厚である。しばしばそれは、霊的な異次元空間に導かれていくような印象を受ける。実際、彼が作曲にこめられた意図は、「音楽によって世俗から離脱させ、より高い精神的かつ霊的な境地へと導くこと」であった。

彼は、最初に官能的な楽想を配置して聴く者の気持ちを浄化させ、次に神秘的で瞑想的な楽想を持ってきて調律させようとしている。まさに音楽療法の理論にかなった構成なのである。
この意図通り、彼の作品は人間の霊的直感性を刺激し、開発する効能をもつ。ある人の説によれば、彼の音楽は人間の霊的中枢チャクラを目覚めさせる意図で作曲されたという。また、共感覚に敏感な人は、スクリャービンの交響曲を聴くと色彩が見えるらしい。実際に見たという人からの、次のような報告がある。

「私は今までに二度、スクリャービンの曲の演奏中に眼のくらむような色と光をみた。私はそれに対して予想していたわけでもないし、また別の時点にそれを繰り返すこともできない。それらは突然起こったのだ。私が光をみたのは予期しないことであったし、説明できるような、あるいは役に立つ目的もなかったのである。その経験はせいぜい数秒しか続かず、そして消え去った」


ラフマニノフ[1873-1943]
  代表作 3つの交響曲、4つのピアノ協奏曲、「鐘」「ヴォカリーズ」「公共的舞曲」、その他。
ロシアの貴族に生まれたラフマニノフは、若い頃からピアニストや作曲家としてもてはやされたが、交響曲第1番の初演が不評に終わり、深刻なノイローゼになって作曲ができなくなってしまった。ところが幸い、優秀な精神科医に出会い、催眠療法を施してもらって回復、後は順調に成功の階段をのぼり、巨万の富を築いてアメリカに豪邸を構えた。

はた目には恵まれた人生のように思われるが、その作品の随所に哀愁を帯びたメロディが登場する。もちろん、喜びのある曲もあるし、楽観性と悲観性、神聖さと官能など、あらゆる感情が盛り込まれ、しばしば葛藤が伴っている曲さえあるが、やはりラフマニノフの面目躍如たるところは、そのロマンチックな哀愁ではないだろうか。それゆえに、胸に悲哀を持つ人にとっては気持ちを浄化させ、なおかつ生きる勇気を与えてくれるだろう。


シェーンベルク[1874-1951]
  代表作 「清められた夜」、「月に憑かれたピエロ」、「グレの歌」「ワルシャワの生き残り」、その他。
12音階という、馴染みのない音階システムで音楽を作ったことで有名である。12音階について、私はそれをうまく説明する知識を持たないのであるが、全音や半音の区別なく平等に扱われた12の音階を、ある一定の規則性のもとに演奏するというものらしい。簡単にいえば、ハ長調とかイ短調といった「調性」をなくしてしまったわけである。

「清められた夜」は、美しい旋律を持ってはいるが、どことなく暗く、何かの緊張をはらんでいるように思われ、手放しで調律音楽になるかどうかは疑問である。「月に憑かれたピエロ」は、こちらまで頭が狂ってしまうような不気味なもので、ある意味でカタルシス効果があるのかもしれないが、あまり頻繁に聴くことは勧められない。「ワルシャワの生き残り」は、ナチスに対する怨念と復讐の音楽であり、心穏やかに聴けるものではないことは、覚悟しておいた方がいい。伝記によれば、シェーンベルクはかなり自我の強い人間であったようだ。だからというわけではないが、自我が強すぎる場合、それは幻想と歪みの狂気へと傾きやすい。そのため、この種の悩みをかかえている人にとっては、浄化音楽として効果があるかもしれない。


ホルスト[1874-1934]
  代表作 組曲「惑星」、「吹奏楽のための組曲」、「日本組曲」、その他。
ホルストといえば「惑星」で、大変にポピュラーな曲となった。7つの惑星とその占星術的意味を結び付け、すばらしい管弦楽の手法で描いた傑作である。各惑星につけられた副題が、すなわち音楽の効能を暗示しているといえる。

