カテゴリ:プラト二ズム思想( 3 )

ロシアのプラトニズム Ⅲ

3-3. 運命
 「プラトンの人生のドラマ」が執筆された前後に、ソロヴィヨフは「人生のドラマ」に関連する論文をいくつか書いている。その一つが、1887 年の「プーシキンの運命」である。ソロヴィヨフによれば、プーシキンは詩人として天才であったが、世俗的虚栄心に負け、その結果、決闘によって短い生涯を閉じる。

プーシキンは「運命」の偶然にもてあそばれ、彼の霊感から生まれるはずであった数々の詩は、彼の突然の死によって、我々から永遠に失われてしまった。ソロヴィヨフは、運命について次のように語る。「運命は、人間に『無関心な』あるいは『悪魔的』力である。

無関心さという特徴が強調されるとき、運命という言葉で、物質的世界の法則が理解される。敵対的な力として運命について語られるとき、それは悪魔的、地獄的原理に近くなる。しかしわれわれはこれらの力に最終的に依存しているのか。」37

もし運命が、人間に疎遠な、外部の偶然的力であり、我々がその力にもてあそばれているのであれば、それは現実世界の偶然的力がイデアより強力であるということになる。それでは、イデアを現実世界の中で実現することなど不可能である。運命の力は否定されなければならない。しかし、どのようにして否定されるのか。

「われわれの存在において決定的な役割は『無関心な自然』にも、悪魔的精神力にも属するものではないことは、私にとって、一般的に....ずっと以前から明白であり、第三の...観点の真理性を固く確信していたが、しかしそれをいくつかの特に宿命的な諸事件に適用することを、私は長い間できなかった。

それらもかならず、どうにかして真の観点から説明されると私は確信していたが、私はこの説明を見出さなかった。また理解できない諸事実と心中で和解することができなかった38 。」(強調はソロヴィヨフ)

このソロヴィヨフの言明は興味深い。運命は否定されねばならないということを、彼は「一般的には」ずっと以前から、確信していたが、それを個別事例に適用することができなかった、というのである。しかし、個別事例に適用できない一般的命題などは、無力な願望にすぎない。

プーシキンの運命という個別、具体的な事例にこの一般命題を適用し、命題の真理性を確証しなければならない。では、この論文で、プーシキンの生涯が、運命の力に翻弄され、もてあそばれたのではないことを、論証できたのか。

残念ながら、論証できていない。外見上は「運命」の力の勝利に見えるプーシキンの死は、実は「摂理」であると、言うのがこの論文の結論である。論文自体の出来は芳しくなく、「運命」を「摂理」と言い換えるだけの、言葉遊びに終わっているきらいがあるが、しかしこの論文は、彼にとって焦眉の関心が何であったのかを如実に示している。

イデアはこの世界で実現されるし、されなければならない。地上の悪は、地上において克服される。なぜなら、イデアと現実の媒介者、神人イエスがすでに我々の前に現れたのであり、人類も神人への道を確実に歩んでいるのだから。

恐らく、ソロヴィヨフは、「一般的には」、このように答えるだろう。しかし、それを実現していく現実的力を個別、具体的に提示することは、彼にとって困難であった。ここにおいて、イデアと現実を媒介する力を見出せなかったプラトンとソロヴィヨフ自身とが重なるのである。
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by sigma8jp | 2008-12-23 00:00 | プラト二ズム思想 | Comments(0)

ロシアのプラトニズム Ⅱ

2. ウラジーミル・ソロヴィヨフとプラトン

2-1. イデア
 前節で概観したロシア・プラトニズムの基本枠組みは、ソロヴィヨフによって提供された。ソロヴィヨフはさまざまな作品の中でプラトンに言及しているが、プラトンを直接主題にした作品は少ない。論文は1898 年に執筆された「プラトンの人生のドラマ」と同年執筆されたブロックハウス・エフロン百科事典の「プラトン」の項目だけである。

他に、プラトンについての講義をモスクワ高等女学院(1875 年)およびペテルブルグ高等女学院(1880-1881 年)で二期開講したことが知られている。晩年にはプラトン著作集の翻訳に携わり、死後、1899 年に一巻のみが刊行された。

ソロヴィヨフとプラトンとの関係を考察するためには、以上の作品だけでは不十分である。チホラーズは、ロシア宗教哲学のプラトンへの転回の歴史において、ソロヴィヨフが中心的位置を占めると指摘しつつ、二つの視点を区別し、両視点それぞれからソロヴィヨフとプラトンの関係を分析する必要があるとする。

それは、
1) ソロヴィヨフの中のプラトン的要素の析出、
2) ソロヴィヨフのプラトン解釈の分析という視点である。

この区別は、一定の留保つきで、ソロヴィヨフ思想の分析にとって有益であるように思われる。
留保というのは、何をもって、ソロヴィヨフの思想における「プラトン的要素」とするのかがあいまいな点である。それを「ネオ・プラトニズム的要素」あるいは「シェリング的要素」とも呼びうるからである17。有益というのは、この視点が、

