カテゴリ:暗夜の終末論と黎明の哲学( 4 )

「ダンテの神曲」

ダンテ、1265年~1321年
  解説を要約してダンテの生涯を追ってみたいと思う。
「神曲」 河出の世界文学全集 昭和43年発行。

ダンテの生涯を知る資料は、「神曲」を始めとするダンテ自身の作品が中心となっているようである。詳しい年代などについては、伝記作家の間で決着がついていないこともあるという。ダンテは、詩人であると共に、政治家であり、政治理論家でもあった。

「帝政論」という政治論をラテン語で書いたこともあった。人類には、1つの普遍的世界国家が必要であり、君主には神から権限を委任されたローマ民族であるべきとし、ローマ法王の宗教権力と神聖ローマ皇帝の世俗権力は分離されるべきと主張した。

ダンテの家は、代々法王党に属していた。35歳の時には、フィレンツェで国務大臣級と思われる役職に任命された。しかし、数年後に、黒党が実権を握ると国外追放になってしまった。以後は、20年近くの流浪の生活を送った。

フィレンツェに帰ることなく死の床についた。「神曲」は、流浪の生活の中で書かれ、そんな境遇もあってか、「神曲」には、政治家や、ローマ法王や皇帝、そして、フィレンツェの人々への直接的な批判も繰り返し書かれていた。

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久遠の女性
 「神曲」には、ベアトリーチェという女性が登場する。解説にはダンテの「久遠の女性」と紹介されていた。ベアトリーチェは、ダンテとほぼ同じ歳だったようだ。ダンテは9歳の時にベアトリーチェを見初めた。十八歳の時に再会し、ダンテは恋心に燃えたのであった。

しかし、ベアトリーチェは別の男性のもとに嫁いでいった。しかし、25歳の若さで亡くなってしまった。ベアトリーチェが死んでからの10年間をダンテは、自堕落(自暴自棄)に過ごしたことが解説に書かれている。「神曲」では35歳のダンテが、暗い森へ迷い込んだ場面から始まる。「正道を捨てた」ダンテは谷の先に、まばゆい光に包まれた丘を見つけ、ダンテは丘に登ろうとした。

しかし、豹と獅子と牝狼の3匹の獣に行く手を阻まれた。3匹の獣は、ダンテが犯した罪の象徴として登場した獣たちだった。丘に登る望みを捨てたダンテは、谷底へと向かう。そこで、BC70年~19年を生きた「ラテンの詩人の魂」に出会うことになる。詩人は、清らかな夫人から、「恐れのあまり、来た方へと引き返そうとしている、私の友人を救ってください!」という頼みを聞き入れていた。

清らかな女性とは、ベアトリーチェだった。ダンテは「地獄」、「煉獄」、「天国」をラテンの詩人をはじめとする案内者に従って旅をすることになる。
復活祭の一週間のできごとだった。

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神曲/地獄編
  ダンテは詩人のあとについて地獄の外門の前まで来る。地獄の外門には、「憂の国に行かんとする者はわれを潜れ!」、「われを過ぎんとする者は一切の望みを捨てよ!」などの言葉が刻まれている標識を見る。ダンテは、「先生、この言葉は難しいですね」ともらす。詩人は、ここは一切の感情を捨てることが良いのだと教える。そして、ダンテは門をくぐった。

「神曲」は、ダンテの一人称で語られている。「神曲」の中で、ダンテは「読者よ、その姿形の描写には、これ以上の詩行を当てはめることはできない」などと繰り返し読者に語りかける。「神曲」は、案内者に導かれた旅の行程が中心的主題となるが、「その間の話題は、その時には話すにふさわしかったが、今は黙するにふさわしい」などと、旅の行程をそのような形式で書き連ねることはしなかった。またダンテは、読者を十分に意識した上で、作品としての完成度を追求した。

「地獄編」では、永劫の責め苦にあえぐ亡霊たちの姿が語られている。古今東西を問わず、ダンテが描いた「地獄」は、絵画作品を始めとして、多くの作品に引用されている。たとえば、怪物が大鍋の中に、人間を逆さづりにしてほうりこんでいる場面もある。

案内者の言葉をいくつか紹介しておく。

地獄の様子をダンテに説明する案内者の言葉に、何の救いもない者たちであると、語る

「誉れもなく、そしりもなく生涯を送った連中」

「神に仕えるでもなく、そむくでもなく、ただ自分たちのためにだけ生涯を送った者たちの姿」

「天は、こうした者たちが来ると天国が汚れるから追い払うが、深い地獄の方でも、そのような者たちを受け入れてはくれぬ、こんな奴らを入れれば悪党がかえって威張りだすからだ」

「神のお気に召す者たちでもなく、また神の敵人にも入らぬ卑劣な連中たち」

「これらの連中たちは生前、人生を本当に生きたことがない馬鹿者どもだ!」

「彼らについては一切語るな、ただ目を通して見ておくとよい」

ダンテがあまりにむごい姿に、思わず泣く場面があったが、ラテンの詩人はダンテを戒め叱りつけるのであった。

「おまえまで、まだそのような愚かしい真似をするのか? ここでは情を殺すことが逆に情を生かすことになる。神の裁きに対して、憐憫の情を抱く者は不貞の屋からの最たるものだ」

