カテゴリ:「自然魔術」と「古代の儀式」( 6 )

ゲプザーのマインドセルという概念

魔術的なマインド「セル」(精神細胞)とは
 ゲプザーの著作と関連があるのは、アモールクの宇宙意識の概念が同調のシステムであり、ゲプザー教授のマインド「セル」(精神細胞)の概念に提示されている、意識の古代の、魔術的、神話的、理性的、そして「透明」な段階までをも含み、さらにそれより遥かに広い範囲を含んでいることです。

ゲプザーの言う「古代の」段階は、下意識的本能や情動的な力としてだけでなく、有機化学的な変成や量子電気力学などの背後で作用している宇宙原理の形態で、ピタゴラス派の超図形(metapatterns)も含め、形而上学の四大要素に対応させている。

アモールクの教義に常に含められていました。一方、ゲプザーの言う「透明な」段階は、私たちがソール意識の真の投射全体の中にいるように、同時に2ヶ所に存在していることを意識している時に予期なくして起こります。

以上のことから、私たちは、アモールクはゲプザーのマインド「セル」の概念の中の5つの意識の側面全部を包含していることに注目するのです。この文脈の中では、「マインド(精神的)」という言葉は、「透明であることは、霊的なものが発現する形態である」として、意識的に認識可能な、常に存在する潜在能力のことを言っているのです。

ゲプザーの<マインド>の概念は、カバラに類似した10段階の放射であるアモールクの<ヌース>の概念とは異なります。しかしアモールクには、意識の5段階があります。それらは、客観的、主観的、個人的下意識(ソール意識)、非個人的下意識(<大霊>、<キリスト意識>、<宇宙意識>)、そして超意識(<宇宙的>、あるいは<普遍的>)です。

話を戻しますと、アモールクの教義は<宇宙>の基礎的な法則と原理を包含しています。そして、それらは、<宇宙意識>のあらゆるレベルの階層に適用することができ、ゲプザーの言う意識に関する古代の、魔術的、神話的、理性的側面、そして彼の暗示した「透明性」をも含んでいます。しかしこの時点で、私たちは、この記事の主題である魔術的意識の段階とは何であるのか、そしてどうやってその誤用の恐怖を根絶するのかをさらに探求する必要があります。
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-15 01:16 | 「自然魔術」と「古代の儀式」 | Comments(0)

ルネサンス期の魔術

自然魔術と古典科学
 ルネサンスの功績は自然魔術を復活させた事にある。実際、力概念の発展と遠隔力、「磁力の隠された力」が魔術的な研究対象でもあった。15世紀後半に、新プラトン主義やヘルメス思想を発掘し魔術思想を復権させたのは、フィレンツェのプラトン・アカデミーに集う人々だった。

指導者、マルシリオ・フィチーノ、ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラは、ヘルメス主義に強い関心をもったコジモ・デ・メディチの庇護の下に学問に勤しんだ。フィチーノとピコの復活させた知的魔術は、中世の民間魔術とは、重なるところがあるにせよ本質の異なった活動とみなされた。

自然魔術は、神的で健全なるものであリ許されるべきものであるとピコは述べる。またフィチーノも晩年の「弁明」において、魔術は、二種類に分類され、一方は特殊な宗教儀式により、自らデーモンと一体化させ、其の助けにより怪異を企むものである。がしかし、其れとは異なるもう一方の魔術は、自然的事物を驚くべき仕方で形成されるように、ころあいを見計らい自然的な原因に服させるものである。と区別した。また、フィチーノは、自然魔術を身体の健康増進のため、自然物を用いて天体の助けを得ようとするものであるとも述べている。

また、ルネサンス時期の魔術思想では、人間を小宇宙に喩えて大宇宙の生命的な力を人間内部に取り込み利用する事が可能と考えられてきた。フィチーノが1469年に書いたプラトンの『饗宴』に対する注釈では、「魔術の力は全てエロスに由来する」とある。つまりこの力、ピコが宇宙の共感となずけ、フィチーノが晩年精気によって媒介される「天の力」と呼んだものは エロスの力の謂であった。

フィチーノは、魔術の仕事として こう述べる。二つの別々なものさえ本性さえ似ていれば、其の本性の力をかりて、二つを引き寄せ 一つにする事である。世界にあるもの全て一人の作り手によって作られているので、本性は共通であり、だから互いに結びついているわけである。

