ロシアのプラトニズム Ⅰ

ロシア・プラトニズムとウラジーミル・ソロヴィヨフ

はじめに
  プラトンとロシア、これは一見奇異な取り合わせである。この取り合わせで、ポパーの『開かれた社会とその敵』が想起されるかもしれない。ポパーによれば、プラトンは、マルクスとともに、全体主義の思想家である。両者の思想に共通するのは「徹底主義」と「唯美主義」であり、その非現実性の一例としてソヴィエト社会主義である1。
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1 「プラトンの言明は、実際あらゆる形態の完全な政治的徹底主義の非妥協的態度の―唯美
主義者の妥協拒否の―真実の叙述である。社会は芸術作品のように美しくあるべきだという見解から暴力的方策へと行き着くのはきわめて容易である。だがこのような徹底主義と暴力のすべては、ともに非現実的で無益である(このことはロシアの展開の例が示してきた[…])。」カール・ポパー著、内田詔夫、小河原誠訳『開かれた社会とその敵: 第一部:プラトンの呪文』未来社、1980 年、164-165 頁。
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では、プラトンはソヴィエト社会主義体制となにか関わりがあったのか。恐らく、関わりはない。社会主義期においてプラトンは、哲学史上無視はできないが、観念論の源泉として、慎重に取り扱われるべき思想であった。

1974 年にロシアで、プラトン生誕2400 年を記念する論集が刊行された。論集の筆者たちは、プラトンの思想の「現代的意義」を、信じていたが、論集は学術書の体裁を慎重に守っている2。
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2 「現代的意義」というのは、ロシア宗教思想の学的伝統を維持するという意義である。もとより、70 年代ソヴィエトでそれを公言することは不可能であった。この論集は、おそらく、ローセフを思想的中心とする集団によって編集された。論集の中で、学術論文の形式を守りつつ、ローセフは、「進化するイデア」という興味深い論点を提示しているが。それ以外に、プラトンを主題とした著作は、ソヴィエト期にはほとんどない。それでは、ロシアとプラトンという取り合わせは、まったくの偶然かと言えば、決してそうではない。ロシア思想、とりわけロシア宗教思想は19 世紀中葉以来今日にいたるまで、プラトンに特別の関心を抱き続けてきたのである。
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しかも、ロシア思想において、プラトンはおおむね「政治的」に受け取られてきた。それはポパーの言うような、直接的なイデオロギーという意味で政治的なのではなく、プラトンに関する関心が、アカデミックな関心というよりも、当時ロシアの直面していた現実の諸問題と密接に関わっていたという意味で「政治的」であったのである。

ロシア思想において、19 世紀待末から20 世紀初頭の、いわゆる宗教ルネッサンスの時代に、プラトンへの関心が高まる。宗教ルネッサンスを担った思想家たちの多くは、新カント主義から宗教へ回帰した。この一つの原因として、社会の産業化と大衆化にともなう、旧来の「個人」概念の動揺と、新しい「個人」概念の模索というロシアおよび西欧が置かれていた時代状況があった。

П. ノヴゴロツェフが『現代法意識の危機』3で指摘したように、人権が個人の自由で理性的な意志に由来するとする旧来の法理論(権利意志主義)は大衆化社会の権利理論としては不十分なものとなった。ロシア国家と社会のありかたそのものを変革し、かつ集団としての個人の権利を擁護する枠組みの必要性が、当時の思想に求められていた。

やや大胆に言えば、西欧的な福祉国家論のいわば代替として宗教思想が登場するのである。この過程でロシア思想は宗教、とりわけ神秘主義と融合していく。ロシアでは、このような脈絡において、プラトンが受け入れられる。

ここから、ロシア・プラトニズムの「政治的」、実践的性格も説明される。ロシアでは、現実変革の理論として、プラトニズムが受容されたのである。イデアと現実を融合させようとする傾向がロシア・プラトニズムの第一の特色である。

西欧のH. コーエンに代表される西欧の新カント派のプラトン解釈がイデアと現実を峻別したのに対し、真っ向から異を唱え、「イデアは現実世界で実現されなければならない」と主張するに至る4。