第1曲の「火星」は戦争の神で、強烈な好戦的リズムにより、怒りを浄化する効果がある。第2曲の「金星」は平和の神で、うってかわって穏やかな平和な曲となり、調律音楽となるだろう。第4曲「木星」快楽の神および第6曲「天王星」魔術の神は、生命エネルギーを高める効果がある。最後の「海王星」神秘の神では、歌詞を持たない女性合唱の歌声が遠方から聞こえ、文字通り神秘的で、霊的な感性を養う効果があるだろう。


ヴォーン・ウイリアムズ[1872-1958]
  代表作 「グリーンスリーブスによる幻想曲」、「タリスの主題による幻想曲」9曲の交響曲その他。
イギリスを代表する作曲家の一人。印象主義の作風から出発し、一時、新古典主義へ傾倒した。イギリス民謡を題材にした作品が多い。彼の作品は情緒性豊かであるが、透明感があり抑制が効いている。調和的で健康的な曲がある一方で、不協和音が大胆に取り入れられ、人をとてつもなく不安に陥れる曲もある。

神秘主義的な傾向があったようで、瞑想に浸ると放心状態になり、雨の中を平気で濡れながら歩いていたという。また服装もまったく気にせず無頓着で、やや浮世離れした傾向があったようだ。都会を描いたかと思うと自然を描き、俗世を描いたかと思うと霊的な楽想が顔を出す。あらゆる異質な感情を包含した作曲活動をしており、ローズマリー・ブラウンではないが、複数の作曲家が彼に憑依して曲を書かせているような印象を受ける。
したがって彼の音楽は、対極的な2つの観念のバランスを取る効果や、病的意識、とりわけ不安などに対して浄化の効果があるように思われる。


ラヴェル[1875-1937]
  代表作 「マ・メール・ロア」、「ダフニスとクロエ」「亡き王女のためのパヴァーヌ」その他。
ラベルは「音の魔術師」といわれる。その繊細で色彩豊かな音の作り方のためである。彼は戦争で看護兵として働いた後に不眠症になり、世の中に対する不安と嫌悪、孤独によって、短期間のうちに白髪頭に変わってしまうほど苦悩した。そうした彼の繊細な神経が、作品にも反映されている。「ボレロ」が有名であるが、これは習作のつもりで作った曲だという。実際、ラヴェルの本質を反映しているのは、他の抒情的で洗練された音楽である。私としては「ダフニスとクロエ」をお勧めしたい。幻想的で霊的な世界をイメージさせ、新たな地平が開けたような希望を感じさせる。それは苦悩を解毒させる効能を持っている。


レスピーギ[1879-1936]
  代表作「ローマの噴水・松・祭り」「リュートのための古風な舞曲とアリア」
レスピーギといえばローマ3部作だが、曲線的な旋律に溢れたこの作品は明るく楽しくにぎやかで、こだわりなく人生を楽しむ楽観性を養う意味からも評価できる。何よりも色彩感がすばらしい。また、「リュートのための古風な舞曲とアリア」は、美しく叙情的な旋律で心の安らぎ、平和をもたらしてくれるだろう。


バルトーク[1881-1945]
  代表作 「オーケストラのための協奏曲」、「中国の不思議な役人」「弦楽のためのディベルトメント」、その他。彼は幼い頃から虚弱体質で病気がち、生涯を通して傷つきやすい神経の持ち主であったが、その音楽は強靭で生命力に溢れている。民謡を取り入れながらも、現代音楽の、やや無機的ともいえる作風が特徴だ。
リズムや打楽器を重視している点から、抑圧された生命力や願望などを解放させる効能を持っている。また、ある種の知的統制感を与える効果もあるようで、頭が混乱しているようなときに聴くと、スッキリするかもしれない。


ストラヴィンスキー[1882-1971]
  代表作 「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「春の祭典」、その他。
彼の作風は時代によってずいぶん異なるのであるが、いわゆる3大バレーを彼のスタイルとしてもいいだろう。「春の祭典」は、異教徒の野蛮な儀式を描いたもので、いけにえに選ばれた処女たちが、踊り狂って息絶えるという、そんな内容を持っている。無骨なリズムが特徴で、ティンパニが活躍し、金管や弦楽器は、打楽器のような鳴らされ方をする。原始的な闘争本能を抑圧させがちな現代人にとっては、浄化音楽としての効果が高いといえる。