それは動物の体と同じである。頭脳 肺 心臓 肝臓など我々の体の部分は互いに引き合い 助け合い それらのどれかが 苦しむ時は皆一緒に苦しみを分かち合う。相互の類似は相互の愛を相互の愛は、相互の引力を生むが是こそが魔術の真髄である。この魔術の力によって 磁石は鉄を 琥珀は麦藁を硫黄は火を呼び寄せる。太陽は多くの花や葉を自分のほうにむかせるし月は水を火星は風を引き寄せる定めなのである。

ルネサンス時代の学者にとって、自然は象徴と隠喩の集合体であり、宇宙は巨大な力のネットワークだと考えた。そして魔術とは、宇宙と一体となる事による自然的事物に中に隠された意味を感知し解き明かす森羅万象に行き渡るネットワーク操作の科学に他ならなかったのである。
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-15 00:18 | 「自然魔術」と「古代の儀式」 | Comments(0)

中世後期の魔術

  中世キリスト教社会において魔女狩りが盛んとなり、村の薬草知識のある者、古い神を祀っている者、占いをする者などが次々に捕らえられ、魔女裁判にかけられ火刑にされた。 幽暗で禍々しい民間魔術の類は異端として抑圧され 地下世界の潮流としてのみ存在していた。

とりわけ教皇庁の置かれていたイタリア社会は、群小国に分断され 小国家と教皇庁の間で 領土と財産を巡る 世俗的抗争により 長期にわたり荒廃 混乱が巻き起こり その間隙をぬって 商人 職人 役人が確実に力を獲得した。
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-15 00:14 | 「自然魔術」と「古代の儀式」 | Comments(0)

中世初期から中世中期までの魔術

 キリスト教会が魔術を悪魔の術として非難したにもかかわらず 「信仰の時代」(中世)にあっては、魔術が広く信じられ盛んに行われた。ローマ時代には、適法とされ この寛容さは中世初期まで続いていた。また地域によっては 更に長く続いたともいわれている。ウォルター・ローリー卿は,魔術を賛美し 魔術こそは「奥の奥に秘められし善なるもの」に達する道であると言った。彼によれば 魔術は、「最も奥深いところにある各種の善を明らかにし 自然の秘められた懐から 其れを引き出し 人間に役に立ててくれる。」と明言した。

貴族たちは、宮廷に魔術師や占星術師、占い師を召抱え政務運営の手助けをさせた。学者たちは 注意深い手つきで 魔術師たちを様々な種類に分類した。それはまるで異端の魔術師と容認可能な魔術師とを 区別するかのようであった。古代の魔術師たちは、大いなる魔法の知恵の所有者として尊敬されていた。

伝承と混乱が同居していたのが 実際の魔術の共通する特徴であった。このことは、人々から魔術の働きに欠かせない超自然的な力を呼び覚まさせてくれるものと信じられていた。多くの口頭のまじないや聖なる名前の場合、特に顕著だった。

魔術師は、魔法を行う場所に向かう道すがら 護身の為にまじないを唱えた。魔術書には、沢山のまじないが順を追って 次々に記載され あるまじないで、精霊が嫌がり出てこない場合は、更に強力な名前を持つまじないを唱える事で必ず効果があると保証されていた。出現を頑固に拒否するデーモンは、永遠の苦しみを与えると脅され、それでも出てこない場合 業を煮やした魔術師たちは、自ら神の役を演じ剛情な精霊たちを 魔法の力で 地獄の更に深い領域へと追いやった。

真面目な魔術師たちは、デーモンに波紋を宣告することを馬鹿げた事とは 気づかなかったようである。デーモンにしてみれば 神とは既に縁が切れていて 教会との関係が悪くなろうと苦痛などなかった事に気づかなかったのである。kのような事情にもかかわらず 魔法使いたちは破門用のまじないを唱えた。

魔術の呪文集には 失敗したときのための口実が記載されていた。魔術道具の制作にあたり 複雑なまじないを唱えたり 肉体の消耗を伴う斎戒、断食 苦行を行うなど 際限のない注意を払わなければならず 呪文集に記載された聖なる名前や 呪文の一覧表の暗記 また呪文を一字一句間違えず唱える事は、困難極まりなく 実際 魔術を行うのなら 怠け者 愚か者 文盲には、手に負えない代物だった事は 確かであった。