1) ソロヴィヨフの思想に独特の刻印を押した「プラトニズム」と、
2) 彼の具体的プラトン解釈を区別して考察する可能性を与えるからである。

最初に、ソロヴィヨフの「プラトニズム」の特徴を考察しよう。それは、イデアは現実世界において実現されなければならないし、実現されうるという、独特のイデア理解にある18。『抽象原理批判』(1877-1880)の中で、ソロヴィヨフはイデアについて次のように語る。

イデアは抽象概念ではない。抽象概念はいくつかの諸対象に共通な一般特性を抽出したものである。それは一般性、普遍性を増大させるほど、具体的内容は乏しくなる。ある個人が国民、人類、生物、存在等々へと抽象化されていけばいくほど、彼の個性は失われていく。

それに反して、イデアは高次になるほど、その内容はより具体的に、より豊かとなる。「概念は常に多くの対象に共通の標識のみを表現している。イデアは一つの(形而上学的)存在の基本的本質である19。

では、「イデアが一つの存在の基本的本質」とはどういう意味か、あるいはどういう事態なのか。さしあたり、それを、存在と認識の一致としておきたい。ソロヴィヨフによれば、認識主体と認識対象は内的、本質的に結びついている。認識対象の本質、つまりイデアは、認識主体の主観によって作り出されたものではない。

それは認識対象の固有の本質を認識主体に開示するものである。それは「想像」を介して認識主観に提示される。われわれの主観のイデア的本質は、他のすべての対象のイデア的本質とのある相互関係、相互作用のもとにある。

この相互作用をわれわれは想像と名づける。これはわれわれの知性の中に、諸対象の恒常的、規定的で単一の、自己に等しい諸表象を生じさせ、それらの諸形態によってわれわれは対象からわれわれが獲得した部分的印象のすべての無規定の数多性を統一し、固定するのである。

対象のイデアがわれわれの感性の部分的、偶然的感覚にも、われわれの悟性の抽象的作用にも依存していない限りで、対象の固有の本質、固有の性格はわれわれの知性の中で想像され、ある形象を直接に反映する、あるいは生み出す20。

しかしまた、認識主観も、自己の本質、つまりイデアを持っている。認識対象のイデアは認識主観のイデアといわば照応し、両者が結合される。他方で、ここでは対象は無差別の領域の中で作用しているのではなく、同じく自己の固有の性格、固有の本質あるいはイデアを持つある規定された主体との相互作用の中にあるのだから、そのような相互作用によって産出された対象の形象は必然的に、認識対象の本質的性格によってだけでなく、認識主体の本質的性格によっても規定されている。

[…]主体は対象のイデアを自己に固有のイデアの光の中で見る21。つまり、認識主観がある対象に関するイデアを持つということは、その対象の本質を把握したこと(認識したこと)であり、同時に認識対象の存在が確証されたことである。なぜなら対象のイデアは対象によって主観に開示されるものであるのだから。

そしてそれが可能な根拠は、認識主観のイデアと認識対象のイデアが本質的に結合しているからである。では、この本質(=イデア)とは存在のどのような段階なのか。

『全的知識の哲学的原理』(1877 年)において、ソロヴィヨフは諸存在の領域(美、善、真)と階梯に関する詳細な議論を展開する。彼によれば存在は、絶対的存在(スーシェエ、сущее)絶対的本質(スーシュノスチ、сущность)地上的存在(ビチエー、бытие)の三つの段階をもつ22。

絶対的存在(スーシェエ)は、自己自身を「表象」する。この「表象」が絶対的本質(スーシュノスチ)であり、イデアである。もっとも、絶対者は「自己の外」に自己を実現しなければならない。この「外化された」存在が地上的存在(ビチエー)である。つまり、絶対的存在は、自己の表象(=イデア)を介して、自己を地上的存在へと外化する。

逆に言えば、地上的存在はイデアを介して絶対的存在と結びつく。ここに、絶対的存在の「流出」と「流出」の第一段階としての「絶対者の表象」としての「イデア」というネオ・プラトニズムに典型的な思想が表明される。


2-2. エロス
  「プラトンの人生のドラマ」は、ソロヴィヨフ研究において、しばしば言及される著名な論文である。ソロヴィヨフの甥で彼の伝記作者であるС.М. ソロヴィヨフや、有名なソロヴィヨフ論の執筆者であるЕ. トゥルベツコーイは、これがプラトンではなくソロヴィヨフ自身の自伝であるとする23。