しかしプラトンによれば、イデア界と現実界は断絶しているのであるから、両者をつなぐ「媒介」が必要である。ロシア・プラトニズムはこの媒介をプラトンの「エロス」の中に発見する。エロス論がプラトン思想の核心とされる。これがロシア・プラトニズムの第二の特色である。

さらに、イデアは現実世界の中で実現されなければならない。そうであれば両者をつなぐだけでは不十分である。イデアを現実世界で実現するためには、イデアに即して現実を変革する「力」が必要となろう。この力を持つためには、「媒介」は「媒介者」とならなければならない。プラトンはそれを見つけられなかった。ここにプラトンの限界がある。

この限界を乗り越え、真の「媒介者」、イエスを見出したのが、キリスト教である。プラトンはイエスを知らなかったキリスト教徒である。プラトンとキリスト教が結合される。これがロシア・プラトニズムの第三の特徴である。本稿では、最初に、ロシア・プラトニズムの特色を概観する。

続いて、ロシア・プラトニズムの中核的思想家であるウラジーミル・ソロヴィヨフのプラトン論を検討する。ソロヴィヨフこそが、ロシア・プラトニズムの基本枠組みを提供した思想家だからである。


1. プラトンとロシア
プラトンとロシアとの関係を最初に定式化したのは、おそらく1840 年代のスラヴ主義者、とりわけイワン・キレーエフスキイであろう。彼によれは、西欧はアリストテレス主義であり、ロシアはプラトン主義である。西欧の合理主義と個人主義、そして「無神論」の根源には、アリストテレスの思想がある。

それに対してロシアでは、個人と集団は調和を保っている。ロシア思想の根源にあるのは、プラトンの伝統であったということになる。この時点で、ロシアの西欧からの独自性と自立性の根拠として、プラトンが注目される。したがって、プラトンは単なる一人の思想家ではなく、プラトニズムは単なる学説ではない。

それはロシア思想・文化の源流として、ロシアに深い刻印を押したのであり、いわばロシア思想そのものなのである。周知のように、スラヴ主義にとって、ロシアの特性は、そして幸運は、キリスト教をギリシャから受容したことにあった。それは西欧の合理主義に毒されていない、純粋なキリスト教であった。

そしてプラトンもまた、ロシア思想の特性の源泉であるのだから、当然プラトンはキリスト教と重ね合わされる。純粋なキリスト教はプラトン主義的であるとされる。キリスト教的プラトニズム、あるいはプラトニズム的キリスト教がロシア的キリスト教とされる。

ロシアをプラトン的であるとして西欧に対置し、かつプラトニズムとキリスト教を結合あるいは同一視するこのキレーエフスキイのテーゼは、その後のロシア宗教思想に基本的枠組みを提供したのである。キリスト教とプラトンとの結合はいくつかの困難な問題を生じさせる。

第一に、西欧のキリスト教がアリストテレス的であるという主張は事実というよりも、ひとつの神話に過ぎない。キリスト教はその成立の当初からプラトニズムと密接に結びついていた。オリゲネスやアウグスチヌスの思想がプラトニズムの強い影響の下にあったのであり、キリスト教神学そのものが、プラトニズムなしでは生まれなかったであろう。

この困難を避けるために、たとえばローセフは、キリスト教的プラトニズムを、正教・東方的プラトニズム、カトリック・西欧的プラトニズム、プロテスタント的プラトニズムの三つに分ける。しかし、正教的プラトニズムとは何かは依然としてあいまいであるだけでなく、新たな問題を生じさせる。

もし、正教的プラトニズムがロシアに固有のものであり、西欧のプラトニズムと異なるのであれば、ロシアは、何時、何処から、どのようにしてこのプラトニズムを受容したのか。ロシアの宗教研究者たちは、ロシアへのギリシャ正教の流入とプラトニズムの流入を同一視する5。

だが、チホラーズは、詳細な分析によって、17世紀以前にプラトニズムがギリシャ、あるいはブルガリアから流入した事実はないと論証した6。プラトニズムは18 世紀以降に、西欧からロシアにもたらされたのである。