たとえば、『小アルバート』と言う魔術教本の呪文集には 「姿を隠す」「輪」の制作方法が記載されていた。この「輪」は、ハイエナの頭の三本の毛で編まなければななかった。しかし ヨーロッパには、ハイエナは、ほとんど生息しておらず 仮に探し出せたとしても 短いハイエナの毛で 輪をあむなど困難な事である。このように魔術書には 例外なくこの種の実行不可能な処方が記されていたのである。

魔術に対する信仰は、宗教のそれと同じであった。魔術も宗教も 聖職者による儀式と口頭で唱えられる呪文に依拠していたり 双方とも人間を超えた上位の力に祈りを捧げる必要があった。魔術も宗教も 懇請や強制の手段として称名を用いた。したがって 信心深いキリスト教徒も 不信心名人々同様  数多くの略式のまじないを使い魔術を行ったのである。

農民たちが行った魔術は、荒削りなのが通常で 文字で書かれた処方を必要とするような 秘密の名前や長々としたまじないは含まれて居ない。また文字が読めない魔女たちは 治療の為、田舎流の粗野なまじないの場のように魔術的な行為だけを行っていたとされる。そういった魔女から治療を受けた多くの者たちに 患部の痛みの軽減が見られた。

また教会でも 教会自身の手で魔術的な治療を行っていた実際の例もある。1880年、フィラデルフィアにある教会が、これを買えば一年間喉の痛みに苦しむ事はないと ありがたい蝋燭を売り出した。キリスト教徒たちは 教会が設立された当時から 魔術を行ってきた。五世紀、アンタキアのイサークは、信者だではなく聖職者「魔術師のまじないを身に着けている」と不満を表明した。彼らは 聖なる十字のかわりに 悪魔の書物を持ち歩き ある子供は 悪魔の名を身に着け教会にやってくると言うのだ。

当時異教の護符には キリスト教の護符と同等の護身力があると信じられて ほかならぬ 聖ヒエロニムスその人までが サファイヤの護符は 主君からの寵愛をもたらし 敵を宥め 囚われの身を自由にすると断言した。キリスト教会筋にしても  神の数々の秘密の名が収められた護符を身につけていれば  その人は 間違いなく不幸な死から身を守ることが出来ると言った。

アグヌス・デイ(神の仔羊)と呼ばれたメダル型の蝋の塊は、教皇ウルバヌス五世によって 稲妻、火、水から確実に身を守る護符であり また安産と罪の許しのお守りであると広く宣伝された。教会は、そのご 馬の蹄が割れないお守り、病気予防のお守り、精力増進のお守りなど 次々に護符を発明し 売れ行きは、上々だった。
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-15 00:13 | 「自然魔術」と「古代の儀式」 | Comments(0)

古代魔術

  旧約聖書で Adamが 最初に行った事は 物に名前をつけた事だと言われている。古代人が言葉や名前を崇敬したことにより 精霊や別の世界に住む神々を呼び出す呪文として魔術としての力が宿った。飾鋲の革表紙の中世の魔術教書や呪いの本に 真鍮製の鍵をさし 印字された羊皮紙を熟読すれば 邪悪な魔術の秘密が明らかにされる。人間は、支配したがる動物である。人間が同じ人間の命や領土を支配し始めようともくろんだ時、魔術の力は言葉を借りて発動しだす

著名なエジプト学者 E・A・ウォリス・バッチによれば 「魔術師は 神々の使者兼執事として仕えた。大自然の力は 彼の力を認めていた。だから風や雨 嵐や暴風 川や海 そして 病や死が 彼に敵対するものや 天と地の神々や天上界から 彼が苦心して手に入れた言葉の知識を授けた人々の敵に対して悪をなし破壊したのだ。」

この不思議な力の言葉(ヘカウ)は エジプトの魔術師たちの手に落ちると 危険な武器にもなりえ 彼らがひとたび魔力を有する言葉を唱えたり祭式を行ったりすると 敵は徹底的に打ち負かされた。言葉が人々に絶大な影響力を持っていることに疑問の余地はない。大昔の、エリートたちは 言葉で雄弁に人々を十字軍へ前線へと駆り立てた。其の点では 詩人や俳優 カリスマ的存在の弁士などは いつでも容易に魔術師になれた。

