カテゴリ:イマージュの詩学(内奥宇宙)( 3 )

『沈黙の書』 ヘルメス学の勝利   リモジョン・ド・サン・ディディエ

b0140046_1834438.jpg  白水社のヘルメス叢書の一冊。『沈黙の書』は一六七七年に、ラ・ロシェルで刊行されたらしい。錬金術のさまざまな手法とテーマを一五枚の不思議な図版で示し、その解読をしたもの。

解読といっても、一部の謎を解き、さらに多数の謎をかけるという代物だから、謎は深まるばかりである。錬金術のこのあざとい手法は、秘教的な雰囲気を作り出すには、実に巧みだ。ユングがとても気に入って、錬金術の本で引用していることからも有名になった。

「騎士たちの古き戦い」では、黄金と銀と石が論争する。そしてただの石こそが、貴いものであることを「証明する」わけだ。石はこう自称する。「こういうわけで、男性・女性の精液を含みながら、しかも(同時に)(完全な)等質体であるのは、僕だけなのだ。そこで僕はヘルマプロディートス(両性具有者)と呼ばれる」(p.110)。

この普通の石の貴重さというテーマは、「ピロフィルとユードックスの対話」でも続けられる。ユードックスは哲学者の石と賢者の石を区別して、こう語る。「賢者の石は哲学者の石と別ものではないが、ただ、後者の秘密の術によって第三段階の完全な医薬段階に到達し、それに加えられた酵母の性質に従って、一切の不完全な金属を純粋な太陽または月に変えるようになった時、これを賢者の石というわけだ」(p.122)。

また「太陽とその他の天体は、まったく石の第一原因で、石に精気と魂を流入させる。そしてこれが石に生命を与え、石の効力を生じせしめる。だからこそ、それは石の父であり、母である」」(p.142)とも。

この石にこめられているのは、人間が後に投げた石から生まれたというギリシアの伝説、あるいは撒いた竜の歯から生まれたという同じくギリシアの伝説、訳者が指摘しているように、オシリスとイシスの伝説であろう。

ここで石は生命をもつものとなる。アリストテレスのいうエネルゲイアが、太陽と月と天体から与えられる「天の精気」(flos caeli)(p.27)で石のうちに結実するというわけだ。一方では哲学的な水銀も同じようなものと考えられている。

これもまた両性具有的なものと考えられるわけだ。「植物の種子は、植物が芽生え、生殖し、繁殖するために必要なものを、一切自分自身の中に含んでいる」(p.152)。「この哲学的原質は、他の如何なる物質も混入される必要がなく、ただそれだけで哲学の子を生み出すことができる。

そして、その家系は無限に殖えていくのだ。それはちょうど、麦粒が、時間をかけて栽培されれば多量の麦粒を生んで、広大な畑地に播種できるようになるのと同じことなのだよ」。ここでストアの伝統がよみがえる……。

植物の世界と鉱物の世界のアナロジーはバシュラールの『大地と意志の夢想』『大地と休息の夢想』にも登場するそうだ。チェックしてみよう。この対話の原注がどこにも見当たらないのはどういうことなのか、不審だが、ヘルメス学の思考のパターンのようなものを、はっきりと示している書物だと思う。
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-22 18:35 | イマージュの詩学(内奥宇宙) | Comments(0)

ガストン・バシュラール

b0140046_18191924.jpg  ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard, 1884年6月27日 - 1962年10月16日)はフランスの哲学者、科学哲学者。科学的知識の獲得の方法について考察した。また、詩的想像力の研究にも多くの業績を残した。

主著『新しい科学的精神』(1934年)においてバシュラールは、経験論と合理論の対立の乗り越えを図る。バシュラールはしばしばカール・ポパーと正反対と評されるが、乗り越えを目指したという点は変わらないのである。バシュラールに従えば、科学認識論には観念論(観念実在論)と唯物論を両極とするひとつのスペクトルがあるが、合理的唯物論はその中間に位置する。

科学史上の著作においてバシュラールの筆鋒は、帰納主義と経験論の両方の批判にむかう。科学的事実とは、理論的問題設定があって初めて構成されるのだという。科学は、明証性すなわち直接的認識がもたらす幻想に抗して形成される。

これがバシュラールのいう「否定の哲学」である。したがって、科学史という仕方で知識を得ようとすると、「認識論的断絶」つまり前科学的な思考と断絶することが求められる。バシュラールの表現に従えば、新しい知識を得るには「認識論的障害」を乗り越えることが必要なのである。

