カテゴリ:堕天使と悪魔の階層( 7 )

インキュバス/サッキュバス(夢魔)(淫魔)

■金縛り体験と夢魔
  外国でも悪魔や霊魂などとの関係が信じられており、夢魔(nightmare, incubus, succubus)がこれに相当する。図は18世紀末の画家H.Fuseriによって描かれた夢魔(The nightmare: 1781)という作品である。
b0140046_23402185.jpg
この絵では眠っている女性の上に雄の夢魔が座り込んでいる。後ろから覗いている不気味な目をした馬は、夢魔を乗せて闇夜を走り回る「夜の雌馬」である。何者かが胸の上に乗っているような息苦しさを感じながら、身動きできずに横たわる主人公の姿は、金縛り体験の特徴を余すところ無く表現している。


■淫魔という名の悪魔
 インキュバス(サッキュバス)はインクブス(スクブス)とも呼ばれる、淫魔に属する存在です。淫魔とは性愛を司り、精神的な部分から人間を堕落させる悪魔の総称で、特にキリスト教の説話の中で言及されてきた。インキュバスが男性、サッキュバスが女性で、両者ともに美しい姿を取ることで知られている。

彼らは、その姿をもって異性を(場合によっては同性も)誘惑し、堕落させ、その精気を吸い取ります。一説によれば、彼らは特定の悪魔ではなく、悪魔の持つ一面を表すものだとも言われている。魔女たちがインキュバス(サッキュバス)に化けると考えられたこともあった。

彼らの名前は、インキュバスがラテン語の「上にのしかかる」を意味するInkubo(Inkubo)から、サッキュバスが同じく「下に寝る」を意味するSuccubaに由来する。なぜ「上にのしかかる(あるいは下に寝る)」が由来なのかは定かでない。

また、夢魔のうち男性型のインキュバス(Incubus、インクブスとも)は睡眠中の女性を襲い、妊娠させる。女性型の夢魔は、サキュバス(succubus、サッカバス・サッキュバス・スクブス・サクバスとも)といい、睡眠中の男性を襲い、誘惑して精を奪う。

どちらも、自分と性交したくてたまらなくさせるために、襲われる人の理想の異性像で現れる。それぞれラテン語の「のしかかる(incubo)」、「下に寝る(succubo)」に由来する。一説にはインキュバスとサキュバスは同一の存在であり、自身に生殖能力が無いため、人間の生殖能力を借りて繁殖しているとされる。

ヨーロッパのある地方では「枕元に牛乳があると、サキュバスはそれを精液と間違えて持ってゆく」と言われ、悪魔よけに小皿一杯の牛乳を枕元に置いて眠るという風習があった。

ルネッサンス時代には「インキュバスは実際に女性を妊娠させうるか?」という議論が真面目に行われていた。というのも、この時代は生活環境の変化によって人々が性に奔放になり、都市部の若い(時には少女とも呼べるほどの年齢の)女性が父親不明の私生児を抱える例が多かったのである。


■インキュバス/サッキュバスの能力
 彼らは人間へ近づくのに「夢(淫夢)」という手段を使います。夢の中で徹底的に快楽を尽くさせることで人間を堕落への道に引き込む。ゆえに、「夢魔(むま)」「ナイトメア(悪夢)」の名前で呼ばれている。

男性の姿をしたインキュバスは女性を籠絡し、彼の子供を産ませる。女性の姿をしたサッキュバスは逆に男性と交わり、悪魔や精霊を生む。とある説では、インキュバスとサッキュバスは同じ悪魔が化けたものであり、サッキュバスの姿で手に入れた精気を、インキュバスの形で女性に放出するという。なお、美しい姿は見せかけで、その正体はこの上なく醜い姿であるとも言われている。

そんな彼らの弱点は、「ホリーシンボル(聖印)」である。特に十字架などを枕元に置いておけば決して近づくことはない。

■インキュバス/サッキュバスの子供たち
 インキュバス(サッキュバス)と人間のハーフは魔法などの特殊な能力を身につけたり、あらゆる能力に秀でることから、しばしば凡庸な両親から生まれた子供が飛び抜けて優秀だったとき、「奴はインキュバス(サッキュバス)の子供なんだ」とやっかみ半分に言われることもあったようである。

もちろん、その中には「両親の本当の子供でない」場合も多々あったと思われる。浮気をして子供を孕んでしまったときに、「淫魔のしわざだ、私の知らないところで子供を孕まされたのだ」とごまかすパターンもあったかも知れない。ちなみに、「アーサー王伝説」の魔法使いマーリンやアレキサンダー大王も、その優れた能力から「インキュバス(サッキュバス)と人間のハーフ」であるとされている。


■キリスト教以外の夢魔
  キリスト教以外にも夢魔によく似た存在(特に男性の夢に現れ精を奪うもの)が現れる宗教・伝承は多く、世界中に見られる。これはおそらく、夢精の合理的説明として「夢魔」という存在が考え出されたものであるからと考えられる。

---------------------------------------------------------
『夢 魔』 みすず書房 1979 辻井忠男(訳)フューゼリ
(N. Powell 1973 Fuseli: The Nightmare. London, Allen Lane) 
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-22 22:40 | 堕天使と悪魔の階層 | Comments(0)

ルシファーが登場する「関連書籍」(2)

■1184年アラヌス・アブ・インスリス『アンティクラウディアヌス』第4巻(上智大学中世思想研究所訳『中世思想原典集成8』平凡社より)
  慎重に忍耐をもってついに急峻な小道を切り抜けると、彼女はウェヌスとスティルボンが堅く抱擁している場所に到達する。ここでは、太陽の使者であり一日の先駆けであるルキフェルが輝きを放っている。彼は地上に放つ光の祝福のうちに取次役をなし、彼自身が昇るとともに日の出のための舞台を設け、自らが昇る際に夜明けを告げる。