「火の鳥」は、この中に浄化音楽と調律音楽とが、音楽療法的な視点から見てうまい具合に配列されている。これ1曲聴けば音楽トリートメントが一応終了するともいえる。
冒頭の不気味な低音リズムは不安を駆り立て、中間部で訪れる「魔王カスチュイの凶悪な踊り」では、怒りが爆発する。ここまでで読者は浄化プロセスを終了する。やがて穏やかで平和な曲調に移り変わり、気持ちが調律されて心地よいアルファ状態に導かれる。そして最後に、輝かしく力強く盛り上がり、夢うつつの状態から覚醒に導かれて終わる。


プロコフィエフ[1891-1953]
  代表作 7つの交響曲、ピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲、バレエ「ロミオとジュリエット」「ピーターと狼」など。
彼は帝政ロシアからスターリン体制のソビエトという激動の時代を生き、革命後はフランスやアメリカに亡命して活躍したが、やがて祖国に戻る。破壊的なほどの躍動感とクールな叙情性が基本だが、一方で無機的な傾向もあり、自由自在に旋律を操っている印象を受ける。すなわち、彼の音楽には多彩な心情がこめられているのであり、それらがすっきりとうまく処理されているのである。そのため、いろいろと雑念が浮かんで考えがまとまらないような場合、決断をしなければならないような場合に、内的バランスを回復する効果が期待できるだろう。


ガーシュイン[1898-1937]
  代表作 「パリのアメリカ人」、「ラプソディー・イン・ブルー」オペラ「ポギーとベス」ピアノ協奏曲など。
音楽評論家の志鳥栄八朗氏の言葉を引用させていただくと、「そのジャズの手法によるすこぶる華やかでしゃれた作風とは対照的に、彼の日常生活は、きわめて慎ましかったのである。自分に対してはつねに厳しく、思慮深く、自己批判を忘れず、賭事はもちろんのこと、深酒もせず、食事もぜいたくを好まなかったという。

その反面他人に対しては、とてつもなくやさしく寛大で、自分が天才作曲家であることを自慢したことはなかった。そうした彼の控えめな性格は、老若男女を問わず、だれからも愛された」ということだ。彼には、やや禁欲的な傾向があったのかもしれない。そのためその音楽は、自分自身をうまく表現できず、禁欲的に抑えているような人に対して、うまく自己表現する開放的な刺激を与えてくれる効能を持っている。


ショスタコーヴィチ[1906-1975]
  代表作 15曲の交響曲、15曲の弦楽四重奏曲。他、ピアノやチェロなどの協奏曲など。
彼の音楽は、当時のソ連体勢との関連で考えないわけにはいかない。やむなく社会主義を賛美する作品を書く一方で、本音が見え隠れする音楽も手掛けている。彼の交響曲のほとんどが、何か厚い黒雲のようなものでおおわれているのは、そのためであろう。そうした抑圧の下で、反抗的で悲痛に満ちた叫びや激烈なまでの怒りが爆発し、痛烈な皮肉とユーモアが顔を出す。緊張、闘争、緊迫、抑圧、爆発、陰鬱さが感じられる。

通常は音楽の土台を支える脇役的なコントラバスが、比較的早いリズムでメロディを打ち鳴らす。また何かに衝突したように急激に楽想が変化する。こうした音楽作りには無意識の病的感情を刺激し表面化させる効果がある。そのため、ショスタコーヴィッチの音楽は、とりわけ怒りや不満を抑圧させている人にとっては絶好の浄化音楽だといえる。
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by sigma8jp | 2008-11-18 22:15 | 「天球の音楽」と聖なる七音 | Comments(0)

大作曲家とその音楽がもつ影響 1

ヴィヴァルディ[1678-1741]
  代表作「四季」「調和の幻想」その他。
自然の生命力を明確にとらえ、音楽に表現する才能を持った作曲家である。彼は女性との豊かな交際があったが、その結果として女性的な感性を養い、自らの作品に反映させたようだ。そのため、男性的な攻撃的社会に対して、受容性や統合性という女性的原理の影響を与えたと思われる。きわめて曲線的かつ調和的な内容を持つため、情緒的な安定をもたらし、その明確さは知的な洗練さを刺激する効能を持つだろう。心配性や漠然とした不安がある人、意気消沈や孤独感のある人には大きな癒しとなるはずだ。