ソロヴィヨフの自伝的作品であるか否かはともかく、この論文がプラトン解釈としてユニークであるのも事実である。ローセフは、ソロヴィヨフのプラトン解釈の正しさと独創性を強調する24。
ソロヴィヨフは論文をプラトンの諸対話編の年代決定という問題からはじめる。

プラトンの思想の展開過程が明確になれば、諸対話編の執筆順序も分かるということである。したがってプラトンの「人生のドラマ」を再構成することで彼の思想も再構成される。プラトン自身が、プラトンの作品に統一を与える真の原理となる。

では、プラトンの人生の「ドラマ」の発端となった事件とは何か。もちろん、それはソクラテスの死である。ソクラテスの死は、プラトンにとって、現実世界と理想世界という二つの世界が深淵によって分離されていることを痛感させた。

正義の人が正義のために死なねばならない世界は、真の世界ではない。正義が生きている別の世界が存在している。プラトンは自己の観念論を――そしてこのことは一般にほとんど指摘されなかったが――抽象的議論からではなく、彼の生涯がそれによって始められた深い精神的体験から導出しなければならなかった25。

しかしプラトンにおけるソクラテスの死の重要性を指摘することに新しさはない。ソロヴィヨフの解釈の新しさは、架空とはいわないまでも、実証されていない「事件」(それはプラトンの恋愛とその挫折)を中心にしてプラトンの人生が構成され、この「事件」によって彼の人生の意味が照射されている点である。これがソロヴィヨフのプラトン解釈の新しさである。プラトンは恋愛をし、失恋した。

たとえ歴史がこの興味深いロマンの個人的詳細について、誰と、どのようにしてそれが生じたのかについて沈黙しているとしても、二つの対話はその事実があったということ、およびプラトンがそこから何を導出したのかについて、十分に証言している。

この知られていない、しかし必然的に前提とされる事実だけが、プラトンの世界観の後の転換についての鍵を与え、それだけが『パイドン』と『饗宴』の出現とその性格を説明しうる。この二つの作品は、そこに反映されている明るく、生を楽しむ気分によって、そ11して主題そのものによって、プラトンの他の作品と鋭く区別される26。

ソクラテスの死は、二つの世界の分離をもたらした。そして「恋愛」の事件は、二つの世界に橋を架けた、二つの世界をむすびつけた。しかし、それは理論、観念、思弁によってではなく、エロスによってである。

理性にとって、[二つの世界の]結びつきはなかった。しかしある非合理的なことが生じた。神々と死すべきものたちの間の、中間の力が現れた。それは神でも人間でもなく、ある強力な、悪魔的な、そして英雄的な存在である。その名はエロス、職務は天と地の間、そしてそれらと地獄の間に橋をかけること。これは神ではない。しかし自然の至高の神の司祭、つまり媒介者、橋の作り手である27。

エロスは二つの世界を媒介する。何によって? それは美である。「その[エロスの]真の創造にとって、二つの世界の境界、あるいは接点が残る。それは美と名づけられている28。」そして、エロスによって現実世界は真なる世界と結び付けられ、現実の世界は永遠の世界に改造される。

エロスが二つの自然――神的および死すべき自然――の肯定的で本質的結合であれば[…]死すべき自然そのものを不死にする以外のどこにエロスの真の、最終的事業がありえるのか? […]エロスの課題..はただ我々の自然の、それ自身としては不死性を有していない部分、通常は誕生と死の物質的な流れに飲み込まれている部分に不死を告知することにある。

[…]エロスは単に考え、思惟するだけでなく、活動し、創造し、生み出す...ということである。ここでもその直接の対象は思弁的な理念ではなく、全き身体....的生..である29。エロスによって現実界はイデア界と結びつき、イデアは現実の中で実現される。

ソロヴィヨフによれば、プラトンの人生と思想の歩みは、この思想へと導くはずであった。ソロヴィヨフによれば、エロスによるイデアと現実の統合という理念は、プラトンの対話編の随所で表明されている。『饗宴』におけるアリストファネスの語る太古の人間は、両性具有であり、それは男性原理と女性原理の統一の思想を表明している。

『パイドン』における美の規定は精神と肉体の統一、いわば「精神的身体性」の思想を表明している。そして『饗宴』におけるディオティマが語るミュートスでは、エロスは神でも人間でもないもの、神と人間の間にある存在、「神人性」として提示されている。

しかしプラトンは、エロスの無限の力を確信することも、それを獲得するという事業に踏み出すこともできなかった。「実際にはすべてが以前のままであった。[…][世界の不正の]真の矯正と完全なる援助――人間的自然の再生を通して――は彼にとって手に負えないものであったのだから、彼はより表面的な、そのかわりより近づきやすい課題――社会的諸関係の改革を選んだ。」30

これがプラトンの『国家』の意味である。「いくつかの個々の思想の深さと大胆さにもかかわらず、社会体制の全体的理想はその表面的性格と真に倫理的諸原理の欠如に驚かされる31」と、ソロヴィヨフは『国家』を評する。