アラヌス・アブ・インスリス(1116~1203)は、ギヨームと同じく「シャルトル学派」のひとりとされている。タイトルの「クラウディアヌス」は4~5世紀の詩人で、彼を意識して、誌的に書かれたのが、この書だ。したがって、内容はかなり神話的であり、ギリシア神話の神々の他、独特の神名も出てくるので、マイナーな神話好きな方は要チェキ。この第四巻は天文学を擬人化した乙女が宇宙を駆ける話で、『宇宙の哲学』と同様、金星についての部分でルキフェルが出てくるが、御覧のように神話的に語られている。この後、「ルキフェルの圏は身動きが軽く、そのそよ風はより爽やかである」ともあり、竪琴の音色やセイレンの歌声に包まれた、美しい場所として描かれている。なお、スティルボンはメルクリウスのことで、こっちでは火星ではなく、水星と金星が結び付けられている。


■1214年頃『ロンバルディア・カタリ異端論』(渡邊昌美『異端カタリ派の研究』岩波書店
 よりルキフェルこそ、天地を創り六日にて業をなしたと創世記に述べられてある神である
カタリ派はキリスト教史において、異端の代名詞となっている、代表的な異端宗派である。ヨーロッパ各地に存在していたようだが、その中でもイタリアでまとめられたとされているのが、この書。現在はバーゼル大学図書館に所蔵されているらしい。カタリ派が異端とされたのは、この引用文を見ていただければ一目瞭然だろう。彼らにとっては、『創世記』のYHVHこそが、ルキフェルなのである。と言っても、カタリ派神話には始原の神が存在する。と同時に、始原の悪も存在する。もともとルキフェルは善たりし天使だったが、「四面、すなわち人、次に鳥、第三に魚、第四に獣の顔を有し、始原なき悪しき霊なるもの」に魅了され、堕天したのだ。

地上において神となったルキフェルは「地の泥をもってアダムを形作り、力をもってかの善き天使を中に封じた。彼のためにエヴァを造り、これをもって罪を犯さしめた。禁ぜられたる樹を食せしとは姦淫の謂である」という。カタリ派神話では、ルキフェルこそが、人間の創造主であった。したがってカタリ派は、肉体的なもの、物質的なものを完全に否定している。人間とは、肉体という悪魔の作った牢獄に、善き天使の「霊魂(アニマ)」を持つ存在なのだという。


■1260年ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』洗者聖ヨハネ(前田敬作・山口裕訳/人文書院)
  つぎに、ヨハネは、智天使の役目をつとめた。ケルビムとは、〈知恵の充実〉ということである。だから、ヨハネは、またルキフェルともよばれる。この名前は、〈光をもたらす者〉という意味である。なぜなら、『ヨブ記』(38の2以下)の言葉を借りると、彼は、無知の夜を終わらせ、恩寵の光の始まりとなったからである。
聖ヨハネは、福音書において、イエス・キリストに洗礼を施した聖者である。ここでは文字通り、「光をもたらす者」という意味だろうが、ヨハネが「ルキフェル」だとされるのは面白い。なお、人文書院版『黄金伝説』は現在絶版だが、新泉社から抄訳の『黄金伝説抄』が出ている。


■1273年頃トマス・アクィナス『離存的実体について(天使論)』第20章(上智大学中世思想研究所訳『中世思想原典集成14』)
  さらに、オリゲネスは『諸原理について』第一巻で、アウグスティヌスは『神の国』第一一巻でこのことを聖書の権威によって確証する。その際、彼らは「イザヤ書」第一四章で悪魔についてバビロニアの王になぞらえて語られた「ルシフェルよ、暁にのぼったおまえが、いかにして堕ちたのか」という言葉を引証する。また、「エゼキエル書」第二八章では悪魔に対してティルス王の姿で「おまえは類似のしるしであり、知恵に満ち、神の楽園の宝石に包まれて完璧な美麗さであった」と言われ、その後の個所に「おまえの創出の日から、おまえの歩みは完全であったが、ついにおまえの内に不公正が見出された」と続けられている。

トマス・アクィナス(1224~1274)は『神学大全』を記したローマの神学者。これはサブタイトル通り、天使について述べられた書だが、天使論というより、「デーモン」の語源となったギリシアの「ダイモーン」について講釈されている。「ダイモーン」には善きものと悪しきものとがいるが、その悪しき「ダイモーン」が悪魔のことだという。もちろん、それは二元的なものではなく、善きものとして創られた「ダイモーン」が、自由意志により、悪しきものへと転向したのだという。オリゲネス→アウグスティヌス→トマス・アクィナスと、キリスト教神学におけるルシファー像が受け継がれた。ルシファーが悪魔化したのは聖書ではなく、これらの神学書の系譜によるものなのである。


■1307年ダンテ『神曲』地獄編第34曲(岩波文庫)
  我はもとのまゝなるルチーフェロをみるならんとおもひて目を挙げ見たりしにその脛上にありき。文学上にもルシファーが登場。ダンテのルシファーは地獄の最下層に氷浸けにされ、ユダなどの罪人を貪り食っている。


■1387年チョーサー『カンタベリー物語』修道僧の物語(岩波文庫)
  ルシファーから私は始めるとしましょう、彼は天使であって、人ではありませんが。というのは運命の女神は天使には何ら害を与えることはできないけれど、しかし高い地位から彼はその罪のゆえに地獄に落ち、今もなおそこにいるのですから。あらゆる天使の中でも最も輝けるルシファーよ、汝は今や悪魔(サタン)となり、転落したる悲惨な境涯から逃れ出ることはできないのだ。チョーサーの小説の一節だが、この頃には完全にルシファー=サタンとなっていたことがわかる。