地獄の最後の場面だった。ダンテは亡者に「私の助けが欲しければ、おまえが誰なのか名を名乗れ!」と言う。すかさず亡者は「自分の名を明かします」と、いい地獄に落ちた経緯を語るのであった。亡者は、「私の方へと手を伸ばしていう、どうか俺の目を開けてくれ!」とダンテに約束の履行を願うのである。

「私は、あえてその目を開けなかった。なぜなら奴に対しては、約束を応じないのが神に対しての礼儀だ」と感じたからだ。

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神曲/煉獄編
  地獄のすべてを見終えたダンテは、煉獄へと向った。煉獄は罪を清める場所である。地獄は阿鼻叫喚に満ちていた。煉獄では臨終の間際に「非」を悔いて地獄落ちをまぬがれた魂の歌声が響いていた。「地獄編」のダンテは見るもののすべてに驚愕するが、「煉獄編」のダンテは落着きを取り戻している。ラテンの詩人に再度、ダンテは質問を求めるのであった。「煉獄編」はQ&A方式でつづられていく。

ダンテが、「どのような罪が清められているのか、教えてください」と聞く場面がある。ラテンの詩人は、「自然的愛」と「意識的愛(条件的愛)」の違いを語る。「自然的愛」は誤ることがない。「意識的愛(条件的愛)」は、「目的が不純であるとか、力に過不足があるとかで、誤ることが多々ある」という。

詩人は、「隣人の不幸への愛(条件的願い)」には、3種類あることを告げられる。たとえば相手が立派な地位から転落することを願ったり、自分が蹴落とされることが心配で他人の失敗を願ったり、不正に怒り復讐の血にかられたりすることがある。そして、詩人は、そのような三様の「(非道の)愛」とは別に、もうひとつ、「度を誤って善を追う愛」があることをダンテに教えるのであった。

人間は皆、精神的な満足感を与えてくれるような(物質的な)善の存在に気がつくと、それを求めることがある。しかし、(物質的な)善を手に入れようとするあまり、「おまえたちの愛(願い)が執着の度をこすと」煉獄にくるはめになるとも言われた。さらに詩人は、他の(物質的な)善もあるが、それは至福でもなく、神の(本質)でもなく、善の根本でもないことを告げられる。それらは皆、自らにとっての善であることから人を幸せにはしない。

「この(物質的な)善をあまりに愛した者は、私たちの上の「三つの谷の中」で泣いている者たちだ。ただ、どうして「三つ」に分れたか、その理由については私は言うことはできない。おまえが自分で理由を見つけるがいいだろう。」

詩人は、ダンテの顔をじっと見つめる。ダンテは、「一切の善行も、その逆の行いも、皆もとをただすと愛(条件的自己愛)に帰するようですが、では愛(条件的自己愛)とはいったい何なのでしょうか?」と教えを請う。詩人は、次のように語る。人間たちの認識力は実態から様々なイメージを作り上げる。

魂が自分の好きなものを目指すのは本質的な現象なのだが、魂の傾向性として人間は楽しみや好きなものを好き勝手にイメージする。その魂の傾向が愛(条件的自己愛)を形づくる。愛(条件的自己愛)に囚われた魂は、愛(条件的自己愛)の対象を望むようになり、それが喜びを与えてくれるまで、その追求を休もうとはしない。

「およそ愛(条件的自己愛)と呼ばれるもの、それ自体は皆一様に称賛する者たちは多いが、それらを賞賛する者たちの目には真理は隠れ、真相は見えていないのだ。なるほど愛(条件的自己愛)の行為は常に良き行為(有意義な行為)と見えるだろう、だが、たとえそれが良く見えたとしても、そこに刻まれた「行為の印」がすべて良いとは限らないのだ!」

愛(条件的自己愛)を理解したダンテは、別の疑問を持ちはじめた。たとえば、その愛(条件的自己愛)が自然の感情から出たものであれば、愛(条件的自己愛)に向かう魂には、何も悪いものとはいえないのではないのではないか、と思えてきた。詩人は、信仰の問題はさておき、理性の範囲内でなら私にも説明できると答えた。人間が感情を持つこと自体、良いことでも悪いことでもないが、人間の価値は思考能力(判断とその目的)でほぼ決まると言った。

人間は善や悪を愛し、そのような愛を自由に「取捨選択」することができる。その道理を根本まで突き詰めた、かつての人間が「取捨選択」の自由を認めたからこそ、後世に「道徳学」を残すことができたと教えた。だから、心の中に燃え上がる愛(条件的自己愛)が必然的に発生したとしても、それを抑制する力が人間の中には具わっていることを告げられた。

煉獄の果てでダンテを待っていたのは、ベアトリーチェだった。ベアトリーチェは母の厳しさをもってダンテの10年にわたる自暴自棄の悪行を責めた。ダンテは過ちを悔い、罪を清めたのであった。ダンテは、10年ぶりに愛しいベアトリーチェの笑顔を見た。まぶしさのあまりに目がくらんでしまった。

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神曲/天国編
  ベアトリーチェと共に、天国に辿り着いたダンテは、ベアトリーチェや出会った魂たちと「人間の善悪」や「信仰」について話し合った。