テレマン[1681-1767]
  代表作「ターフェルムジーク」「フルートと弦楽のための組曲」、その他。
ヴィヴァルディと似た雰囲気があるが、より人間的である。膨大な数の作品が残されているが、われわれが耳にできる作品は少ない。過度な情緒に傾くことなく、常にバランスを取ろうとする音楽構成が感じられる。そのためとらわれやこだわりのなさ、均衡と秩序と清廉さを与える音楽となっている。健全な精神状態を呼び覚まし、気持ちを調律して落ち着かせ、生命力を湧き立たせ、知的な鮮明さを与えるようだ。イライラするとき、妄想や雑念が消えないとき、あるいは何らかの中毒的な状態から解放する際の助けになるかもしれない。


ヘンデル[1685-1759]
  代表作「メサイア」「王宮の花火の音楽」「水上の音楽」、その他。
当時の音楽評論家のひとりは、ヘンデルについて「猪突猛進型であり、粗野でエネルギッシュであるが、悪意はなく、術策をろうする人ではなかった。堪忍袋の緒が切れて激しく怒ったときでも、つねに一種の上機嫌さとユーモアとを忘れていなかった」と評している。これは、彼が感情をうまく昇華させコントロールできた人物であることを意味する。そうした傾向は彼の音楽にも反映され、感情を支配する力を養うことができそうだ。

また適度な爆発的効果の音楽作りをしており、それが穏やかな浄化効果をもたらすだろう。と同時に崇高な宗教性を刺激し、意識を世俗的関心から高い霊的存在へと向ける効能を持っている。浄化は普通、「火と水」で行われるが、彼がその両方についての音楽を作曲していることも象徴的である。過去を後悔したり、小さなことが気になるときは、ヘンデルの音楽は効果的であろう。


J・S・バッハ [1685-1750]
  代表作「管弦楽組曲」「トッカータとフーガ」「ゴールドベルク変奏曲」「ブランデンブルク協奏曲」、その他。
バッハはフーガや対位法など、作曲技法の創始者ともいうべき人物で、後世に多大な影響を及ぼしたが、このことは世界人類の意識に対しても計り知れない影響だったはずである。というのも、本文で解説したように、対位法(フーガも広い意味での対位法といっていいだろう)は、霊的故郷の高度な調和性の音楽的表現であり、そのため対位法を耳にすることは、知らずに霊的な調和を意識に再現していることになるからだ。

バッハの音楽には、それほどの曲線性は感じられないが、しかし非常に純粋で高度な調和性が脈打っている。それは一種の幾何学であり、ピタゴラスが魂の調律のために採用した学問と同じ性質を持っているわけだ。その点で、バッハは霊的故郷の響きをもっとも純粋な形で再現しているともいえる。
音楽療法的な効能としては、静謐な感情を回復させ、公正な判断力やバランス感覚を養う効果があるようだ。主に魂に働きかける要素が強いので、世俗的な感情が強いと理解しにくいかもしれない。BGMのように流して無意識的に浸透させるような聴き方もひとつの方法だ。


ハイドン[1732-1809]
  代表作 オラトリオ「天地創造」 交響曲「告別」「驚愕」「軍隊」「時計」「ロンドン」弦楽四重奏曲「ひばり」
ハイドンは交響曲の父とか弦楽四重奏曲の父などと呼ばれるが、実際にたくさんの作品を残した。またユーモアの持ち主だったようで、「驚愕」という交響曲は、眠くなりそうなところで打楽器の強打が入り、聴衆は驚いて目を覚ます。だから「驚愕」という具合だ。
ハイドンの音楽は、明朗快活で嫌みがない。したがって、気楽さ、楽観性、喜び、心身の健全さを育む効能を持つといえる。落ち込んだときや、リズムを乱して物事がうまくいかないとき、また心身や生活の歪みを調律するときに効果的だと思われる。