■1486年シュプレンゲル&クラメル『Malleus Maleficarum』Question IV(JD訳)
 同様に、高慢の悪魔はリヴァイアサンと呼ばれ、それは「付加」を意味している。なぜなら、ルシファーが私達の最初の両親を誘惑した時に、高慢によって、彼らに神性の付加を約束したからだ。彼について、主は言った、私はリヴァイアサン(その古の、とぐろを巻く蛇)と同時に現れるだろう。これは日本では『魔女への鉄槌』と呼ばれる、魔女狩りテキスト。その中に悪魔に関する簡単な解説がある。ここではリヴァイアサン=ルシファー=エデンの蛇という扱いがされ、「高慢」にあてられている。


■1587年『実伝ヨーハン・ファウスト博士』(松浦純訳『ドイツ民衆本の世界3 ファウスト博士』国書刊行会)
  ご主君ルチフェル様、つまりこれは、天のまばゆい光から追われたためのお名前ですが、ルチフェル様は以前は神の天使、智天使で、天で神のわざや造られたものをみなご覧になっておられました。たいへんご立派なお姿で、きらびやかに飾られ、権威にあふれ、堂々とお住まいになって、神に造られたどのものより、金や銀よりずっときらめく、目の明るさや星々の光もかすむほどの輝きを神から受けておられたわけです。なにしろ神はルチフェル様を造るとすぐ、神の山の上において侯の位を授け、なにひとつ欠けるところのないようにしたものでした。

それが、ルチフェル様が尊大に思い上がられて東の天にわが身を高めようとされたとたん、神に天の住まいから追われて、おられた座から、燃え尽きることのない火の岩へと突き落とされてしまわれたのです。つまり、ルチフェル様は天の光輝をひとつに集めた冠をいただいておられた。それが、わざわざ、むこうみずに神に逆らわれたばかりに、神にお裁きを愛けて、すぐに地獄に堕とされ、もう永久に逃れられない羽目になってしまわれたというわけです。

ちょっと長くなったが、これはメフィストが語った、ルチフェルの堕天神話である。天界にいたころのルチフェルは「立派な大天使のおひとりで、ラファエルと呼ばれておられた」んだそうだ(原文ママ)。地獄に落ちては、「鎖に繋がれ、流鼠の身で引き渡されて、審判の時までとめておかれているのだ」とされ、「東の地獄の王」となっている。ファウストの前に姿を現した時の姿は、「これはふつうの男くらいの背丈をして、毛むくじゃら。赤っぽいリスのような色で、ちょうどリスのようにしっぼを高くあげている」という。


■1612年ヤコブ・ベーメ『アウロラ』(ジョルダーノ・ベルティ『天国と地獄の百科』より引用)
  ミカエルが父なる神の姿とその美をもとに造られたように、ルシフェルも神の息子の姿と美をもとに造られた。‥‥ルシフェルがその美しさに気づいたとき、彼はすべての者の上に立とうと思った。ベーメ(1575~1624)はドイツのプロテスタントの神秘学者。ルシファーの堕天の原因が、その「美しさ」にあるあたり、女性ファンをうっとりさせる一節だ。


■1612年セバスチャン・ミカエリス『驚嘆すべき物語』(ロッセル・ホープ・ロビンズ『悪魔学大全』より引用)
  熾天使の軍団の中でも最上位にあった三名、すなわちルシファー、ベルゼブブ、レヴィヤタンはいずれも神に反逆して堕天した。‥‥キリストが冥府に降ったとき、ルシファーは鎖に繋がれたまま、万軍に指令を発していた。
ミカエリスは17世紀のエクソシストで、マドレーヌ修道女に憑依した悪魔バルベリトから教わったとして、悪魔の階級を書き記した。この階級は、今日でもいたるところで引用されている。


■1629年『教皇ホノリウスの書』(ジョルダーノ・ベルティ『天国と地獄の百科』より引用)
  ルシフェルよ、お前を呼びお前に願う、生ける真の神の名において、すべてを言葉によって創造した聖なる神、命ずれば行われる神のために。神の強力な名によってお前を召喚する。
この書は魔術実践本で、これは悪魔召喚の呪文から。


■1667年ミルトン『失楽園』第7巻(岩波文庫)
  だから、わたしはお前に話しておきたい――思えば、あれは天からルーシファが(そうだ、それが、星の中の星ともいうべきあの暁の明星以上に、かつては天使の群れの中でも最も輝ける天使であった彼の名だ)焔をあげて燃える仲間と共に、混沌の世界を真っ逆さまに己の行く場所へと転落し、御子が味方の天使たちを率いて凱旋されたときのことであった。
『失楽園』は現在の反逆天使としてのルシファー像を創り上げた、最高の悪魔文学だが、ミルトンは清教徒革命のクロムウェルの秘書を務めた、れっきとしたクリスチャンである。革命の挫折が、サタン=ルシファーに投影され、力強く美しい滅びの美学が描かれている。


■1812年コラン・ド・プランシー『地獄の事典』ルシフェルの項(講談社)
  ルシフェルはヨーロッパ人とアジア人を支配し、紅顔の美少年の姿で現れる。怒ると顔を真っ赤にするが、怪物じみたところはない。
プランシーの悪魔事典にも、当然ルシファーの項目はある。美少年顔の挿絵もついている。ルシファーを呼び出すのは月曜日で、お礼は「ハツカネズミ一匹でよい」とある‥‥なんだか安っぽいなあ。かなり俗っぽいイメージ化されている。