ベアトリーチェは、「もし被害者が加害者に対して何もしないのに、暴力を加えられた、というだけならば、被害者にも責任がないわではない」ことを語りだした。なぜなら、暴力は意志が薄弱になるにつれ強くなるから・・・。

ダンテは、そのような暴力をもたらす人間性について次のように語った。
人間には「性格的な性分」というものがある。一人ひとり生まれてくる過程では、「性格的な性分」が決定付けられたりはしない。それは、あくまで後天的な環境がつくりだした状況により「どうしても育ちが悪く」なったるする場合がある。そのような環境で育った歪んだ魂は、時に「道」を踏み外すこともあると・・・。

「天国編」でも、同じように質疑応答形式でやりとりが交わされていく。
ダンテは、アダムやヨハネやカブリエルといった聖人たちに出会うことになる。彼ら聖人たちから直接、「信仰とは何か?」と問われたりする。その後ダンテは、キリストの姿を見かけたり、光に包まれマリアの姿を目にしたりするが、そこで語られた「天国編」の内容は、いわゆる「神学」といわれる領域にあった。

さらに、「天国編」で聖人と呼ばれるフランチェスコの生涯が語られたり、ドミニコが法王から権限を委託されて教団を設立した経緯が語られたり、カッシーノに僧院を開いたベネディクトゥスが身の上を語ったりした。
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by sigma8jp | 2008-11-21 21:22 | 暗夜の終末論と黎明の哲学 | Comments(0)

『ヤコブ・ベーメ開けゆく次元』

b0140046_23513833.jpg  1575年、北ドイツ・オーバーラウジッツのナイセ川流域の都市ゲルリッツの近郊、アルト・ザイデンベルク Alt Seidenberg に生まれる。ここは現在、ポーランド領スリクフ Sulików の一部になっている(ザイデンベルク自体もポーランド領になっており、ポーランド語名はザヴィドゥフ Zawidów)。

靴職人としての修養を終えたベーメは、1599年以降ゲルリッツで靴職人として働き、家庭を設ける。自己の神秘体験をつづった『アウローラ』によって一度は異端として非難され、休筆するものの、その後著述を再開する。

ベーメが著述を始めた時期は確定できないが、1612年最初の著作『アウローラ』 が完成する。ベーメはのちに書簡中で、この著述の根底にそれ以前の神秘体験があり、「12年もの間それ(=神秘体験)に関わった」(アブラハム・フォン・ゾンマーフェルト充書簡、ポイケルト版ファクシミリ全集第10巻収録) と述べる。正規の哲学教育のみならずギムナジウムでの中等教育をも受けていない靴職人にとってこの作業が困難を極めたことは容易に想像される。

ベーメ自身もまた、この最初の著作が文体と内容の両方に渡って晦渋であることを認めているほどである。しかし同時にこの著作にはベーメの根本的思想の萌芽が現れていることも広く認められている。ベーメは上掲の書簡において『アウローラ』について「一冊より多くの書物、一つ以上の哲学が、しかもつねにより深められて生み出される」とも語っている。

以下同書簡に沿いつつ、『アウローラ』以降のベーメの状況を語りたい。 ベーメははじめ己の体験の覚書として『アウローラ』を著し、公開する意図はなかった。しかし友人に乞われてその手稿を貸し出すうちに、これを筆耕するものも出始め、『アウローラ』はベーメの交友範囲を越えて、ゲルリッツ市民に知られるようになった。

神秘体験という個人的な幻視と、素朴なキリスト教信仰の合致から生まれた自然と人間の関係についてのこの著述は、しかし当時ゲルリッツの監督牧師であったグレゴール・リヒターにはルター派正統教義をおびやかすものとして認識された。リヒターは説教壇からベーメを異端思想の持ち主として非難し、これに呼応する市民は公然とベーメの自邸に攻撃をするなどし、ベーメの平穏な生活は脅かされた。この結果、ベーメが著述を以後しないこと、リヒターは教会においてベーメを非難することをやめるとの妥協が市の当局の仲裁によって定まり、ベーメは著述を控えることとなった。

一方でベーメの『アウローラ』を好意的に受容する者も一定数存在した。その中には貴族階級の読書人もあり、ベーメの精神的支援者となるばかりでなく、ベーメに錬金術など当時の新プラトン主義的自然哲学思想を媒介するとともに、読書の機会を与えた。

ベーメの著作に散見するラテン語はこのような友人たちからベーメが学んだものがほとんどであるが、パラケルススの著述については、これを直接読んだとベーメは証言しており、錬金術用語を『シグナトゥーラ・レールム』・『大いなる神秘』をはじめとする後の著作では大いに用いている。またこの読書はベーメに遅い年齢に達してではあるが、自己の著述を反省し言葉を練る助けとなった。

ベーメは和解の協約を守り新たな著述を行うことはなかったが、その後もリヒターは教会での攻撃をやめず、市民を扇動してベーメを悩ませた。また友人たちもベーメに『アウローラ』に続く著作を所望した。ベーメは自らの沈黙が平和をもたらさぬことを知るばかりでなく、この期間に熟成していった自己の思想をむしろ積極的に表明することが自己の使命であると確信するに到る。1618年ベーメは著述を再開し、1624年の死に至るまでの6年間に『シグナトゥーラ・レールム』を始めとする幾つかの大著、および付随する小論文、信奉者宛の書簡などで、精力的にその思想を語りだしていく。