古代エジプトが新興国だった頃 現支配者を権力の座から引き摺り下ろす企てが試みられた。紀元前1200年、ラムセス三世はエジプトを統治していた。彼の治世は平穏とはいえなかった。そこでラムセス三世の暗殺が企てたれた。

反逆者フイは、読み書きができたので 王家の牧場の監督という高い階級に属していた。しかしフイは、この政治的現実に気づき 王家の図書館に保管されている巻物を盗んだ。その巻物には、人の心に恐怖を植え付け 正気をなくさせる呪文が書かれていた。フイは、教本通りヘカウを唱え 魔術儀式を行った。

その結果、巻物(魔術書)に書かれた約束の記述の通り 恐怖にかられ正気を失い 自らの手で命を絶った。しかし死んだのは フイ自身であった。陰謀がラムセス三世の知るところとなり フイのクーデターは、失敗に終わったのであった。フイは 邪悪な意図をラムセスに送ろうとしたが 彼の元に跳ね返り自らの破滅となったのだ。

紀元前670年、古代エジプト王ヌトアメンは、ある夢を見た。潜在意識といった概念がなかった社会や文化において夢は、前触れとして捉えられた。神々は 人々が 眠りについている間にメッセージを送る。夢の中で ヌトアメンは、両手に一匹ずつのヘビを握っていた。目覚めたヌトアメンは、早速お抱えの「夢とき」に報告した。そのお告げは こうだった。「南の国は 汝のもの 更に北の国も支配するであろう」 直後に ヌトアメンは、多くの利益を得たが 現実に先駆けて比喩的に勝利を知らせる夢であったともいえる。

大英博物館所蔵の122号に分類されたパピルスには、予知夢をみる方法が 書かれているが、近代の多くの情報機関が 薬物が精神に及ぼす作用を研究してきた。たとえば睡眠遮断は 予言的未来像を見るときの一つの方法であるが あらゆる種類の精神障害を引き起こす原因とされている。

古代バビロニアでは バアル神に仕える女司祭が 夢見のために羊革のシーツを敷いた寝台で寝た。古代ヘブライ人は、遠い祖先の墓の傍らで眠った。 メキシコでは アステカ族の夢ときや  其の予知夢のため タバコ リュウゼツラン科の植物やコカなど薬物を用いた。またアステカ族は 精神を集中しさえすれば 空間移動が可能だと信じていた。精神が情報を求め移動するといった概念は、現代では、遠隔透視といった言葉に置き換えられている。

精神には 役割があり 其の一つに様式(パタン)を作り出す機能が含まれる。古代人は 天体と我々世界に直接的つながりがあると信じていた。月は 海の潮の干満を制御し 太陽は、農作物や ひいては人間の死をも支配するものだと考えた。そして 古代人の星や惑星によるパターン化は 占星術を発展させた。古代人と其の原始的な精神は 心理的に制御される経緯によって管理され かつ予測をしようとするものだった。

古代において 占星術は、高等教育を受けた知的階層が担った。教育は、主に聖職者の専門分野であったため 神政国家での占星術は 瞬く間に地盤を固めていった。
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-15 00:09 | 「自然魔術」と「古代の儀式」 | Comments(0)

ブルーノと魔術論

 ジョルダーノ・ブルーノは、1548年ナポリ近郊の町ノラで生を受けた。
1563年にナポリのドミニコ修道会に入り、10年間をかけてクザーヌス、トマス・アクィナス、カルダーノ、テレージオ、ライモンド・ルルスの学説を学んだ。しかし、ここで異端のアリウス派の教義に心を寄せたと告発され、修道院から追放され放浪の旅に出る。

ヨーロッパ各地を遍歴し、大学講師や貴族の家庭教師をやりながら生計を立てた。この間、彼は多くの著書や論文をものにする。主な著書としては「原因・原理・一者について」、「カンデライオ」、「無限・宇宙・諸世界について」、「天馬のカバラ」、「魔術について」など多数。

1592年に教え子に裏切られ密告され、異端の罪で逮捕される。翌年にはローマの異端審問所に送られ、7年間の獄中生活を送る。彼の命を救おうとする動きもあったにも関わらず、ブルーノは最後まで自説を撤回しなかったため、それらも無駄に終わった。そして、1600年に火炙りの刑となり、処刑された。

もともと、当時の自然魔術師は、常に身の危険にさらされていたわけだが、ブルーノのその中でも最悪の非業の最期を遂げてしまったのである。
ブルーノは彼の小著「魔術について」の中で、魔術を9つに分類している。