■1818年『天地始之事』(中城忠・谷川健一『かくれキリシタンの聖画』より)
  七人のあんじょ頭じゅすへる、百相の位、三十弐相の形。
『天地始之事』は長崎の隠れキリシタンに伝わった聖書で、その内容は正伝以外もとりいれられており、とても面白い。この中でルシファーは「じゅすへる」と呼ばれ、「七人のあんじょ頭」、七大天使の長となっている。「じゅすへる」は「ゑわ」と「あだん」に禁断の「まさん木の実」を食べさせたため、天帝から天を追放され、「雷の神」となった。


■1860年エリファス・レヴィ『魔術の歴史』序章(鈴木啓司訳/人文書院)
  ルシファー! 光をもたらす者! 暗黒の精霊に与えられたなんと奇妙な名であろう。なんとしたことだ、光をもたらし弱い魂を盲にするのはこの者か。然り、間違いない。なぜならキリスト教の伝統は、このことを告げる神による啓示と霊感に満ち溢れている故。
エリファス・レヴィの『魔術の歴史』では、引用したこの序文と、「第三之書キリスト教の啓示による魔術の結合と聖なる実現 第三章悪魔について」にルシファーに関する言及がある。秘儀参入者的なルシファー観は、「彼らによれぱ、光を伝達しあらゆる形を集積することからいみじくも《ルシファー》と呼ばれている大いなる魔術的媒介物が、創造物全体にあまねく行き渡っている中間力なのである。このカは創造と破壊両方に働く。アダムの失墜はエロチックな陶酔であり、彼から生まれてくる者たちをこの致命的な光の奴隷にした。感覚を占拠する情愛はどれも、死の淵にわれわれを引ぎずり込もうとするこの光の渦なのである。狂気、幻覚、幻視、恍惚は、この内部の発光体の極めて危険な昂揚状態に起因する。

要するに、この光は火の性質を有しており、これを賢く使えば熱と活力を得るが、逆に便いすぎると焼かれ落かされて無に帰さしめられるのである」という。エリファス・レヴィは「星気体」という魂の発する光(あるいは魂そのもの)の存在を説いており、ルシファーというのは、この星気体に光をもたらす、魔術的媒体であるという。それは強力な力を持った光だが、強力ゆえに、狂気や幻覚などの副作用を起こすこともある。また、「秘儀参入者にとって、悪魔は一箇の人格ではない。それは善のために創られながら悪に奉仕することもできる力である。自由のための道具である。彼らは生殖を支配するこのカを、角を生やしたパンの神話で表現した。エデンの蛇の兄弟であるサバトの雄山羊が出てきたのである。それば光をもたらす者あるいは《光を発する者》であり、詩人により伝説上の偽ルシファーに仕立てられたのであった」とも言い、これはエロスの力、フロイトの言う「リビドー」的な解釈ではないだろうか。


■1883年スタニスラス・ド・ガイタ『呪われし男の言葉』詩集『黒い女神』(幻想出版局『幻想文学36』より引用)
  魔王ルシフェルよ、汝は天界より隕し星、はた地獄の闇になげられし好智ある華、さては瞋恚の炎を燃しつづけて、胸一杯に、叛逆の雄叫あげる天使。
スタニスラス・ド・ガイタはフランスの〈薔薇十字カバラ会〉の総帥だった人物。日本では、詩人としてより、作家ユイスマンスらと呪術戦を行ったオカルティストとして紹介されることが多い。
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-20 23:07 | 堕天使と悪魔の階層 | Comments(0)

ルシファーが登場する「関連書籍」(1)

■前200年頃『ヨブ記』第11章17(日本聖書協会訳『聖書』より)
  そしてあなたの命は真昼よりも光リ輝き、たとい暗くても朝のようになる。
この節のラテン語訳は「et quasi meridianus fulgor consurget tibi ad vesperam et cum te consumptum putaveris orieris ut lucifer」である。最近になって知ったが、『旧約聖書』のラテン語版には、下に記す『イザヤ書』ともうひとつ、『ヨブ記』のこの部分にも、「lucifer」という言葉が使われていた。

ただし、欽定英訳では「And thine age shall be clearer than the noonday: thou shalt shine forth, thou shalt be as the morning」となっており、『イザヤ書』と違い、完全にラテン語訳にしか使用されていない。でも、この節は「もしあなたが心を正しくするならば」、「あなたの命は真昼よりも光リ輝き、たとい暗くても朝のようになる」ということで、正義の行いをする者に対して、「lucifer」という言葉が使用されているのは面白い。


■前200年頃『イザヤ書』第14章12(日本聖書協会訳『聖書』より)
  黎明の子、明けの明星よ。あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたはさきに心のうちに言った。「わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果てなる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう。しかし、あなたは陰府に落とされ、穴の奥底に入れられる。

現在では悪魔の頂点とされているルシファーだが、聖書ではここにしか登場しない。この一節は、ヤコブが「バビロンの王をののしって」言ったものであり、本来は悪魔の話ではない。しかも、もともとヘブライ語で書かれた『イザヤ書』のこの部分は、ヘブライ語ではHelel ben Shaharすなわち「輝く者」である。

紀元前後のギリシア語訳(所謂『七十人訳ギリシア語聖書』)ではeosphorosとなり、これが405年に聖ヒエロニムスによってラテン語に訳された時(俗に『ウルガタ聖書』という)、「明けの明星」を表すluciferとなった。つまり、聖書だけを見るなら、ルシファーという悪魔は、存在しないに等しいのである。だが、次に上げていくキリスト教の神学者たちによって、ルシファーは悪魔化していく。


■150年代頃『ペテロの第二の手紙』第16章(日本聖書協会訳『新約聖書』より)
  こうして、預言の言葉は、わたしたちによりいっそう確実のものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのって、あなたがたの心の中を照らすまで、この預言の言葉を暗闇に輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。