幾つかの小論を集めて出版を勧めるものがあり1623年に『キリストへの道』を出版する。この著作は『アウローラ』同様、激しい議論と敵意の的となり、ベーメはその対応に追われて本格的な著述をする暇を取れないばかりか、ゲルリッツに家族を残してひとり退去し、ドレスデンに一時滞在することになる。しばらくドレスデンに滞在した後、ゲルリッツに戻ったベーメは病を得て没した。


〔思 想〕
 ベーメは生涯、自身の自覚としてはルター派の信仰に忠実でありつづけた。ベーメの思想の第一の背景としてはベーメが教会を通して受けた宗教教育が挙げられる。しばしば自然哲学として解釈されるその思想も、ベーメの意図としては晩年の著作の題名が示すように『キリストへの道』として語りだされている。しかしその思想はベーメが正規の教育を受けなかったがゆえに、伝統的なキリスト教の形而上学の神概念を超出している。

ベーメ研究者であるグルンスキーは、著述再開後1618年から1624年までのベーメの思想の展開を四期に分け、それぞれを波の襲来にたとえている。うち第四の波、ベーメの最晩年は『アウローラ』発表時と似たような騒動の渦中にあり、そのためベーメは書簡や自身への論難を反駁する小論の著述に追われ、自己の思想の全貌を語りうる量の著述を残していない。したがってベーメの思想の展開は、それ以前の三つの波、さらに最初の諸述『アウローラ』を中心として語られざるを得ない。

グルンスキーによれば第一波は著述再開から1622年までの時期で、この時期のもっとも整った書は『三つの諸原理について』 (Von den drei Prinzipien) である。続く第二波は1621年早くから1622年夏までであり、『シグナトゥーラ・レールム』執筆の時期に当たる。なお第三波は1622年秋から1623年秋までに当たり、ここにはベーメ最大の著作『大いなる神秘』を含む諸著作が含まれる。

ベーメは自己の思想の連続性に強い確信を抱いていた。先に触れた書簡でも、『アウローラ』の著述の晦渋さと未成熟を反省する一方で、そこに述べられた内容は『アウローラ』以前の神秘体験の数秒のうちにまったき仕方で与えられており、それを開陳するために必要な言語を欠いていたのだと述懐している。しかし研究者の間では、この一貫性を認めつつも、『アウローラ』・『シグナトゥーラ・レールム』・『大いなる神秘』をそれぞれ頂点となす思想の泳動をベーメのうちにみることが一般的である。


〔神の顕現〕
  ベーメの見たヴィジョンは万物の神的な実相とでもいうべきものであった。ベーメはあらゆる存在の中に神のドラマを見て、わたしたち人間すべては神の歓びの調べをかなでる楽器の弦であるという。「すべてのものは神である。」と言ってしまえばそれは単純な汎神論になる。しかしベーメの汎神論は決して単純ではない。

名状しがたきヴィジョンをどうにか捉えようと特殊な用語を駆使し、神の現われをダイナミックに描写しようとする彼の思想は複雑難解なものである。 その記述は神の起源にまでさかのぼる。神の奥の奥、三位一体の神の根源をベーメは無底と呼ぶ。無底とは底なきもの、他の何かによって根拠づけられることがなく、また底がないのであるから何かを根拠づけることもない。

このどこまで行っても何もない無の中には他の「あるもの」を求めるあこがれがあるという。ただし、あこがれは無限に広がっており、中心もなければ形もない。あこがれの海、そこには何もないのだから何も見ず、何も映さない。いわばこれは目でない目、鏡でない鏡である。あこがれから外に向かっていこうとする運動を意志というが、この意志が無底の内に向かって収斂し、自分自身である無をつかむとき、無底のうちにかすかな底ができ、ここからすべてが始まる。意志は本質の駆動力であり、いかなる本質も意志なくしては生じないという。

意志は底に立つことで外に向かうことができるようになる。底ができることによって無底が無底となり、目が目となり、鏡が鏡となる。あるものがあるものとして認識されるためには区別が必要なのである。ベーメによれば神ですら自己を認識するには神以外のものを必要とする。さて、中心と円周が明確となることによって智慧の鏡と呼ばれるものが生じる。鏡は精神(ガイスト)を受けとめ、すべてを映すが、それ自体は何かを産むことのない受動的なものである。

智慧の鏡は別名ソフィアという。ソフィアは「受け入れるが産まない」という処女の性質をもつ無である。無であるというのはソフィアが存在から自由なものだからだ。この自由なるソフィアを見ようと意志は鏡をのぞきこみ、鏡に自分自身の姿を映す。ここで意志は欲望をおこし、イマギナチオ(想像)する。イマギナチオによって意志は孕み、精神としての神と被造物の原形が鏡において直観されるのである。


〔永遠の自然〕
 これから神の欲求が外へと向かうことで世界が形成されるのだが、この後直接に我々が目にするような自然が創造されるというのではない。次いでベーメが語るのは、可視的自然の根源たる永遠の自然である。彼は七つの霊もしくは性質によって万物が形成されるという。