ところが、プラトニズムのギリシャからの流入を否定したチホラーズが、今度は次のように言う。「ルーシにおけるプラトニズムの明白な経験的欠如にもかかわらず、プラトニズムとの精神的出会いが独自のロシアの宗教哲学の誕生を可能にした7。」

それは「歴史‐哲学および理論的な原因によってではなく、世界におけるロシア人の存在手段そのものに根ざしている実存的な諸原因により条件付けられている」8というのである。

チホラーズの言う「実存的諸原因」とは、ロシア人が自己の無力さ、自己に疎遠な現実の圧倒的力を常に感じざるを得ないような歴史的状況におかれてきた、ということである。それ故に、プラトニズムがたとえ西欧から持ち込まれようが、ロシアにおいて独自の宗教哲学の一つの源泉となった、と彼は述べる。

チホラーズの指摘そのものは興味深いが、その適否は、ロシアの「実存的諸原因」が実際に存在していたのかという、より大きな歴史・哲学的問題の解決に依存している。したがって小論では、これ以上立ち入らない。

第二の困難は、プラトニズムとキリスト教の異質性にかかわる。プラトニズムなくしてキリスト教神学はなかったが、その反面で、プラトニズムはさまざまなキリスト教異端の温床でもあった。キリスト教はプラトニズムによって育てられながら、プラトンとプラトニズムを「呪逐」したのである9。

もっともキリスト教とプラトニズムの矛盾はロシアに限られたことではなく、西欧でもしばしば問題となった。ここで、プラトンとキリスト教の異質性を二つほどあげ、そこから帰結する思想的緊張を指摘しておこう。異質性の一つは、「無からの創造」というキリスト教の根本的教義とプラトンとの相違である。

プラトンの神「デミウルゴス」は原初の混沌(カオス)に秩序を与え、宇宙を創造した。神は創造者というよりむしろ工作者、あるいは芸術家であり、原初の混沌はその材料「プリマ・マテリア」である。神「デミウルゴス」以前に宇宙は、カオスとしてではあったが、存在していたのである。これに対して、キリスト教の神は無からの創造者であり、神以前には混沌も、「プリマ・マテリア」も存在しない。

「無からの創造」の教義とプラトンの「デミウルゴス」は、現実の世界、つまり自然に対する対極的な見方を生む。両者の根本的相違を認識したのが、カントであった。カントはケプラー、ニュートンらの物理神学の中に、「デミウルゴス」と「プリマ・マテリア」の二元論を見る。物理神学は自然法則を神の摂理をみなし、自然法則の究明によって神とその摂理を究明しようとする。

もし神が自然法則を与えたのであるとすれば、法則を与えるべき自然はすでに存在していなければならない。カントは物理神学との対決を通じて、法則は認識対象の側にではなく認識主体の側にあるとする批判哲学を構想するにいたるのである10。

相違点の第二は、プラトニズム(正確にはネオ・プラトニズム)の流出説とキリスト教の三位一体論との間にある。キリスト教によれば、父と子と聖霊は「同一実体」(ホモウーシアス)である(ニカイア信条)。しかしネオ・プラトニズムの「流出説」からは位格間のヒエラルヒーが導き出される。ティリッヒによれば、この緊張はすでにオリゲネスの思想において現れている。

[オリゲネスにとって]ロゴスは、その永遠性にもかかわらず、父なる神より低いものである。父のみが由来を持たない存在であり、これに対して子は父によって存在する。[…]このことは彼の思想のなかには、二つの異なった原理が互いに矛盾しあいながら存在していることを示すものである。一方では子の神性を強調せねばならなかった。

なぜなら、神性なしに子は救済者でありえないからである。他方、彼は流出説に基づいてこう教える。つまり神的なものからの流出は最高の段階から最低の段階にいたる度合いを持つものであると。三つの最高原理である父・子・聖霊と、それ以外の霊的存在とのあいだの限界は流動的なものである11。