この部分のラテン語訳は「et habemus firmiorem propheticum sermonem cui bene facitis adtendentes quasi lucernae lucenti in caliginoso loco donec dies inlucescat et lucifer oriatur in cordibus vestris」で、ここでも「明けの 明星」に「lucifer」があてられている。ただし、欽定英訳では「We have also a more sure word of prophecy; whereunto ye do well that ye take heed, as unto a light that shineth in a dark place, until the day dawn, and the day star arise in your hearts」となり、やはりラテン語訳にしかでてきていない。

この預言の言葉とは、キリストの言葉のことだ。キリストの預言に「lucifer」が当てられているのは面白い。これが『ヨハネの黙示録』第22章16「わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」へと繋がっていく(ただし、この部分のラテン語訳は「ego Iesus misi angelum meum testificari vobis haec in ecclesiis ego sum radix et genus David stella splendida et matutina 」であり、「lucifer」は使われていない)。


■230年オリゲネス『キリスト教原理について』(ニール・フォーサイス『古代悪魔学』より引用)
  明らかに、この個所のことばによって、かつてはルキフェルと呼ばれ毎朝昇ることを常としていた者が天国から転落したことが示されている。かれが暗闇の存在だと言う人もいるが、もしそうならば、どうして以前かれは光をもたらす者と呼ばれていたのか。あるいは、もしその光の一端さえ持っていないのならば、どのようにしてかれは朝に昇ることができたのだろうか。

オリゲネス(185~256)はギリシアの神学者であり、原著はギリシア語で書かれていたはずである。現存している『キリスト教原理について』は、ルフィヌス(345~410)によってラテン語訳されたもので、おそらくはラテン語訳版で初めてルシフェルの名が記されたんじゃないだろうか。ここで、『イザヤ書』の記述が、バビロニアの王ではなく、悪魔に対してのものだという説が生まれる。この当時、グノーシス主義などの異端宗派が生まれ、オリゲネスら初期神学者たちは異端の信徒たちと議論を交わした。この一節も、二元論に対する、一元論的見解から悪魔について述べられたものだ。なお、この書は『諸原理について』というタイトルで、創文社から全訳がでているが、これを書いている時点で未見。読みしだい、修正します。


■399年エウアグリオス・ポンティコス『修行論』序言(上智大学中世思想研究所訳『中世思想原典集成3』より)
  そして、このような歌声は謙虚さを生み、高慢の根を断ちます。この高慢さこそ、古えよりの悪であり、「黎明に昇る明けの明星」を地に振り落とすものなのです。
これはエウアグリオス・ポンティコス(345~399)の神学書からで、後に「七つの大罪」となる、貪欲、淫蕩、金銭欲、悲嘆、怒り、嫌気、虚栄心、傲慢の「八つの想念」について書かれている。これらは悪魔が源になっているが、まだ具体名は出てこず、上に記した傲慢が「明けの明星」に当てられているのみ。原典はギリシア語なので、この頃はまだ「ルシファー」ではないはず。このへん、オリゲネスの影響らしい。また、「罪」ではなく「想念」、仏教の「煩悩」に近いものとされている。ようするに、修行者は煩悩を捨てなくてはならないって内容。


■426年アウグスティヌス『神の国』第11巻15章(岩波文庫)
  ところが、かれらは、預言者の証言に、すなわち、イザヤが悪魔をバビロニアの君主の人格をもって象徴的にあらわして、「ルチフェルよ、朝にのぼっていたあなたは、どうして天から落ちてしまったのか」といい、あるいはエゼキエルが「あなたは神の園の快楽のうちにあって、ありとあらゆる宝石にかざられていた」という証言にどう答えるのであるか。この証言においては、悪魔が罪なくあったときもあることが理解されるのである。

アウグスティヌス(354~430)も、413年から426年にかけて書き記した『神の国』の中で『イザヤ書』のルシファーを悪魔とみなした。「エゼキエルが」とあるのは、『エゼキエル書』第28章のエピソードで、ここでも「あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に見せ物とした」とあるが、これもイザヤ書同様にツロの王の事を指していて、悪魔を指しているわけではない。

アウグスティヌスはもともとマニ教徒だったが、キリスト教に改宗した人物で、「ところが、かれらは、」というのは、マニ教徒たちを指しており、この文章は、マニ教の二元論に対する一元論的悪魔観を述べている文章である。マニ教の二元論が「悪」がもとから「悪」として創られたのに対し、アウグスティヌスの一元論では、もともとは「罪なくあった」ものとして創られたものが、「悪」になったと語っている。ということは、ルシファーという存在は、神学者がキリスト教における一元論神学を語るにあたり、「必要悪」として創られたんではないだろうか。


■1130年コンシュのギヨーム『宇宙の哲学』第2巻12金星について(上智大学中世思想研究所訳『中世思想原典集成8』平凡社より)
  さてこの星はルキフェル〔暁の明星〕ともヘスぺルス〔宵の明星〕とも呼ばれる。早朝、日の出の前に見られるときはルキフェルと、夕方、日没後に見られるときにはヘスペルスと呼ばれるのである。コンシュのギヨーム(1090~1154)はフランスのシャルトルの神学校を中心とした、所謂「シャルトル学派」のひとりとされている。

この『中世思想原典集成8』はシャルトル学派の文献を集めたものだが、これを読む限り、ギリシア哲学・神話を取り込んだ、かなり独特の神学が語られていたようだ。この『宇宙の哲学(Philosophia mundi)』でも独特の宇宙論が語られていて、惑星についての解説のところに、ルキフェルが登場しており、ここでは完全に「暁の明星」として扱われ、堕天使ではない。ただ、この金星の説明部分は、「四番目は、プラトン学派に従えば、金星である。