モーツァルト[1756-1791]
  代表作 交響曲39番、40番、41番、「レクイエム」 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」その他、多数。
神童と呼ばれたモーツァルトは、35歳の若さで亡くなるまで大変な数の作品を残し、とりわけディベルティメントやセレナードなどで果たした業績は大きいといわれる。人類に対する影響力については、天真爛漫さ、無垢な愛の喜びといった、人間をより人間らしくさせる感情的豊かさを養った点であろう。

モーツァルトの音楽は、音楽自体が持つ必然的な展開で構成されている。人間が作曲したというよりは、音楽自ら地上に舞い降りたようである。だから、無駄な音符を感じさせない。不足も余りもない。展開はそうなるべくしてなる。したがって、モーツァルトの交響曲はシンプルであり、素人でも少し練習すれば演奏できるくらいなのだが、いかなる名指揮者と名オーケストラでさえ、真の意味で彼の曲は演奏できないのである。あまりにも洗練された完結性のため、演奏すること自体が作品を歪ませることを意味するからだ。

彼は、天使の音楽を感知して地上にもたらした作曲家である。その作品は翼によって自由に天を舞う天使のように、われわれの気持ちを軽快にし、純粋にし、自由に解放し、またキューピッドのように、愛を目覚めさせるすばらしい効能を持つ。もっとも、晩年の「レクイエム」などからは、荘厳な音が聞かれ、聴く者に精神的深みを与えるだろう。
また、モーツァルトは秘密結社フリーメーソンの会員であったことも知られており、その神秘的な教えがオペラに隠されているということもいわれている。


ベートーベン[1770-1827]
  代表作 9つの交響曲、5曲のピアノ協奏曲、16曲の弦楽四重奏曲、バイオリン協奏曲、ピアノ・ソナタ、その他。
ベートーベンの音楽の果たしたもっとも大きな意義は、人間の感情の幅を拡大させたことである。すなわち、彼の音楽を通して、われわれはさまざまな感情が刺激され意識化されるのだ。そこには、人間として学ぶべき勇気があり節度があり、愛があり感謝があり、克己があり忍耐がある。あらゆる美徳の宝庫である。交響曲のすばらしいことはいうまでもないが、弦楽四重奏曲における深い精神性と崇高な宗教性は、聴く者の心をいつしか高貴なものに変えてしまう力を持つようだ。
ベートーベンの音楽は、人間的な心の豊かさを養い育て、その結果として他者を理解し、思いやる気持ちを芽生えさせてくれる効能を持つ。もしも精神的な師匠がいなければ、とりあえずベートーベンの音楽を師にするとよい。どんなときでも、彼の音楽から進むべき道の啓示が与えられることだろう。


シューベルト[1797-1828]
  代表作 交響曲第7(8)番「未完成」、8(9)番「ザ・グレート」、15曲の弦楽四重奏曲、歌曲集、その他。
彼の作風は詩にたとえられるが、それは詩の一節のようにテーマが丹念に繰り返され、そこに歌心があるためであろう。また、彼は主に自分自身のために作曲していたようだ。31歳の若さで不遇な中で亡くなったせいもあるのか、作品にはやや自己憐憫をあおる傾向が感じられる。だが、それは浄化音楽となるだろう。まったく自己憐憫の傾向がない人はいないのだ。
シューベルトの音楽には愛が流れている。しかしその愛は、高潔な愛というよりは陰りと弱さ、ぬくもりを感じる人間的な愛だ。それゆえにわれわれは、自分自身を同化させることができ、傷ついた心は慰められ、苦痛が緩和されるのである。


ベルリオーズ[1803-1869]
  代表作 「幻想交響曲」「イタリアのハロルド」「レクイエム」
彼の作曲へのインスピレーションは、火のように激烈な調子で訪れる。そうした傾向は人生にも反映され、婚約破棄された女性とその母親を殺すために、ピストル二挺を持ってフィレンツェからパリまで直行した。途中で考えが変わって実行には及ばなかったが、もう少し距離が近ければ、どうなっていたかわからない。大作「レクイエム」の作曲の際には、音楽が泉のごとく霊感として溢れ出て、速記法をしても間に合わなかったといわれる。