性質(Qual)とは苦(Qual)であり源泉(Quelle)である。これは単なる語呂合にも思われるかもしれないが、これから述べるようにベーメにとって言葉やひびきは存在の本質と深く関わったものである。内容からすれば、存在がさまざまなかたちに分かれ、性質をもつということは始元の融合からの乖離として苦であるという意味にとれる。

まず第一の性質、それは欲望であり、内側に引きこもる働きを持っている。渋さ、堅さとも表現される欲望は、自分自身を引きずり込み、濃縮して闇となる。既に無底の内で働いていたこの原理は自然の第一の原理である。

第二の性質は第一のものと逆に外へ向かう運動、流動性。これはつきさして暴れ、引きこもる力に抗して上昇、逃走しようとする。この性質は『アウロラ』では甘さと呼ばれ、他では苦さと呼ばれる。

第三は上の二つの力の張り合いである不安。内へ向かう力と外へ向かう力は互いに反発しあい、一方が強くなれば他方も強まるので安定することがない。それは相反する面が互いに運動する車輪の回転のようでもある。不安の輪の回転は限りなくエセンチア(存在物、本性)を生み出す。以上の三つの原理は第一原理、万物の質料の源である。

さて、第四の性質は熱とか火花と呼ばれ、闇を焼き尽くして光を生じさせる。この原理によって前の第一原理の三性質、暗い火が明るい火へと転じ、死のうちから生命が現れる。不安の輪の残酷な回転が結果的に火の鋭さ、そして輝かしい生命を生む。

第五の性質は光であり、熱から出たものでありながらも焼き尽くす破壊的な熱とは反対にやわらかく、優しい。この性質は歓びと恵みの原理であって、ここから五感(見、聞、感、味、嗅)が誕生する。愛に抱かれ、ここで統一された多様な力は再び外へ向かって広がりゆく。

この広がり、すなわち第六の性質はひびき、音、そしてことばである。内にあったものがこの性質によって外へ顕わになり、語られるのである。ひびきは認識を可能にし、自然の理を明らかにして知と関係する。精神はここまで細分化しつつ展開してきたわけだが、理に至って自らの展開を十分に認識する。

そして最後の第七性質においてこれまで展開してきたものに形が与えられる。このようにベーメにとっての世界の創造とは、神が一気に制作することではなく、神の想像の働きが自己を展開してゆくことである。その際否定的な要素が大きな役割を果たしているのに注目すべきである。世界が生き生きとしたものになるためには障害が不可欠なのである。

ドイツ観念論の完成者ヘーゲルはベーメを「ドイツ最初の哲学者」と呼んだ。対立する力の働き合いの内に絶対者が自己を実現してゆくという彼の哲学はベーメの内にその原形を有していると言える。ただしヘーゲルはベーメの「混乱したドイツ語」には辟易していた。この項では概略を見てきたが実際にはベーメの思想はさらに複雑で、錬金術の特殊な用語や記号との対応があり、言葉の使用法は通常のものとは大きく離れている。

世界の内に甘さや苦さが働いていると言われても、普通の人間は奇妙な印象を受けるだろう。彼が神秘学にかぶれた「無学な靴職人」とそしられるとしても、その晦渋な文章を考えれば理由がないわけではない。


〔堕落と救済〕
  ところで現実の世界を見渡すとき、そこには悪があふれている。ベーメはこの悪の起源についても語る。伝統的な神学上の問題として、完全な善である神が世界を創造したというならなぜ世界には悪が存在するのかというものがある。 ベーメの神観では、神は純粋な善であるわけではなく、暗い面をも持っているわけだが、それが直接にこの世の悪の原因となっているわけではない。可視的自然の創造以前に創造された天使の世界に悪の起源があるというのである。

天使は怒りの暗い火と愛の明るい火を精神の原理とするものとして創造された。怒りを愛に従わせることが善なのであるが、自由な意志にとっては逆も可能である。そして天使は自由な意志を持っていた。大天使のひとり、ルシファーは自由をマイナス方向に向けて用いた。

第一性質と第二性質には悪が潜在的に存在していたが、ルシファーはこの二つの性質に対し自らが神たらんとするイマギナチオを向けたのである。ルシファーの神への反逆はマイナスの創造として自由のエネルギーを逆流させ、闇の鏡をつくりだす。闇の鏡はソフィアの鏡と異なって多様な虚像を映し出す。これが空想である。ルシファーは闇の鏡をのぞきこんで空想に踊らされ、ますますエゴを肥大化させる。かくして天使の国は怒りの暗い火が燃える地獄と明るい光の天国に分裂してしまう。

しかし神は世界の混乱をそのままにしておかない。ルシファーの闇の創造に対して再び光の創造が発動する。創世紀第一章で神が「光あれ」と言ったところがこの創造である。ここで時間と空間、可視的自然、そして人間が創造される。最初の人間アダムは神が自己を実現してきた最後の到達点であって、その中にはすべてが見出され、天使にも勝るというまさに至高の存在である。当初のアダムは男と女の両方の性質を合わせ持つ完全な統一体であった。だが、アダムもやがて堕落する。神から愛され、自らも自らを愛する素晴らしきアダムを悪魔は手に入れたいと思った。悪魔はアダムを誘惑し、不完全なる多の世界にアダムの心を向かわせる。