熱く湿った星である。そのために有益な星であり、一年で黄道を一周する。この星はしかし、火星と淫行を働くと言われている。というのも、自身の軌道よりも上方に出現するときに、火星への接近を果たしてその利益を減じるからである。また快楽の女神とも言われるが、それはこの星が熱さと湿気とをもたらし、それによって熱さと湿気を帯びた者たちのあいだで情欲が増すからである」と、やはりギリシア神話のヴィーナスと結びついて、快楽を司る存在となっている。あと、対となる存在として、「ヘスペルス」が登場している。


■1151年ヒルデガルド『スキヴィアス』(種村秀弘『ビンゲンのヒルデガルトの世界』青土社より)
  私は正義であり、節を持ち、悪を欲しない。だが、おお人間よ、汝は悪を認識して以来、悪に手を出している。汝もルチフェルも、汝らはともに堕ちる。なぜなら汝らは――虚無から呼ばれるやたちまち――私に反逆するからだ。汝らは善から悪に向かって落下した。しかしながらルチフェルは悪をすっかり身内に入り込ませて、善を完全に投げ捨てた。彼は善を味わうことなく――死の手に落ちた。

ヒルデガルド(1098~1190)は、ドイツの女性修道院長。天上のヴィジョンを幻視体験し、その記録として書き記したのが、この『スキヴィアス』である。これは三部に分かれており、ルシファーに関する記述は、1部と3部にある、らしい。翻訳は『中世思想原典集成15女性神秘家』にあるけれど、残念なことに第2部しか翻訳されてないので、私も種村秀弘『ビンゲンのヒルデガルドの世界』の、簡単な解説でしか読んでない。

美しい天使であったルチフェルが、神が天上で輝くように、自分も地上で輝きたいと欲したところ、神は「天に二つの神があってはならない」と言い、ルチフェルを地獄に落としたのだという。その後、楽園でイヴをそそのかし、禁断の実を食べさせた。これによって、善と悪が分かれたという。オリゲネスやアウグスティヌスは、神学の解説として『イザヤ書』のルシファーを紹介しただけだったが、ヒルデガルドは幻視により、ルシファーを神話化した。ルシファーの堕天神話はミルトンが描くよりも500年早く、ここになされていたのである。


■1158年ヒルデガルド『石の書』(種村秀弘『ビンゲンのヒルデガルトの世界』青土社より)
 すなわち神は最初の天使を全身くまなく宝石で飾ったのである。この最初の天使ルチフェルは神性の鏡にこれらの宝石が輝いているのを見て、そこから彼の知識を受けとった。それらの宝石に、神が多くの奇蹟を巻き起こそうとされるのを見てとった。するとルチフェルの精神はおごり昂ぶった。我が身にまとうた石の光輝が神のうちに反射していたからである。彼は自分が神と同等であり、神以上のことをなしうると思った。それゆえに彼の光輝は消されてしまったのである。

も一冊、ヒルデガルドの著作から。この書は正確に言うと、『自然のさまざまの被造物の隠された諸性質の書』に含まれる文献である。この書には、さまざまな宝石について書かれているが、その序文に書かれた文章だ。ルチフェルが宝石で飾られているのは、『エゼキエル書』によってはいるが、とても女性らしい幻視である。
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-20 23:06 | 堕天使と悪魔の階層 | Comments(0)

悪魔の階級 Hierarchy of Demons

 古代からすでに、天使の階級のように悪魔にも階級付けをする試みは度々行われていたが、その系図に確かなものはなく、その正当性が認められる悪魔の階級というものはないと言っていい。

ここではセバスチャン・ミカエリスとミカエル・プセロスの悪魔の階級を一例として紹介しているが、この悪魔学の系図におさめられている階級においても、ミカエリスの階級にあきらかに作り上げられた悪魔がいることや、プセロスの悪魔の分類でもプセロス自身がこれが完全な分類ではないことをあらわしているため、一つの悪魔の分類を鵜呑みに受け取るのは注意が必要である。

ミカエリスの悪魔の階級
セバスチャン・ミカエリスは十七世紀に活躍した宗教者でありエクソシストとして名をはせた人物。彼は天使の階級にたいして悪魔の階級というものを発表した。

---------------------------------------------------------
(上級三隊 )
熾天使 ベルゼバブ(Beelzebub)
熾天使 ルシファー(Lucifar)
熾天使 レヴィアタン(Leviathan)
熾天使 アスモデウス(Asmodeus)  
智天使 バルベリト(Barivert)
座天使 ウェリネ(Uerine)
座天使 グレシル(Gresiru)
座天使 ソロイネン(Soroinen)
---------------------------------------------------------
(中級三隊)
能天使 カレアウ(Kareau)
能天使 カルニウェアン(Karniuean)
主天使 ロステル(Lostel)
権天使 ウェリエル(Ueriel)
---------------------------------------------------------
(下級三隊)
力天使 ベリアス(Berias)
大天使 オリウィエル(Oryiel)
天  使 イウウァルト(Iuuart)
---------------------------------------------------------

ミカエル・プセロスのデーモン六階級
最高位 レリウーリア 輝く栄光のデーモン
二位 アエリア 空中に棲むデーモン
三位 クトニア 陸上を徘徊するデーモン
四位 ヒュドライアまたはエナリア 水中に潜むデーモン
五位 ヒュポクトニア 地下世界の住人
六位 ミソパエス 光を憎み、地獄の最奥部に棲む盲目のデーモン

(真野隆也『堕天使』)
デーモンは陸・海・空、いたるところに群がり、その棲む地域の影響を強く受ける。高位のデーモンは人間の感覚に直接働きかけ、知性に対しては間接的なアプローチで誘惑する。下位のデーモンは動物的本能のまま病気、事故、憑依によって人間を襲う。最下位のデーモンのミソパエスには人間との意志疎通能力はない。
[PR]
by sigma8jp | 2008-10-30 04:48 | 堕天使と悪魔の階層 | Comments(0)