そうした炎のようなベルリオーズの音楽からは、2つの影響力を感じることだろう。それは狂気のような激情を発散させる浄化効果と、強い宗教的な衝動である。
彼の代表作「幻想交響曲」は、標題音楽の分野を切り開いた傑作だが、恋人にふられ、アヘンを飲んで自殺をはかるが死にきれず、奇怪な魔女たちによる乱行儀式の幻想を見るという内容だ。前半は優雅に美しく展開されるが、後半から少しずつ不気味になっていき、ついには狂気に満ちた激烈な音が炸裂する。


メンデルスゾーン[1809-1847]
  代表作 交響曲第3番「スコットランド」第4番「イタリア」「真夏の夜の夢」、バイオリン協奏曲、その他。
結婚式には必ず聞かれる行進曲の作曲者であるメンデルスゾーンの音楽は、きわめて健全でよくまとまっており、さわやかで光明がただよっている。そのために心身を本来の正常で活力溢れる状態にさせる効能を持つ。これは、38歳という短命で亡くなったことはともかくとして、生前はきわめて幸福な人生を送った彼自身が反映されているためでもあろう。彼の音楽は幸福をもたらす音楽である。


ショパン[1810-1849]
  代表作 ピアノ協奏曲1番、2番、「雨だれ」「別れの曲」「革命」その他ピアノ作品多数。
気まぐれで激しく、周囲から恐れられていたコンスタンチン大公爵は、幼いショパンの即興演奏を聞くと、まるで魔法にでもかけられたように気を静めたという。このエピソードが物語るように、彼の音楽は慰めといたわりに満ちている。とりわけ、“愛”に関する痛手や傷心、寂しさについて励ましを与える効能を持つ。それは彼自身が、その繊細な感情ゆえに多くの傷つく愛の遍歴を重ね、人一倍励ましと慰めを求めていたからであろう。
ショパンの曲は、一見して即興的で気の向くままに作曲したような印象を受けるが、実際は念入りに考え抜かれたもので、楽譜が印刷された後にも検討を繰り返したという。一見さりげなく、しかし綿密に考え抜かれたような音楽には、高い癒しの効果が宿っている。


シューマン[1810-1856]
  代表作 4つの交響曲、ピアノ曲「クライスレリアーナ」「子供の情景」、ピアノ協奏曲や歌曲集など。
シューマンの音楽は、作曲者自身が病的な傾向を持っていたにもかかわらず、きわめて健康的でさわやかである。若いころの紆余曲折、多感で空想的で気まぐれな反面、ピアノ曲だけに10年も費やすという偏執的な一面もあり、晩年は精神疾患(鬱病、分裂病、幻覚)で苦しんだ。ところがその反面、物事を公正に判断評価するきわめてすぐれた鑑識眼の持ち主だった。

ショパンやブラームスなどの才能を認め、自分とは意見の違うリストも偏見なく認めている。不可解な人ではあるが、理知的に洗練され、親切でやさしい一面を持っていたことは確かだ。
シューマンの音楽は若々しく新鮮で、深い愛と善意が潜在している。彼の音楽は、愛とロマンと若々しさを求める人に対して、穏やかな効能を発揮してくれるだろう。


リスト[1811-1886]
  代表作 交響詩「前奏曲」「ファウスト交響曲」「ハンガリー狂詩曲」他多数の交響詩、ピアノ協奏曲、ピアノ・ソナタ
リストの若い頃の写真を見ると、まるで少女マンガのヒーローそのものである。髪は長く、痩せた長身に、陰のある繊細でハンサムな顔、そして神童と仰がれたピアノ界のスター、財産もある。これで女性にもてないはずがない。そして当然のことながら女性にもてた。多くの女性遍歴を重ね、悩みもあったが、まあ、控えめにいっても恵まれていたわけだ。こういう男は、同じ男性として見ると、妬みもあるだろうが、たいていはキザで嫌な奴と決まっている。

ところがリストはそうではなかった。人間的にも真に立派な男だったのである。若い芸術家に対して物心両面からの援助を惜しまず、その才能をあたたかく励まし、必要なら金銭も惜しみ無く与え、活躍のチャンスさえ手配した。それで恩に着せることも、もちろんなかった。無報酬で慈善コンサートを開くこともあった。ベルリオーズ、ショパン、ブラームス、ワーグナー、ボロディン、グリーグ、スメタナと、どれだけの人が彼に助けられたかわからない。