しかしプラトンは、エロス論をまだ、完全に放棄したわけではなかった。『ティマイオス』と『ビレボス』において、「ピュタゴラスの影響とは独立に、プラトンのもとでエロスの学説と結びついて生じたところの、世界観の転換の明白で深い痕跡を帯びていた。二つの世界と二つの生の無条件の対立については、その痕跡すらなかった。

ただ宇宙を形成する諸原理の相対的対立が残された。『ティマイオス』の中で中心的位置をしめるのは、イデア的存在と実在的存在を結合する世界霊魂――エロスの別名――であった32。」

プラトンは最後の対話編『法律』において、エロス論を、そして、ソロヴィヨフによれば、「哲学」を最終的に放棄する。「シラクサで最終的に失望したプラトンは、クレタ島に思想を向け、そこに都合のよい僭主が現れることを期待して、クレタ島における未来の模範的都市のための12 巻の法令集を書いた。[…]その作品は、ソクラテスと哲学の、忘却ではなく、直接の拒否であった33。」

「かくてソクラテスのもっとも偉大な弟子は、[…]最後になって、全面的にアテネの観点に立ったのである34。」

以上が、ソロヴィヨフが語る「プラトンの人生のドラマ」である。ソクラテスはイデアを擁護したために、現実世界の代表であるアテネによって殺された。イデア界と現実界は分断された。その後、恋愛という事件が、両世界を媒介するエロスという思想へとプラトンを導いた。

しかしプラトンは最終的にその思想を展開し、それに基づいて生きることができなかった。何故か。それはプラトンがキリスト教徒ではなかったからである。ソロヴィヨフによれば、キリストこそが現実世界とイデア界を結びつけ、現実を変革し、地上においてイデアを実現することを可能にする存在であり、「神人」である。

キリスト教の根本的理念を「エロス」という思想で表明した点で、プラトンはキリスト以前のキリスト教徒である。しかし、エロスの力を最後まで確信できず、それを放棄してしまったという点で、完全なキリスト教徒になれなかった、挫折したキリスト教徒であった。最後に、「プラトンの人生のドラマ」には、ネオ・プラトニズムの強い影響が見出される点を指摘しておきたい。

なによりも、プラトンをキリスト「神学」として把握したこと、エロス論をプラトン思想の中核と捉え、エロス=愛をイエス・キリストにかさねあわせることに、両者の共通性がある35。
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35 以下のソロヴィヨフの文章は、ピコ・デラ・ミランドラおよびフィッチィーノの思想と表現にいたるまで共通性がある。「盲目的で本能的な宗教は、何よりもまず神自身にとって侮辱的である。神は人間にこれを求めない。いかなる嫉妬とも無縁な、無限な善として、神は悪魔(бесы)にも動物にも世界の中に席を与えたとはいえ、神の喜びはそれらの中にではなく、「人間の息子たち」の中にある。そしてこの喜びが完全となるために、神は人間に特別な贈り物を約束した。それを悪魔たちは嫉妬し、動物たちはそれについて何も知らない。

もちろん、それらの贈り物は重要であり、それらを介して、人間の超・動物的生の最初の外的形姿が、創出されたのであり、それをわれわれは教養(образованность)と名づけている。それは火と耕作なしでは存在しなかったろう。人類の偉大な恩人はプロメティウス、デメーテル、ディオニュソスである。しかし三倍偉大な者と呼ばれているわれわれの父、ヘルメス・トリスメギストゥスもいる。人間的共同生活の身体的形態に彼は彼の生きた魂を、生活の原動力―哲学―を入れた。それは無償で、出来合いの姿で人間が永遠の真理と至福を得るためにではなく、真理と至福の勤勉で、人間的な道を二つの側面から―迷信的悪魔的おののきと、愚鈍で動物的無分別からまもるために。」Там же. С. 251.
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ちなみに、ソロヴィヨフの、そして「ロシア・プラトニズム」の根本概念とされる「全一」とは、ネオ・プラトニズム的概念であって、プラトンの概念ではない。「全一」は「流出」の概念から導出されるからである。

カッシーラーによれば、プラトンにおける二つの世界の「分離」と「関与」の思想は、ネオ・プラトニズムの「流出」の思想とは根本的に異なる。カッシーラーは言う。プロティノスと新プラトン主義は、プラトン的思考とアリストテレス的思考の根本動機を合一させようとする。

けれどもそれらは――体系的に考察するならば――これらの根本動機をただ一つの折衷的混合へともたらしているにすぎない。新プラトン主義の体系は、プラトンの「超越」の思想、つまりは叡智的なものと感覚的なものとの絶対的対立という思想によって支配されており、しかもその際この「超越」の思想はまったくプラトン風に、いなそれどころか表現上はいっそう強調されて描き出される。