堕天の理由

Ⅰ 驕り
「天使の位階の一つがその下なる位階と共に神に背き、信じがたい考えをいだきて、大地の上なる雲よりも高く御座をもうけようとした」(『エノク書』)
かつて神の副官であり、他の天使たちを統べる大天使長であり、もっとも力を持ち神の寵愛をもっとも受けていた天使がルシファーであった。しかし、それだけの地位と力を持ったことが彼に傲慢の心を抱かせることになった。自分が神の代わりに天の御座に着くことができるのではないかと考えたのだった。
「ああ、おれはすばらしく輝いている。いかにもおれは尊い君主であり、神よりも尊いのだ。おれが神より尊い証に、神の玉座に座って見せよう」(ミルトン『失楽園』)
そして彼は他の天使たちを率いて神に反旗を翻した。しかし彼らは戦いに敗れ、天より落とされることになる。

Ⅱ 嫉妬
ルシファーら堕天使たちが神に反旗を翻した理由に、驕りではなく嫉妬からとする説もある。初めに天使たちが創造され、その後土塊から人間が創造され、神はこの人間を天使たちよりも上位に置き、寵愛を注いだ。しかし、新参者であり力も劣る人間が自分たちよりも上位の地位に置かれ、寵愛を奪われたことがルシファーを初めとする堕天した天使たちの不満を買い、反乱が起きる結果となった。『失楽園』でもルシファーは自分が神に背いた理由に驕りだけでなく人間への嫉妬心があることも独白している。

Ⅲ 不従順
これは前記の嫉妬とも重なるが、神への不従順もある。神が人間を創造したとき、天使たちにこの新しい被造物に服するように告げた。しかし、炎より生まれた自分たちがより劣る土塊より生まれた人間に服することはできないと反抗した。
さらに大天使長であったルシファーは神をもっとも愛した天使であり、神がはじめに天使たちを創ったときに神だけを敬うように告げていたことを忠実に覚えていて、神以外の者に服することはできないと考えた。神はその命令は忘れ人間へ服従するように言うが、彼は断固として人間への服従を拒否した。だがこうした彼の神への強すぎる愛と嫉妬は理解されず、彼は天から追放されることとなる。
地獄へと落とされた彼は自分にかわって新たに寵愛を得た人間たちを憎むことになる。

Ⅳ 欲情
グリゴリという人間を監督する役目を持った天使たちがいた。地上の美しいアダムの娘たちの魅力に取り憑かれ、神から禁じられていたにも関わらず、地上に降り立ちアダムの娘たちをと交わり同棲した。
彼らはさらに、同様に禁じられていた天の秘密の多くを人間に教えた。金属を加工する技術、美しくなる化粧の方法、天文学など。そうした知識を人間に与えたことも神の怒りを買うことになった。

Ⅴ 自由意思
神は通常の天使たちとは違い、自由意思を持った天使をも創りだした。この自由意思を持つ天使は神とも対等であり、かつ自由の身であった。
彼らは神と一つであることを避け、神から離れていった。あまり天界から離れなかった者もいれば、下界の大気にまで落ちた者もいる。さらに地上にまで落ちた者は肉体をまとい人間となった。さらに遠くまで落ちていった者が悪魔となった。
ギリシアの神学者オリゲネスは天使が人間になるのと同様、人間も天使になることができ、また悪魔が天使に戻ることもできると主張した。
[PR]
by sigma8jp | 2008-10-30 04:30 | 堕天使と悪魔の階層 | Comments(0)

堕天使とは Fallen Angels

堕天使とは何か

堕落した天使、天使のアンチテーゼ、天使でありながら神に背反し天界を追放された存在、それが堕天使である。同様に天使の対極に位置する存在として悪魔の存在があるが、天界を追放された堕天使たちの成れの果てが悪魔であるとして、堕天使=悪魔と見なされることが多い。

厳密にいえば、堕天使と呼ばれるもの全てを悪魔と結びつけることはできないし、悪魔においてもかつて天使だった者たちばかりではなく例外もある。あえて堕天使と悪魔を分けて簡潔に定義するなら、堕天使:天使として生まれながら、堕落、神への反抗などの理由から天界を追放されている者たち悪魔:神に反する者、人間を悪の道に導く者、地獄に住む者

このページにおける堕天使と悪魔の解説については、堕天使=悪魔という見方にそって説明をしている。堕天使と悪魔を結びつける理由としては以下の天使の自由意志の説に従う。

ユダヤ教は史上でも初めての唯一神教である。それはキリスト、イスラム教でも受け継がれている。そして神が万物の創造主であり、この世の全ての事象は神が創りだしたことになる。それならば、なぜ神は自然の災害や病気までも生みだし、人に争いや悪行などを犯すように創ってしまったのか。

それらは全て神と敵対する悪魔たちの仕業によるものとされた。だが、万物の創造主が神である以上、悪魔たちもまた、神に創られたことになる。なぜ神はわざわざ自分に敵対してしまうような存在を創ってしまったのか。それを説明するためにいるのが堕天使であり、天使の存在なのである。

神は自分の手足となって動く御使いとして天使を創造した。天使とは神の意志に従い、その意志を実行するために創られたものだから、常に神には忠実であり続ける。しかし、神はそうした天使たちとは別に自由な意志を持った天使も創りだした。それは、通常の天使が初めから神を崇め敬うように創られているのとは違い、彼らが神を敬うか敬わないかは彼ら自身にゆだねられるのだった。なぜそのような存在を創ったのか。

それは、神が初めから自分を敬い愛するように定められているものたちからの敬愛だけでなく、自身の自由な意思を持つものからの、自発的に起きる愛により価値を置き、それを求めたからとされている。
ところがそうして自由意思を持って生まれた天使たちの多くが神を裏切り、堕天使となってしまった。そして悪魔と呼ばれる存在となった。
だが、こうした説明はすべての出来事を善なる神一人に帰してしまったことによって生じた矛盾を解決すべくつくられていることも否めない。