ただ、リストの娘が夫を捨ててワーグナーのもとに走り、またワーグナー自身があのようにひんしゅく者であったから、さすがのリストもワーグナーに対しては快く思っていなかった。しかし、ワーグナーが芸術上、非常に価値ある事業を行おうとしたときには、個人的な感情を捨て、全面的にワーグナーを援助したのであった。何という懐の大きな、あたたかく豊かな人間性であろうか。これなら女性でなくても、男だって惚れこんでしまうだろう。
晩年は修道僧のような隠遁生活を始め、教会音楽の作曲に没頭したり、後進の育成に精を出した。

リスト自身があまりにもすばらしいので、それにばかりに紙面を裂いてしまったが、音楽については、交響詩を発展させた業績が評価されている。彼の音楽は、あらゆる要素を受け入れて同化しようという、やはりある意味での度量の深さと向上心とが感じられる。おそらく、心理的にもそうした効果があるに違いない。


ワーグナー[1813-1883]
  代表作 「タンホイザー」「ローエングリン」「ニーベルンクの指環」など。
ワーグナーの作品のほとんどはオペラであるが、序曲だけが演奏会で取り上げられ、そこに偉大な精神を聴くことができる。すなわち、いかなる困難にも負けない不屈の意志力と、神的な世界への燃えるような求道心である。弱気になったとき、挫折しそうなときは、彼の音楽が自信と闘志をかきたててくれるだろう。非常に強い効果のある音楽だといえる。
ヒトラーに利用されたために、あいにくその影響力は人類にとってネガティブなものとなってしまったが、個性の強いその音楽は、それを聴く者にプラスの影響を与えていることは確かであり、それは表立ってはいないところで脈打っているに違いない。


フランク[1822-1890]
  代表作 「交響曲ニ短調」「弦楽四重奏曲」 交響詩「贖罪」他オルガン曲など。
彼は、神智学でいわれる霊的指導者クートフーミーの直接の影響下にあり、その曲は物質と霊の次元を結ぶ架け橋であると、ある神秘家はいっている。地味で律義で善良であり、常にマイペースの人であった。自作の曲が初演されたのはいいが、さんざんな不評でこきおろされたにもかかわらず、彼はまったく平然として、「思っていた通り、とても良い曲だったよ」と家族に語ったという。オルガンを愛した人で、人柄も作風もブルックナーと似たものがある。
フランクの音楽は、献身、とりわけ神や宇宙の法則に対する献身や素直さ、柔順さ、素朴で単純であることのすばらしさを教えてくれる。


ブルックナー[1824-1896]
  代表作 11曲の交響曲、ミサ曲など
未完の大曲となった交響曲第9番には、「敬愛なる神に捧げる」との献呈がある。深い信仰心を持っていた様子がうかがえる。純朴な信仰に生き、世間的には不器用で浮世離れし、変わり者であったが、真に敬愛すべき作曲家のひとりである。作品はワーグナー的な壮大さに加え、彼独自の宇宙的な響きをかもしだしている。オルガンを思わせる重厚な音の作りは、魂を揺さぶる効果を持つと思われる。曲はまるで光の大河のように流れる。それは神への祈りであり、自然への賛歌でもある。告白的であると同時に内省的である。そのため、それを聴く者の心にも、不動の信念やひたむきな気持ち、宗教的な敬虔さを目覚めさせる効果がある。

ただ、ブルックナーの音楽には、人を寄せ付けないバリアのようなものがあり、そのため彼の奥深さを理解するのはなかなか難しい。その理解のためには、最初からある種の信仰心が必要だともいわれている。私自身の感じでは、物事の白黒をはっきりさせないと気がすまない人は、あまりブルックナーには向かないようだ。こういう人はむしろマーラーを好む。しかしおおらかに事を構えて成り行きを信じているタイプは、ブルックナーがわかるようだ。
とにかく、少しくらい彼の音楽を聴いたからといって理解できるものではない。その奥深さは信じられないくらいである。
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by sigma8jp | 2008-11-18 22:10 | 「天球の音楽」と聖なる七音 | Comments(0)