しかしまた同時に、アリストテレスの発展概念がここに採り入れられ同化されることによって、プラトン的体系には免れがたかった弁証論的緊張は緩和される。プラトンの超越の範疇とアリストテレスの発展の範疇はあいよって「流出」といういわば混血概念を作り出す。…]

キリスト教中世がいかにこの前提を受け入れ、またいかにしてこれをキリスト教中世的な意向において造り変えたかは、すでに偽ディオニシウスの著作についての考察がわれわれに示したところである。

キリスト教中世がそこから得たのは、段階的媒介という根本範疇であり、それは一方で神的超越をどこまでも存立せしめつつ、しかも他方では、諸概念と精神的諸力の位階的秩序という思想のうちで、これを理論的にも実践的にも宥和せしめるというものであった36。

カッシーラーによれば、神的世界から天使界、地上へといたるヒエラルヒー、また地上界においても、教皇から最下層の民衆へといたるヒエラルヒーを是認し、正当化する思想が「流出」であった。それ故、ネオ・プラトニズムからプラトニズムへの転換こそが、イタリア・ルネッサンス哲学の根本特徴となる。

そしてそれを推し進め、パラダイム転換を図った思想家が、クザーヌスである。彼にとって現実界は神的世界(=イデア界)から決定的に断絶している。それ故現実世界の中で、より神に近いものとより遠いものを区別することは無意味である。

すべてのものは「等しく」神から分離されており、かつ「等しく」神が関与している。この意味で、すべての者が神に直接対面している。現実界とイデア界(=神的世界)との「媒介」をソロヴィヨフは生涯にわたって、探求した。それが「エロス」であり、「神人」であり「ソフィア」であった。
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by sigma8jp | 2008-12-22 23:36 | プラト二ズム思想 | Comments(0)

ロシアのプラトニズム Ⅰ

ロシア・プラトニズムとウラジーミル・ソロヴィヨフ

はじめに
  プラトンとロシア、これは一見奇異な取り合わせである。この取り合わせで、ポパーの『開かれた社会とその敵』が想起されるかもしれない。ポパーによれば、プラトンは、マルクスとともに、全体主義の思想家である。両者の思想に共通するのは「徹底主義」と「唯美主義」であり、その非現実性の一例としてソヴィエト社会主義である1。
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1 「プラトンの言明は、実際あらゆる形態の完全な政治的徹底主義の非妥協的態度の―唯美
主義者の妥協拒否の―真実の叙述である。社会は芸術作品のように美しくあるべきだという見解から暴力的方策へと行き着くのはきわめて容易である。だがこのような徹底主義と暴力のすべては、ともに非現実的で無益である(このことはロシアの展開の例が示してきた[…])。」カール・ポパー著、内田詔夫、小河原誠訳『開かれた社会とその敵: 第一部:プラトンの呪文』未来社、1980 年、164-165 頁。
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では、プラトンはソヴィエト社会主義体制となにか関わりがあったのか。恐らく、関わりはない。社会主義期においてプラトンは、哲学史上無視はできないが、観念論の源泉として、慎重に取り扱われるべき思想であった。

1974 年にロシアで、プラトン生誕2400 年を記念する論集が刊行された。論集の筆者たちは、プラトンの思想の「現代的意義」を、信じていたが、論集は学術書の体裁を慎重に守っている2。
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2 「現代的意義」というのは、ロシア宗教思想の学的伝統を維持するという意義である。もとより、70 年代ソヴィエトでそれを公言することは不可能であった。この論集は、おそらく、ローセフを思想的中心とする集団によって編集された。論集の中で、学術論文の形式を守りつつ、ローセフは、「進化するイデア」という興味深い論点を提示しているが。それ以外に、プラトンを主題とした著作は、ソヴィエト期にはほとんどない。それでは、ロシアとプラトンという取り合わせは、まったくの偶然かと言えば、決してそうではない。ロシア思想、とりわけロシア宗教思想は19 世紀中葉以来今日にいたるまで、プラトンに特別の関心を抱き続けてきたのである。
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しかも、ロシア思想において、プラトンはおおむね「政治的」に受け取られてきた。それはポパーの言うような、直接的なイデオロギーという意味で政治的なのではなく、プラトンに関する関心が、アカデミックな関心というよりも、当時ロシアの直面していた現実の諸問題と密接に関わっていたという意味で「政治的」であったのである。

ロシア思想において、19 世紀待末から20 世紀初頭の、いわゆる宗教ルネッサンスの時代に、プラトンへの関心が高まる。宗教ルネッサンスを担った思想家たちの多くは、新カント主義から宗教へ回帰した。この一つの原因として、社会の産業化と大衆化にともなう、旧来の「個人」概念の動揺と、新しい「個人」概念の模索というロシアおよび西欧が置かれていた時代状況があった。