二元論

もともと旧約聖書には悪の存在や堕天使の観念はなく、人に災いをもたらす存在はハ=サタンと呼ばれていた。この言葉は対立する者といった意味で使われ、ハ=サタンとは人に試練を与えるといった役職のようなものであり、神と敵対する存在ではなかった。 ユダヤ教に善と悪の二元論が持ち込まれたのはゾロアスター教の影響ともいわれる。

ゾロアスター教では、この世は善神アフラ・マズダーと、悪神アンラ・マンユとの絶え間ない闘争にあるという。このゾロアスター教の善と悪の存在の概念が、後になってユダヤ教に取り入れられ、結果、その派生であるキリスト、イスラム教にも影響を与えることになったようだ。

しかし、善のみの一元的存在である神が、結果として悪なる堕天使(悪魔)たちをも生み出してしまったことはやはり矛盾をはらんでしまっていると言える。
[PR]
by sigma8jp | 2008-10-30 04:29 | 堕天使と悪魔の階層 | Comments(0)

ルシファー Lucifer 七つの大罪:傲慢

《 かつての大天使長 》
Lucifer(ルシファー、ルシフェル)は「明けの明星」を意味し、「光を掲げる者」、「朝の子」などの称号を持っていた。「明けの明星」とは金星のことで、この星が夜が明けてからも最後までその輝きを残すことから。
このような称号にふさわしく、ルシファーは堕天する以前は天使たちの中でもトップの地位にいた。大天使長という最高位にいて、かつ神からもっとも愛されていた天使であった。唯一神の玉座の右側に侍ることが許され、天使の中でも最高の気品と美しさを備えていた。

《 神への反抗 》
これほどの境遇にいたルシファーがなぜ神に反抗したのか、その理由は驕り、もしくは嫉妬によるものとされている。
驕り:最高の権威と力を与えられたルシファーはそれにうぬぼれてしまい、そこに彼の心に魔が差した。自分は他の者に服従するべき者ではないと。すなわち、自分が神を追い越せるのでは考えたのだった。そして彼は味方になる天使を集めて神に反旗を翻した。

嫉妬:ルシファーの反乱は嫉妬から来ているとする解釈もある。神は人間を創り人間にこの上ない寵愛を注ぎ、なおかつ天使以上の優遇を与えようとした。このことが彼の不満となり、同様にそのことへの不満を抱いていた天使たち、または彼を慕っていた天使たちを集めて反乱を起こすにいたった。
ほかに、父なる神がルシファーとは兄弟になる御子を生みだし、御子に最高の栄誉を与えられたことがルシファーの嫉妬をあおったという解釈もある。ミルトンの『失楽園』の中では、この時、怒り狂うルシファーの頭から「罪」が生まれ、彼はこの娘との間に交わって「死」を誕生させている。御子とは後に人類の原罪を償うために受胎して地上に降り立つイエス・キリストのことである。

《 サタンとなったルシファー 》
神へのクーデターは結局失敗に終わり、彼ら反逆の天使たちは神が彼らを罰するために創った地獄へと追い落とされる。地獄でルシファーとしての称号を失った彼はサタンと呼ばれるようになり、堕天使たちを率いる地獄の君主となる。
堕天した天使たちからはかつての霊質は失われ、物質化した肉体を持つ。

《 イヴを誘惑するサタン 》
『創世記』に記されているアダムとイヴの楽園追放の話に現れる、イヴに禁断の木の実を食べるように誘惑した蛇、この蛇こそ、サタン(ルシファー)が乗り移った(化けた)蛇である。サタンと蛇のイメージが結びつけられることは多く、年経た蛇(ドラゴン)の姿で現れることもある。

《 サタンの姿 》
中世では悪魔の君主の姿として、サタン(ルシファー)もまた悪臭漂う体毛におおわれ、角を生やし天使の翼の代わりにコウモリの羽をはやしているといった姿で現れる。
ダンテの『神曲』では地獄の底で半身を氷づけにし罪人を食べている巨大な姿が見られている。
ミルトンの『失楽園』では天使としての輝きは失いながらも、君主たる威厳と堂々たる姿は失っていなかった。

《 様々のルシファー観 》
ルシファーがサタンに結びつけられるようになった原因は、『イザヤ書』の「あしたの子、ルシファーよ、いかにして天より墜ちしや」のルシファー(金星)をなくなったばかりのバビロン王になぞらえた一節が誤読され、サタンに関係するものとされたことによる。さらにミルトンが『失楽園』においてルシファーを主役においたことによって、この解釈が確固としたものになる。
四、五世紀のラビの文献ではルシファーはサマエルとして描かれ、熾天使の上に創られた天使として最高位にあり、十二枚の翼を備えている。

失墜するルシファーのイメージは、カナンの「明けの明星」シャヘルと「宵の明星」シャレムの双子神の伝承から来るとも言われる。シャヘルは太陽神の玉座を手に入れようと反乱を起こし地上に落とされた。それが『イザヤ書』の節のもとになったという。

ルドルフ・シュタイナーの現代のルシファー観では、ルシファーは悪神アーリマンの敵対者であり、霊的領域に上るための力を人間に吹き込み、大地から解き放とうとする。しかしルシファーの行為はやりすぎる傾向もあり、無責任な霊的世界への落下には時として抵抗する必要もある。アーリマンは人間を生命のない土に変えてしまおうとするが、ルシファーが生命を与えすぎても人間は愛に満ちた大地の再生に関わることを忘れてしまう。
[PR]
by sigma8jp | 2008-10-30 04:22 | 堕天使と悪魔の階層 | Comments(0)