この堕落によりアダムの中の女性の部分である乙女ソフィアは天に帰ってしまった。それとともにアダムを中心として調和していた宇宙は統一を失って複雑な多の世界と化す。アダムは孤独となり、神はそれを憐れんで新たなる女性、エヴァを創造した。しかしエヴァはソフィアの完全な代理とはなりえない。アダムはエヴァの中にソフィアを求め、男女はこうして惹かれ合うようになるものの、性によって苦しみもするのである。

だが、アダムの堕落はルシファーのそれと違う点がある。ルシファーが自らの自由意志で神に反逆したのに対し、アダムはそそのかされて罠に落ちたに過ぎない。そして人間は時間の中の存在である。時間には対立するものを調停する働きがあるので、人間の罪は許される可能性があるのだ。それに対しルシファーは永遠の存在であるため、罪が贖われるということがない。神は堕落した人間を救うため、救世主キリストを遣わす。

キリストはエヴァのソフィア化である処女マリアから生まれたので、アダムが喪失した男性-女性の両極性を持っている。いわばキリストとは第二のアダムである。キリストは堕落のそもそもの原因である自由意志を放棄し、完全な受動性のもとに十字架にかけられる。この第二のアダムたるキリストに倣うことで我々は救われるとベーメは述べている。キリストの十字架を背負い、すすんで迫害や嘲笑に会い殺される(火にくべられる薪となる)ことで、火も焼き尽くすことができない新しい人間として生まれることができるという。

【参考文献】
南原実著 『ヤコブ・ベーメ開けゆく次元』 牧神社
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by sigma8jp | 2008-11-20 23:44 | 暗夜の終末論と黎明の哲学 | Comments(0)

「黎明(アウロラ)」ヤコブ・ベーメ

  ドイツ神秘主義の最後の頂点といわれるヤコブ(ヤーコプ)・ベーメの処女作(征矢野晃雄訳、牧神社、1976年)。これは大正10年に大村書店という本屋から出たものの復刻版、というかファクシミリ版で、誤記、誤植も含めてそっくり復元してある。

こういう本の出し方の是非はともかくとして、ベーメの本邦初紹介、それもかなり念のいった紹介というのでこの古い本を読んでみた。

この本、慣れるまではそうとうに読みにくい。それもそのはずで、この本はベーメの内的体験(彼によれば神の啓示)をそのまま忠実に文にしたものだからだ。啓示とは天使の直観のように、一瞬にしてすべてを了解するたぐいのものだろう。

そういったロゴスに媒介されていない知見を筋道たてて語るのはたしかに至難のわざだと思う。門外漢にはちんぷんかんぷんに見えてもふしぎではない。なによりもベーメ自身がこのようにいっている。

「此の黎明は……凡てのものの創造を、然し非常に神秘的に、示す。そして魔法的理解(智恵)に満ちているが、十分明瞭でない……」「この書物は、只著者自身の為にのみ、魔法的意味或は理解に於いて、書かれたもので、著者は他に如何なる読者のあることも知らない……」

そういっても、この本は1612年に執筆されるや、写本のかたちでいろんな人に読まれて大評判になったらしい。一種のベーメ・サークルのようなものもできたようだ。いったいなにがそんなに世人の関心をひいたのか。それはひとことでいえば、悪の起源の問題にひとつの合理的(といっていいかどうか)解釈を与えたからだ。

神が全知全能ならば、とうぜんこの世に悪がはびこることも承知していただろう。至高至善のはずの神が、それではどうして悪の発生を許したのだろうか?ベーメはこれに答えていう。悪はもともと神のなかに、善とともにあった。

ただしそれは創造の「可能性」としてあったにすぎない。それがルチファ(三大天使のひとり)の傲慢とその堕落とによって「事実性」として世界に現出したのだ。

神にあっては善を刺激し、協働していた悪が、ルチファの堕落によって分離され、事実性となって地獄に堕した、というわけだ。じっさいにはこんな簡単な説明でつくされるものではないが、まあだいたいはこんなところが骨子になっている。しかしベーメは概略を示すのみではあきたらず、この思想のまわりに大胆きわまる宇宙論の衣をきせている。

それはもう哲学からも宗教からも(ついでに科学からも)かけ離れたファンタジーとしかいいようのないものだ。ベーメは預言者として語っているつもりだったかもしれないが、出来あがったものはヨハネの黙示録そこのけの黙示文学だった。ここにはおそろしく豊穣な夢想の種がいっぱいまかれている。読んでいて頭がぐらぐらしてくるくらいだ。

そんな種のひとつに「サルニタ」なるものがある。サルニタとはなにか。これはサリッタともいい、おそらくサル(塩)とニトルム(硝石)との合成語だろう。ベーメはこれを神の七つの霊あるいは性質の合体したもの、天的自然の意味で使っている。

では神の七つの霊とはなにか。それは鹹、甘、苦、熱、愛、響、形態性からなる。第七の形態性は前の六つから生み出されたもので、これがサルニタの実質だ。しかし、この形態性はまた前の六つの性質を生み出すものでもある……

などと書いているときりがないのでやめるが、とにかく変った本であるにはちがいない。これを読んでから野田又夫氏の「ルネサンスの思想家たち」(岩波新書)のベーメの項を読んだら、ずいぶんうまくまとめてあって感心した。