П. ノヴゴロツェフが『現代法意識の危機』3で指摘したように、人権が個人の自由で理性的な意志に由来するとする旧来の法理論(権利意志主義)は大衆化社会の権利理論としては不十分なものとなった。ロシア国家と社会のありかたそのものを変革し、かつ集団としての個人の権利を擁護する枠組みの必要性が、当時の思想に求められていた。

やや大胆に言えば、西欧的な福祉国家論のいわば代替として宗教思想が登場するのである。この過程でロシア思想は宗教、とりわけ神秘主義と融合していく。ロシアでは、このような脈絡において、プラトンが受け入れられる。

ここから、ロシア・プラトニズムの「政治的」、実践的性格も説明される。ロシアでは、現実変革の理論として、プラトニズムが受容されたのである。イデアと現実を融合させようとする傾向がロシア・プラトニズムの第一の特色である。

西欧のH. コーエンに代表される西欧の新カント派のプラトン解釈がイデアと現実を峻別したのに対し、真っ向から異を唱え、「イデアは現実世界で実現されなければならない」と主張するに至る4。

しかしプラトンによれば、イデア界と現実界は断絶しているのであるから、両者をつなぐ「媒介」が必要である。ロシア・プラトニズムはこの媒介をプラトンの「エロス」の中に発見する。エロス論がプラトン思想の核心とされる。これがロシア・プラトニズムの第二の特色である。

さらに、イデアは現実世界の中で実現されなければならない。そうであれば両者をつなぐだけでは不十分である。イデアを現実世界で実現するためには、イデアに即して現実を変革する「力」が必要となろう。この力を持つためには、「媒介」は「媒介者」とならなければならない。プラトンはそれを見つけられなかった。ここにプラトンの限界がある。

この限界を乗り越え、真の「媒介者」、イエスを見出したのが、キリスト教である。プラトンはイエスを知らなかったキリスト教徒である。プラトンとキリスト教が結合される。これがロシア・プラトニズムの第三の特徴である。本稿では、最初に、ロシア・プラトニズムの特色を概観する。

続いて、ロシア・プラトニズムの中核的思想家であるウラジーミル・ソロヴィヨフのプラトン論を検討する。ソロヴィヨフこそが、ロシア・プラトニズムの基本枠組みを提供した思想家だからである。


1. プラトンとロシア
プラトンとロシアとの関係を最初に定式化したのは、おそらく1840 年代のスラヴ主義者、とりわけイワン・キレーエフスキイであろう。彼によれは、西欧はアリストテレス主義であり、ロシアはプラトン主義である。西欧の合理主義と個人主義、そして「無神論」の根源には、アリストテレスの思想がある。

それに対してロシアでは、個人と集団は調和を保っている。ロシア思想の根源にあるのは、プラトンの伝統であったということになる。この時点で、ロシアの西欧からの独自性と自立性の根拠として、プラトンが注目される。したがって、プラトンは単なる一人の思想家ではなく、プラトニズムは単なる学説ではない。

それはロシア思想・文化の源流として、ロシアに深い刻印を押したのであり、いわばロシア思想そのものなのである。周知のように、スラヴ主義にとって、ロシアの特性は、そして幸運は、キリスト教をギリシャから受容したことにあった。それは西欧の合理主義に毒されていない、純粋なキリスト教であった。

そしてプラトンもまた、ロシア思想の特性の源泉であるのだから、当然プラトンはキリスト教と重ね合わされる。純粋なキリスト教はプラトン主義的であるとされる。キリスト教的プラトニズム、あるいはプラトニズム的キリスト教がロシア的キリスト教とされる。

ロシアをプラトン的であるとして西欧に対置し、かつプラトニズムとキリスト教を結合あるいは同一視するこのキレーエフスキイのテーゼは、その後のロシア宗教思想に基本的枠組みを提供したのである。キリスト教とプラトンとの結合はいくつかの困難な問題を生じさせる。

第一に、西欧のキリスト教がアリストテレス的であるという主張は事実というよりも、ひとつの神話に過ぎない。キリスト教はその成立の当初からプラトニズムと密接に結びついていた。オリゲネスやアウグスチヌスの思想がプラトニズムの強い影響の下にあったのであり、キリスト教神学そのものが、プラトニズムなしでは生まれなかったであろう。

この困難を避けるために、たとえばローセフは、キリスト教的プラトニズムを、正教・東方的プラトニズム、カトリック・西欧的プラトニズム、プロテスタント的プラトニズムの三つに分ける。しかし、正教的プラトニズムとは何かは依然としてあいまいであるだけでなく、新たな問題を生じさせる。

もし、正教的プラトニズムがロシアに固有のものであり、西欧のプラトニズムと異なるのであれば、ロシアは、何時、何処から、どのようにしてこのプラトニズムを受容したのか。ロシアの宗教研究者たちは、ロシアへのギリシャ正教の流入とプラトニズムの流入を同一視する5。