一つ目は「賢者の術(sapientia)」であり、ヘルメス・トリスメギストゥス、ドルイド教、カバラ、ソフィスト、インド哲学などの学問が、これにあたる。ブルーノによると、これこそが魔術の本質であるという。なぜなら、魔術師とは「自然に効果を与えられる能力を受け継いだ賢者」のことであるからだ。ブルーノは、ヘルメス・トリスメギストゥスその人や、ドルイド僧、カバリストなどが、そうした者達だと信じていた。

二つ目は自然魔術(magia naturalis)である。自然界の事物の持つ能動性と受容性を利用して、様々なことを行う。
 
三つ目は幻想魔術(praestigiatoria)である。

四つ目は自然魔術の第二形態である。これはポルタの言う魔術とほぼ同様だ。自然界の連鎖関係、共感と反感の作用を利用して、様々なことを行う術のことである。

五つ目は数学魔術(mathematica)である。これは、アグリッパが「オカルト哲学」の中で主張したものと、ほぼ同じものであろう。
ブルーノによると、一から四までが「自然の力」を利用した魔術であり、六から九までが「超自然の力」を利用しようとする魔術である。この五は、その中間にあたるという。

六つ目は死霊魔術(magia desperatorum)である。呪文や儀式、祈りによって、霊に間接的に働きかけ、彼らの力を引き出し、効果をもたらす術。

七つ目は降霊魔術(necromantia)である。儀式によって、霊を呼び出す術。

八つ目は妖術(maleficium)である。悪魔の力を借りて行う邪悪な術。

九つ目は予言魔術(divinatio)である。各種の占い。

だが、ブルーノの分類の判断基準は曖昧なところも多く、そもそも明確な基準も無い。
だが、ここで重要なのは、ルネサンスの魔術師の多くが、自然魔術にのみ注目してきたのに対し、超自然の力を借りて行う魔術の存在を認め、これを肯定したことである。

従来の自然魔術師達は、宇宙の法則を利用しようとしただけなのに対し、こちらから宇宙に働きかけ、作用させようとする魔術にも注目していたわけだ。そういった意味では、彼はアグリッパやトルテミウスに近い人物であった。

従来のキリスト者は、こうした超自然の力を借りる魔術に対しては、自然魔術の支持者ですら、「悪魔の技」として退けようとする者が多かった。しかし、ブルーノは、(特に数学魔術は)善悪を決めるのは、魔術そのものよりも、それを使う人間の心がけ次第である、と主張したわけなのである。
 
ブルーノの思想はクザーヌスの主張をさらに発展させたものだった。
すなわち、神とは「無限の一者」であり、宇宙はその神が展開したものである。この宇宙全土にはスピリトが充満しており、宇宙の全てを包み込み、限界というものが無い。そして、何者にも制約されない。それゆえ、天と地は同質の存在であり、宇宙とはこうした等質の空間が広がったものに他ならない。それゆえに上下の区別というものはなく、どこでも中心となりうる。

ブルーノが、地動説を支持したのも、ここから生じた考え方だった。宇宙には、絶対的な中心というものはない。したがって、地球が絶対的な中心と考える天動説は受け入れられない。また、太陽が全ての中心と考えるコペルニクス型の地動説も受け入れられない。

宇宙は等質の空間が広がったものであり、あちこちに中心が発生しうる。したがって、宇宙のあちこちには太陽系が存在する。こうした極めて近代的な地動説を彼は支持したのである。

ともあれ、ブルーノは、新プラトン主義とクザーヌスの思想を受け継いだ思想の持ち主であった。 無限の宇宙は一者にして全体である。宇宙のあらゆる存在は、その内部に世界霊魂(アニマ・ムンディ)の火花を含んでいる!
こうした考え方を持つ彼が、魔術を肯定したのは、極めて当然の結果であったと言えよう。

---------------------------------------------------------

「原因・原理・一者について」 ジョルダーノ・ブルーノ 東信堂
「ロバのカバラ」 ヌッチョ・オルディネ 東信堂
「魔術との出会い」 澤井繁男 山川出版社
「世界神秘学事典」 荒俣宏 平河出版
「ルネサンスのエロスと魔術」 ヨアン・P・クリアーノ 工作舎
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-14 23:53 | 「自然魔術」と「古代の儀式」 | Comments(0)