この野田氏の本はもう一度はじめから読みなおしてみてもいいと思うくらい、随所に刺激的な記述がある。いまさらながらに名著だと思う。

それと忘れないうちに書き加えておくが、訳者の征矢野晃雄によるまえがき「ヤコブ・ベーメに就いて」がじつにすばらしい。しかし、これのすばらしさはたぶん本文を読んだあとでないとわからないと思う。まえがきよりはあとがきとしたほうがよかったかもしれない。
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by sigma8jp | 2008-11-20 22:26 | 暗夜の終末論と黎明の哲学 | Comments(0)

ヤコブ・ベーメ

 プロテスタントのキリスト教神秘主義者として、おそらく最大級の影響力を持ち、錬金術とキリスト教を見事に融合させた天才ヤコブ・ベーメは、1575年ドイツのシュレジア地方の農民の子として生まれた。

虚弱な体格だった彼を心配した父親は、肉体労働の農業よりも職人に向いていると考え、14歳になるとザイデンベルクの靴職人に弟子入りさせる。彼は少年時代から、しばしば幻視を体験していたらしい。

郊外を散歩していると赤い石のアーチがあるのを見て、恐る恐る近づいて見ると中に金貨が山と積まれていたという。友達を連れて、そこへ引き返して見ると洞窟も金貨も消えていた。

また、靴屋で下働きをしてるとき、不思議な客が現れ、「お前は将来、多くの人に尊敬される仕事を成し遂げるだろう」と予言されたりもしたという。ともあれ、彼は靴職人をしながら、聖書や自然哲学書、錬金術所を読みふけり、独自の神学を構築していった。

もっとも、靴と関係のない勉強や思索にふけりすぎて靴職人の修行をおざなりにし、「靴屋に預言者はいらん!」と親方からクビを言い渡される等、トラブルもあった。

しかし、24歳の時に、一人前の靴職人として認められ、「親方」を名乗ることが許された。この年に結婚し、靴屋の商売もすぐに軌道に乗った。彼の神秘主義の本格的思索が始まるのは、翌年のことである。ここで、彼は劇的な幻視を経験する。

それは、ちょうど長男が誕生して間もなくのことだった。暗いくすんだ色の錫の食器が、太陽の光を受けて反射した途端、それが突如明るく輝きだしたのである。これは、新しい生命の誕生が、暗い胎内と産みの苦しみを通過して可能であったように、明るい光は、これに対立する暗黒の媒体を通して我々に知らされるのだ、と解釈した。

ベーメは、こうした幻視を通じて悟った独自の神学をメモ書きにして記録していった。そして、これを草稿にした。たまたま、ベーメのお得意様であった貴族のカルル・エンダー・フォン・ゼルハが雑談のうちに、ベーメの草稿を見て、仰天する。

彼はこれを写し取り、知人の間で回し読みをした。そして、これは知識人達の間で大評判になる。彼の最初の著書にして代表作とみなされる「アウローラ」の登場である。

これは序言と26章からなる書物である。これは、彼の見た幻視を、錬金術、占星術、自然哲学の知識をもとに解釈を施したものである。1~7章においては、神と天使と天上世界の本質を解明しようと試みる。

そして8から17章においては、ルシファーの堕天に至る顛末とその帰結について論述している。18~26章にかけては、そこから続く天地創造の経緯とその形姿を叙述している。彼はこの著書を、あくまで個人的な楽しみのために書いたものであり、発表する気はなかった。それで、この反響には戸惑いを隠せなかった。

しかし、事態は最悪の方向へと向かう。これを読んだ町の実力者で主席牧師のグレゴリウス・リヒターの目に止まる。頭の固い原理主義者の牧師は、説教壇の上からベーメを名指しで罵倒し、市当局にベーメを逮捕するように喚き散らした。

結局、市当局が仲裁に入る。ベーメのこの処女作は発禁となり、二度とペンを取らないと制約する。主席牧師の方は、その代わりに今後、二度とベーメを公衆の面前で攻撃しないと約束。この騒ぎは静まる。

この時、ベーメは靴職人の職を失い、専門外の行商人に転職。生活はかなり苦しくなった。その間、ベーメはペンを取らず沈黙した。しかし、この沈黙も6年後に破られる。理由は、主席牧師の方が、約束を全く守ろうとしなかったことだ。彼はベーメへの攻撃をしつこく続けた。

ベーメは6年間、牧師の一方的な迫害に耐えに耐えたが、ついに「外的迫害と内的衝動」に耐え切れなくなり、執筆を再開することになるのである。

1623年、ベーメの熱烈な支持者の貴族達がスポンサーとなり、3つの論文をまとめた「キリストへの道」が印刷され、発表される。これは、人間の内面的な精神の変容を主張したものだ。「我性」を放棄することによって成される「心の変容」を主張する。

錬金術における精神の変容を、キリスト教と合体させた思想だ。彼はキリストに向かって祈る、「御身の死をもって、私の我性を消し去りたまえ」。彼によると、キリストは、我々の心の内に住む。そして、我々の心の内に居て、その磔刑の死によって我々の「我性」を消滅させ、我々を真の生へと変容させてくれるという。