だが、チホラーズは、詳細な分析によって、17世紀以前にプラトニズムがギリシャ、あるいはブルガリアから流入した事実はないと論証した6。プラトニズムは18 世紀以降に、西欧からロシアにもたらされたのである。

ところが、プラトニズムのギリシャからの流入を否定したチホラーズが、今度は次のように言う。「ルーシにおけるプラトニズムの明白な経験的欠如にもかかわらず、プラトニズムとの精神的出会いが独自のロシアの宗教哲学の誕生を可能にした7。」

それは「歴史‐哲学および理論的な原因によってではなく、世界におけるロシア人の存在手段そのものに根ざしている実存的な諸原因により条件付けられている」8というのである。

チホラーズの言う「実存的諸原因」とは、ロシア人が自己の無力さ、自己に疎遠な現実の圧倒的力を常に感じざるを得ないような歴史的状況におかれてきた、ということである。それ故に、プラトニズムがたとえ西欧から持ち込まれようが、ロシアにおいて独自の宗教哲学の一つの源泉となった、と彼は述べる。

チホラーズの指摘そのものは興味深いが、その適否は、ロシアの「実存的諸原因」が実際に存在していたのかという、より大きな歴史・哲学的問題の解決に依存している。したがって小論では、これ以上立ち入らない。

第二の困難は、プラトニズムとキリスト教の異質性にかかわる。プラトニズムなくしてキリスト教神学はなかったが、その反面で、プラトニズムはさまざまなキリスト教異端の温床でもあった。キリスト教はプラトニズムによって育てられながら、プラトンとプラトニズムを「呪逐」したのである9。

もっともキリスト教とプラトニズムの矛盾はロシアに限られたことではなく、西欧でもしばしば問題となった。ここで、プラトンとキリスト教の異質性を二つほどあげ、そこから帰結する思想的緊張を指摘しておこう。異質性の一つは、「無からの創造」というキリスト教の根本的教義とプラトンとの相違である。

プラトンの神「デミウルゴス」は原初の混沌(カオス)に秩序を与え、宇宙を創造した。神は創造者というよりむしろ工作者、あるいは芸術家であり、原初の混沌はその材料「プリマ・マテリア」である。神「デミウルゴス」以前に宇宙は、カオスとしてではあったが、存在していたのである。これに対して、キリスト教の神は無からの創造者であり、神以前には混沌も、「プリマ・マテリア」も存在しない。

「無からの創造」の教義とプラトンの「デミウルゴス」は、現実の世界、つまり自然に対する対極的な見方を生む。両者の根本的相違を認識したのが、カントであった。カントはケプラー、ニュートンらの物理神学の中に、「デミウルゴス」と「プリマ・マテリア」の二元論を見る。物理神学は自然法則を神の摂理をみなし、自然法則の究明によって神とその摂理を究明しようとする。

もし神が自然法則を与えたのであるとすれば、法則を与えるべき自然はすでに存在していなければならない。カントは物理神学との対決を通じて、法則は認識対象の側にではなく認識主体の側にあるとする批判哲学を構想するにいたるのである10。

相違点の第二は、プラトニズム(正確にはネオ・プラトニズム)の流出説とキリスト教の三位一体論との間にある。キリスト教によれば、父と子と聖霊は「同一実体」(ホモウーシアス)である(ニカイア信条)。しかしネオ・プラトニズムの「流出説」からは位格間のヒエラルヒーが導き出される。ティリッヒによれば、この緊張はすでにオリゲネスの思想において現れている。

[オリゲネスにとって]ロゴスは、その永遠性にもかかわらず、父なる神より低いものである。父のみが由来を持たない存在であり、これに対して子は父によって存在する。[…]このことは彼の思想のなかには、二つの異なった原理が互いに矛盾しあいながら存在していることを示すものである。一方では子の神性を強調せねばならなかった。

なぜなら、神性なしに子は救済者でありえないからである。他方、彼は流出説に基づいてこう教える。つまり神的なものからの流出は最高の段階から最低の段階にいたる度合いを持つものであると。三つの最高原理である父・子・聖霊と、それ以外の霊的存在とのあいだの限界は流動的なものである11。

以上の二つの相違点は、同じ機能、神的世界と現実世界(=自然)との区別をあいまいにするという機能をはたす。神の存在以前にカオス(=「プリマ・マテリア」)があったとすれば、「プリマ・マテリア」そのものは、神から自立した存在である。

神に先在し、かつ神から自立した存在とは、神とは異なる原理に由来する存在である。つまり神と異なる原理と神的原理が並存することになる。神と異なる原理は、神に、少なくとも全面的には、依存していない。この意味でそれは、すでに一種の「神的存在」であり、第二の神である。

