カテゴリ:「ゾロアスター教」( 3 )

ザラスシュトラ

ザラスシュトラの幻影

  ザラスシュトラおよび、ゾロアスター教に対し、人々は実像以上に膨れ上がったイメージを持った。たとえばゾロアスター教の神官は、占星術の大家であると、ギリシャ人は勘違いした。ペルシア帝国の支配地域の一つにバビロニアがあり、その地域の占星術師をゾロアスター教の神官と取り違えたというのが実際のところであった。

また、ゾロアスター教の神官を指す「マギ」という言葉は、マジックの語源となった。実際に神官たちが行っていたのは、防衛的な白魔術にすぎないのだが、人々はそこに魔術や奇術の使い手としてのイメージをこめた。

18世紀後半に、フランス人学者アンクティユ・デュペロンによって古代イラン語文献がヨーロッパに紹介された。つまり、その時点まで、ザラスシュトラの教えは直接検証されることなく、ザラスシュトラのイメージだけが独り歩きしていたことを意味する。

19世紀になってやっと、ゾロアスター教の研究が大きく進み、それまで語りつがれてきた「偉大な先覚者ザラスシュトラ」の像は大きく揺らいだ。学者たちは当然そこにプラトンやイエスにつながる思想を発見できると期待したわけだが、期待にそうものは発見できなかったためである。

しかし、その後ニーチェが「ツァラトゥストラかく語りき」において、自らの思想をザラスシュトラに仮託して語ると、ニーチェ的なザラスシュトラの虚像が出現した。さらにドイツのナチズムがアーリア民族の優位性を演出するために、その地位が高められた。

日本でザラスシュトラが紹介されたのは、この時期に重なる。またそれはドイツ経由で紹介されているため、日本ではザラスシュトラに対し現在でも過剰な期待を寄せる傾向がある。
イメージだけが肥大化したザラスシュトラについては、今でもいたるところで語られている。

等身大のザラスシュトラを知ろうとするならば、歴史の反省にたち、次の注意が必要となろう。それはたとえ最新の論文であったとしても、以下のポイントが守られていない場合は、ただ幻影だけを追い求める結果になりかねない。

①ザラスシュトラ自身の言葉を直接検証する。
②ゾロアスター教の周辺のアーリア人の諸宗教の影響を考慮する。
③アヴェスターの中に存在する時差に注意する。

(最古層はザラスシュトラの直言であろうが、後世に付け加えられた内容も経典アヴェスターは含んでいる。また全体としては、聖書やマニ教の経典、仏教の経典よりも後に成立している)。

---------------------------------------------------------

ザラスシュトラの教えの時代

 「ザラスシュトラの教え」とペルシア語で表現されるゾロアスタ-教は、イランの民族的宗教詩である『アヴェスター』の最古層に当たるガーサーが成立した、紀元前15世紀から紀元前12世紀頃までに、その原型が作られていたと考えられる。ここより、ザラスシュトラの活動した時代を、紀元前15世紀まで遡らせる考えもある。

他方、『アヴェスター』の「ガーサー」の歴史的な古さは認めるとして、歴史的人物として、古代ペルシアの宗教を改革して、倫理的に高い価値を提示するゾロアスター教として形成したザラスシュトラは、もっと後代の人物であり、アケメネス朝ペルシアが成立すると同じ頃、あるいは、それより少し先行する時代に登場したとの学説もあり、こちらの方の考え方では、ザラスシュトラ及び彼の教えは、紀元前7世紀から紀元前6世紀頃が妥当であるということになる。

ザラスシュトラとその教えの成立年代は、紀元前15世紀から、紀元前6世紀までの幅があり、学問的には正確なところが、依然として不明である。ザラスシュトラの活動についても諸説がある。

---------------------------------------------------------

アケメネス朝からサーサーン朝まで

 しかし、歴史的人物としてのザラスシュトラの時代に、諸説があるとしても、その他方で、アケメネス朝ペルシアの歴代の大王たちが、ザラスシュトラの教え、すなわちゾロアスター教に帰依していたことは事実である。

アケメネス朝第3代の王ダレイオス1世は多くの碑文を残したが、自らアフラ・マズダーの恵みによって、王となりえたことを記している。また、初代王キュロス大王はしばしばユダヤ人のバビロン捕囚に対する解放者として見なされるように、アケメネス朝ペルシアは、異民族の宗教に対して寛容であった。

したがって、逆言すれば、ゾロアスター教がアケメネス朝ペルシア帝国の「国教」であったとする説は必ずしも正確とは言えない。アケメネス朝ペルシアの支配者たちの宗教はゾロアスター教であったが、帝国に帰属する多数の民族の宗教に対しては一定の自由が保障されていたともいえるのであり、それ故にこそ、アケメネス朝支配下において、ユダヤ人は独自のシンクレティズム的な宗教思想を育むことが可能であったとも言える。

同時代のギリシャの歴史家ヘロドトスは、「ペルシア人はこどもに真実を言うように教える」「ペルシア人は偶像をはじめ、神殿や祭壇を建てるという風習をもたない」と記している。
アフラ・マズダー(右)より王権の象徴を授受されるサーサーン朝のアルダシール1世(左)のレリーフ(ナグシェ・ロスタム)

『アヴェスター』ヤスナ28章「ガーサー」アレクサンドロスの征服によって、アケメネス朝は滅び、後継者の一人であるセレウコスの王朝がペルシアに成立するが、この当時、パレスティナからメソポタミア、イランにかけての広大な地域には、ヘレニズムの波が押し寄せた。

ヘレニズムの広範な勢いにおいて、ギリシアの文化はインドにまで伝播され、逆にインドの文化が、地中海世界にも流れ込んだ。

このような文化的なシンクレティズムの時代を背景に、ユダヤ教は新しい神学を興し、後のグノーシス諸派や洗礼教団の起源ともなる救済者の教えが広く流布され、そこからミトラス教やキリスト教も、その原型が形成された。