この「我性」の消滅の過程を経てのみ、魂は「神性」と出会い、これと合一し、その愛を享受するのだという。この本の出版によって、かの主任牧師のヒステリーが激化したことは言うまでもない。牧師は市民を煽動した。煽動された市民達は、彼と彼の家族をリンチにかけようと騒ぎ出す。

市当局はベーメに、市から出て行くように進めた。結局、ベーメは家族を街に残し、ドレスデンの彼を支持する貴族たちに匿われた。しかし、その間、彼の家族達はリンチ寸前の恐ろしい日々を過ごし、投石から身を守るために外出はおろか、鎧戸をあけることすら出来ない状態だったという。

ベーメは家族への心配のあまり、いったん街に戻るが、そこで病に倒れる。しかし、それでも彼は病身に鞭打って、シュレジアへと旅に出る。

彼の支持者達との会見を断り切れなかったためだったという。しかし、これがまずかった。病気は悪化した。彼は担ぎこまれるようにして家に戻り、少数だが熱烈な支持者達に囲まれながら1624年に世を去った。彼はこの時、天使達が奏でる美しい音楽を幻聴した。そして最後の言葉は「さあ、私はパラダイスに行くぞ」だったという。

彼は、執筆を再開すると、凄まじい勢いでペンを走らせた。彼の著書は、多く残されている。代表作「アウローラ」や「キリストへの道」の他にも、「3つの原理」、「シグナトゥーラ・レールム」、「書簡集」、「魂に関する40の問い」、「6つの点」、「地と天の神秘について」、「心の平静」、「再生」などがある。

彼の著書を読んで驚くのは、その錬金術用語、占星術用語が大量に使われていることだ。
さらに、ベーメの著書には、支持者のウイリアム・ロー牧師によって、1762年に寓意画が寄せられているが、これも非常に興味深い。あきらかに錬金術な寓意が寄せられているのだ。

しかも、ベーメは、黄金を作る云々には全く関心を持たず、あくまで心の変容の象徴として、錬金術を用いていることだ。彼はキリスト教徒だったが、同時にヘルメス哲学者であったとも言える。

代表作とされる「アウローラ」について、ベーメは未熟な作品である、と不満足な評価を下している。一方で、6年間の沈黙を破った後の著書については、思想的にも体系の構築についても完成していると、満足の意を表明している。

ベーメは創造には3段階ある、と説く。第一段階は神自身の生成。第二段階は天使と天上界の創造。第三段階はアダムと地上の創造である。ちなみに「創世記」には、最後の第三段階しか記されていない。

第一意思である神は他の何者にもよらず自らによって生じ存在するが、この神の活動以前には無があり、この混沌とした無の中に神の欲求する意思があり、これが永遠の原初であり終局である。

この永遠のパノラマを見る目が無の中にあって、この神の「永遠の智」である目の鏡を通して、神みずからが神自身を知る。この自らを知ろうという働く智恵が「父」であり、知られるものが「子」であり、「子」を捕らえる働きが「聖霊」であり、三位一体を形成する。

これは明らかに「カバラ」からのパクリであるが、この思想はヘーゲルなどの哲学者から高い評価を受ける。神ですらも対立・区別なしでは自己認識は成しえないという考えが、「神的弁証法」にあたるとされたからだ。
 
だが、ベーメの独創性は「悪」の発生を創造論の中で解決しようとしたことである。これは、ひいてはキリストの新たなる救済者としての霊的理解にもつながる。悪は神の欲求の自己外化によって生じる7つの霊のうち、「辛さ」と「苦さ」の霊に内在している。

この二つに「自らを神たらんとする想像力を与えたのがルシファーであり、ここで神の怒りが点火され、ルシファーは堕ちる。アダムは神の怒りを静めるために創造されたが、「俗なるものへ想像力を向け、世俗的な王国を神的姿のうちに送り込んでそれを滅ぼし暗黒にしてしまった。それゆえ我々は楽園を失い、四大の支配下に置かれてしまった」という。

こうしてアダムの喪失したものを持つキリストが第2のアダムとして現れ、アダムの成しえなかった役割を果たすために、また「死の破壊者」として、死の中にある人間を救うために「生命の言葉」をもたらしたのだと言う。

彼はパラケルススの著書から強い影響を受けた。また、カバラ的な思想をも取り入れた。ある薔薇十字運動に関心を寄せた学者が、ユダヤ人の学者からカバラを学ぼうとしたところ、「君達キリスト教徒にも、ヤコブ・ベーメという我々と同じ秘儀に達している人物がいるでしょう」といわれたというエピソードもある。

彼は、それらの思想を独特のプロテスタント神学と融合させ、昇華させたのである。さらにベーメの思想は、サン・マルタン、ノヴァーリス、コールリッジ、ブレイクへと引き継がれて行くのである。

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「アウローラ」 ヤコブ・ベーメ 創文社
「ベーメ小論集」 ヤコブ・ベーメ 創文社
「キリストへの道」 ヤコブ・ベーメ 松峰社
「キリスト教神秘主義著作集・13 ヤコブ・ベーメ」 教文館
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by sigma8jp | 2008-11-20 21:17 | 暗夜の終末論と黎明の哲学 | Comments(0)