この「第二の神」は、「プリマ・マテリア」(第一質量)として、自然のすべてに偏在している。「全自然に遍在する神」という観念は、汎神論的観念である。シェリングは「神」と「神の内なる自然」12を区別し、両者の弁証法として人間的自由を導出したのであるが、それが汎神論であるとして批判されたのも、無理はないのである。

上述したように、オリゲネスの流出説においては、父・子・精霊と「それ以外の霊的存在」との区別があいまいとなった。しかし、「それ以外の霊的存在」とは何か。この概念を拡大していけば、すべての存在が「霊的存在」となり、その結果、神的存在と自然的存在の区別は廃棄される。

これは、新プラトン主義に典型的な存在論である。プロティノスにとって、神は絶対的に超越的な「一者」(ト・ヘン)であり、それは不変、不動の、あらゆるものの究極的根拠である。「一者」から「精神」(ヌース)が流出する。それは永遠者の自己直感であり、イデアである。

「精神」から「魂」(プシュケー)が流出する。「魂」は生、運動、現実化の原理である。それは全宇宙を動かす原理でもあり、したがって、「宇宙霊魂」が存在する。「魂」は宇宙的原理と個別的原理の二義性を持つ。それは一方では「精神」に向かい、他方では「自然」(ピシュス)に向かう。

「自然」は「魂」と「物質」(マテリア)の中間領域であり、「無意識的な魂」の領域である。「自然」は自己自身を意識していないものの領域であり、人間においてのみ魂は意識的となる。つまり、プロティノスにおいて、存在は一者・精神・魂・自然・物質という階層構造を持っている。

ウラジーミル・ソロヴィヨフにおいて、神と自然の区別はいっそうあいまいとなる13。彼はプロティノスの存在論をさらに推し進める。彼の存在論においては、魂、自然、物質の三者の区別があいまいとなり、時として同一視される(宇宙霊魂≒自然≒物質)。したがって、物質も「霊化」と「救済」の対象であり、救済される「権利」を持つのである。

さて、プラトンと並んで、もう一人ロシア思想にとって決定的に重要な思想家がいる。それはカントである。カントは、西欧の合理主義、個人主義、主体と客体の分裂、形式主義等々、ロシアが克服すべき西欧世界の思想すべての思想的根源なのである。つまり、プラトンとカントとは、太古よりヨーロッパを二分してきた相対立する二つの思想類型、文化類型を体現し、代表する両極として理解されるべき存在なのである。

西欧では、プラトンとカントは対立する哲学者というより、継承関係にあると理解される。ショウペンハウエルも、新カント派の哲学者コーエンもそうである。しかし、ロシアでは対置される。ロシア・プラトニズムの理論的基礎を築いたとされるユルケーヴィッチは1866 年に執筆した論文『プラトンの学説における理性とカントの学説における経験』14の中で、プラトンとカントを哲学の二つの対極として提示する。

ユルケーヴィッチの弟子、ウラジーミル・ソロヴィヨフにとって、カントは「最大の論敵にして最大の教師」である。彼の議論の枠組み、概念装置の多くはカントに大幅に依拠している15。マサリックは、ソロヴィヨフのカント的傾向を強調して述べる。

カント――プラトン、この二つのモットーによって、ソロヴィヨフの悲劇的な問題が表現されている。なぜならこの人物の全生涯は、この二つの極を互いに接近させ、結びつけ、克服しようとするむなしい試みだからである。カント――悟性の認識活動、個人の活動性と自発性、プラトン――認識の受容性、客観的なより高い世界の受動的直観。

カント――個人的な批判的悟性の自主性と独立性、プラトン――絶対者やその啓示や教条や教会への依存。ソロヴィヨフにあっては、人生の問題、人生のドラマ、人生の悲劇は、火と水を有機的に結合することの認識論的不可能性にあり、一方は他方を破壊する。

ソロヴィヨフはカントの炎を、スラヴ派と正教の聖水で消すことができなかった。この炎が彼を引きつけた。この消防士の中で、芸術家が目覚める。その芸術家は、消防士としての自分の仕事を忘れて、自分自身の中に没頭し、照らされた目で火事の美しさを眺めて、それに感嘆するのである16。

ロシア・プラトニズムの特徴は、次のように要約できる。第一に、ロシアとプラトンを同一視する。西欧がアリストテレスであり、ロシアはプラトンである。第二に、プラトンとキリスト教を同一視する。プラトン的キリスト教、あるいはキリスト教的プラトニズムが真のキリスト教、つまり正教である。

第三に、プラトニズムとネオ・プラトニズムを同一視する。プラトン、フィロン、プロティノスは、直接的継承関係にある。その結果、「流出」がプラトニズムの基本的観念となる。第四に、プラトンとカントは、正反対の思想として、対置される。
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by sigma8jp | 2008-12-22 23:35 | プラト二ズム思想 | Comments(0)