バシュラールにとって、あらゆる認識は近似的認識にすぎない。「科学において真実とは積年の誤謬を歳月をかけて正していくことと考えられ、経験とは万人が抱いている当初の幻想を修正していくことと考えられる」。 バシュラールは認識論上の対立を調停しようとしている。

経験論と合理論の対立を乗り越えなくてはならないというのだ。「内容空疎な合理論でもなく、支離滅裂な経験論でもなく」。「適応合理主義」ないし「合理的唯物論」を用いてはじめて科学的活動がおこなわれるのである。

バシュラールの思想は多くの点でフェルディナン・ゴンセトに近い。両者は研究誌『ディアレクティカ』の編集に携わっている。

後年バシュラールは詩的想像力の研究に邁進した。彼はこう述べている。「われわれは観念世界に帰属しているよりはるかに強くイメージ世界に帰属している。イメージ世界のほうがはるかにわれわれの存在を構成しているのである」。そしてバシュラールは、夢想の喜びを肯定し、「ろうそくの焔」を見てわきあがる思い出に身を委ねるのである。
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-22 17:57 | イマージュの詩学(内奥宇宙) | Comments(0)

「大地と意志の夢想」 ガストン・バシュラール

 「大地と意志の夢想」について、「大地と休息の夢想」について。流動的で可変的な火、水、空気に反して、大地は堅固で抵抗を予測させる。が、同時にゆるぎのない休息を与える物質として立ち現われる。そこでは想像力は二つの極、つまり外向性と内向性の極の上ではたらく。

「大地と意志の夢想」では、彼は外向性をとりあげ、「硬い」と「軟らかい」という弁証法的関係から出発する。われわれは聴く。ほとんど途切れることなく、規則的に脈打つ大地のやわらかな鼓動と、それに襲いかかるような、金属的な擦過音の強烈なシャワーとの対比と統合を。

火、水、空気は敵意のイマージュを持ちうるとしても、大地の強固な敵意ほど明らかではない。したがって、彼は「抵抗する世界」とは何か、からはじめるのだ。つづいて大地の粘土――原初的な物質のイマージュ、堅固性のイマージュ、鋳造、岩、化石、鉱物のイマージュ、最後には重力の心理学にまで言及する。

そそり立つ岸壁、黒い岩肌。雲は夜の乳房をことごとく覆いつくす。静かな風が石のなだれのなかにある。風はそこにある。大地を噛んだものは、歯の間にその味わいをのこしている。詩的イマージュを生きることは、生成を認識することだ。

われわれが大地的実体から物質的なイマージュをつくりあげる際に、われわれの裡に目覚める力動作用。そこに、われわれは精神のエッセンス、創造の真実、つまり精神=リズムの現存を感じとリ、理解する。そしてリズムは、自らと不何分なサウンドを駆リ立てる。

短い休止を置いて、彼は、「大地と休息の夢想」を内向性の展望の下にとらえる。ここでは事物の内奥にまで、いわば内密性において想像する、物質的想像力のあくなき浸透力が物語られる。と同時に、内部への夢想が、守られた休息のイマージュを喚起するという点が巨細に示されている。

ここでは大地、家、母、ヨナの神話のイマージュがもつ幸福な様相は、空間の詩学の、あの無限にゆたかな幸福のイマージュのいわば先駆として考えられるだろう。甘美な内密性の在り様。この開かれた薔薇の内部の湖のなかに、なんという空が、そこに姿を映しているか。

大地は海綿が水を吸うようにゆっくりとその色を呑んでいる。大地は丸みをおび、厚くなり、その均衡をとり戻し、われわれの足の下の空間において震動する。それはあるときは調子のよい韻律のようなリズムで、あるときは自由の終りのように、周期的ではないが、適切ないくつかの主題提示部を流す長いメロディーの一節になる。

---------------------------------------------------------

「大地と意志の夢想」 (ガストン・バシュラール)

b0140046_18103185.jpg[目次・構成・収録・内容(一部抜粋)]
序 部室の想像力と言語に表現された想像力
第一章 創造的エネルギー論の弁証法 抵抗する世界
第二章 尖鋭な意志と硬性の物質 道具の攻撃的性格
第三章 硬質の隠喩
第四章 捏粉
第五章 柔軟な物質 泥土の価値付加作用
第六章 鍛冶屋の力動的抒情
第七章 岩石
第八章 石化の夢想
第九章 金属化と鉱物化
第十章 結晶体 透明な夢想
第十一章 露と真珠 
第十二章 重力の心理学
註(原註・訳註)
あとがき
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-22 17:55 | イマージュの詩学(内奥宇宙) | Comments(0)