ゾロアスター教も元来は寺院や偶像を是認しなかったが、他文明の影響もあり、それらを受け入れるようになっていった[6]。

激動の時代のなかで、ペルシアにおいては、セレウコス朝は倒れ、代わってペルシア人の帝国であるアルサケス朝(パルティア王国)が起こる。アルサケス朝において、ゾロアスター教の公式な教義が確定されていったとも考えられており、それは聖典『アヴェスター』を文書化し、古来よりの伝統を記録する試みとも連動していた。

『アヴェスター』の文字化は、サーサーン朝の成立の後、半世紀以上が経過した、3世紀半ば頃に完成するが、しかし、この時点では、言語は中世ペルシア語となっており、古代ペルシア語で記されている『アヴェスター』の「ガーサー」部分は、すでに解読が困難にもなっていた。

またサーサーン朝に至って、ゾロアスター教は帝国の正式な「国教」となった。マニ教を異端と断罪し、マニを処刑したのは、ゾロアスター教の国教化に最大の功績を挙げたと自負するカルティールであった。
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-10 17:06 | 「ゾロアスター教」 | Comments(0)

ゾロアスター教とは

  ゾロアスター教(-きょう,英語:Zoroastrianism,独語:Die Lehre des Zoroaster/Zarathustra,現代ペルシア語:دین زردشت [Dîn-e Zardošt])は、古代バルフ(Balkh、ダリー語・ペルシア語 بلخ Balkh )の地に始まる宗教である。バルフは現在のアフガニスタン北部にあり、ゾロアスター教の信徒にとっては、始祖ザラスシュトラが埋葬された地として神聖視されてきた。
b0140046_17121788.jpg

ゾロアスター教は、善と悪の二元論を特徴とするが、善の勝利と優位が確定されている宗教である。一般に「世界最古の一神教」と言われることもあるが、これは正しくはない。ゾロアスター教の中では、アムシャ・スプンタなど多くの神々が登場する。開祖はザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)である。

その根本教典より、「アヴェスターの宗教」であるともいえ、イラン古代の宗教的伝統の上に立って、ザラスシュトラが合理化したものと考えられる。光の象徴としての純粋な「火」を尊んだため、「拝火教」とも呼ばれ、また「祆教」(けんきょう)ともいう。
b0140046_17125385.jpg
他称としてはさらに、アフラ・マズダーを信仰するところから「マズダー教」の呼称がある。ただしアケメネス朝の宗教をゾロアスター教ではないとする立場(たとえばエミール・バンヴェニスト)からすると、ゾロアスター教はマズダー教の一種である。パーシ(パールシー)教徒とも呼ばれる。

イラン高原北東部に生まれたザラスシュトラは、インド・イラン語派の信仰を、善と悪との対立を基盤に置いた壮大な世界観を有し、また、きわめて倫理的な性格をもつ宗教に改革した。

ザラスシュトラは、最初に2つの対立する霊があり、両者が相互の存在に気づいたとき、善の霊(知恵の主アフラ・マズダー)が生命、真理、光などを選び、それに対してもう一方の対立霊(アンラ・マンユ)は死や虚偽、闇を選んだと唱えた[1]。

すなわちゾロアスター教では、宇宙の法たる神(光明神)アフラ・マズダーを主神とし、アフラ・マズダーに従う善神スプンタ・マンユに代表される善の勢力と、アフラ・マズダーに背く悪神(暗黒神)アンラ・マンユに代表される悪の勢力の2つの原理によって世界が成立していると説く。このため、火や光を崇拝する。

人間はみずからの自由意志で、善の側か悪の側かに立つことができる。両者の争いの果てに、最終的には善が勝利して、悪を滅ぼし、悪神の勢力は滅ぼされるという宇宙史的運命を主張した。
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-10 17:05 | 「ゾロアスター教」 | Comments(0)

救済の宇宙史観

 スピターマの一族に属するザラスシュトラの思想は、バルフの小君主であったウィシュタースパ王の宮廷で受容されて発展した[1]。ザラスシュトラは、アフラ・マズダーの使者であり預言者としてこの世に登場し、善悪二元論的な争いの世界であるこの宇宙の真理を解き明かすことを使命としている。

かれによれば、知恵の主アフラ・マズダーは、戦いが避けられないことを悟り、戦いの場とその担い手とするために世界を創造した。その創造は天、水、大地、植物、動物、人間、火の7段階からなり、それぞれがアフラ・マズダーの7つの倫理的側面により、特別に守護された。

創造された「この世界」を舞台とした二つの勢力の戦いが、歴史であるという把握は、キリスト教の初期の神学者であるアウグスティヌスの歴史観に先行する世界史観とも言える。ザラスシュトラによれば、「この世界」は常に邪悪な勢力の攻撃を受け、ときに悪や破壊に覆われてしまうこともある。

光と闇が争い、この争いが地上の歴史であり、神は真理を教えるため、人間に救済者・預言者を定期的に送り出し、人間に救いを齎すという教えは、後のユダヤ教の宗教思想に継承されたと一般に言われる。人は善の戦いに加わり、その行いは死に際して裁かれ、義人は天国へ行き、そうでない者は地獄へと送られる。

世界の終わりにはサオシュヤントと呼ばれる救済者が出現する。彼はザラスシュトラの保存された精子から処女を通して生まれ、世の終わりに救世主として現れる。そこで最後の審判がなされ、最終的には悪は滅ぼされて、善なる世界が永遠に続く、とされる。
[PR]
by sigma8jp | 2008-11-10 16:54 | 「ゾロアスター教」 | Comments(0)