以上の二つの相違点は、同じ機能、神的世界と現実世界(=自然)との区別をあいまいにするという機能をはたす。神の存在以前にカオス(=「プリマ・マテリア」)があったとすれば、「プリマ・マテリア」そのものは、神から自立した存在である。

神に先在し、かつ神から自立した存在とは、神とは異なる原理に由来する存在である。つまり神と異なる原理と神的原理が並存することになる。神と異なる原理は、神に、少なくとも全面的には、依存していない。この意味でそれは、すでに一種の「神的存在」であり、第二の神である。

この「第二の神」は、「プリマ・マテリア」(第一質量)として、自然のすべてに偏在している。「全自然に遍在する神」という観念は、汎神論的観念である。シェリングは「神」と「神の内なる自然」12を区別し、両者の弁証法として人間的自由を導出したのであるが、それが汎神論であるとして批判されたのも、無理はないのである。

上述したように、オリゲネスの流出説においては、父・子・精霊と「それ以外の霊的存在」との区別があいまいとなった。しかし、「それ以外の霊的存在」とは何か。この概念を拡大していけば、すべての存在が「霊的存在」となり、その結果、神的存在と自然的存在の区別は廃棄される。

これは、新プラトン主義に典型的な存在論である。プロティノスにとって、神は絶対的に超越的な「一者」(ト・ヘン)であり、それは不変、不動の、あらゆるものの究極的根拠である。「一者」から「精神」(ヌース)が流出する。それは永遠者の自己直感であり、イデアである。

「精神」から「魂」(プシュケー)が流出する。「魂」は生、運動、現実化の原理である。それは全宇宙を動かす原理でもあり、したがって、「宇宙霊魂」が存在する。「魂」は宇宙的原理と個別的原理の二義性を持つ。それは一方では「精神」に向かい、他方では「自然」(ピシュス)に向かう。

「自然」は「魂」と「物質」(マテリア)の中間領域であり、「無意識的な魂」の領域である。「自然」は自己自身を意識していないものの領域であり、人間においてのみ魂は意識的となる。つまり、プロティノスにおいて、存在は一者・精神・魂・自然・物質という階層構造を持っている。

ウラジーミル・ソロヴィヨフにおいて、神と自然の区別はいっそうあいまいとなる13。彼はプロティノスの存在論をさらに推し進める。彼の存在論においては、魂、自然、物質の三者の区別があいまいとなり、時として同一視される(宇宙霊魂≒自然≒物質)。したがって、物質も「霊化」と「救済」の対象であり、救済される「権利」を持つのである。

さて、プラトンと並んで、もう一人ロシア思想にとって決定的に重要な思想家がいる。それはカントである。カントは、西欧の合理主義、個人主義、主体と客体の分裂、形式主義等々、ロシアが克服すべき西欧世界の思想すべての思想的根源なのである。つまり、プラトンとカントとは、太古よりヨーロッパを二分してきた相対立する二つの思想類型、文化類型を体現し、代表する両極として理解されるべき存在なのである。

西欧では、プラトンとカントは対立する哲学者というより、継承関係にあると理解される。ショウペンハウエルも、新カント派の哲学者コーエンもそうである。しかし、ロシアでは対置される。ロシア・プラトニズムの理論的基礎を築いたとされるユルケーヴィッチは1866 年に執筆した論文『プラトンの学説における理性とカントの学説における経験』14の中で、プラトンとカントを哲学の二つの対極として提示する。

ユルケーヴィッチの弟子、ウラジーミル・ソロヴィヨフにとって、カントは「最大の論敵にして最大の教師」である。彼の議論の枠組み、概念装置の多くはカントに大幅に依拠している15。マサリックは、ソロヴィヨフのカント的傾向を強調して述べる。

カント――プラトン、この二つのモットーによって、ソロヴィヨフの悲劇的な問題が表現されている。なぜならこの人物の全生涯は、この二つの極を互いに接近させ、結びつけ、克服しようとするむなしい試みだからである。カント――悟性の認識活動、個人の活動性と自発性、プラトン――認識の受容性、客観的なより高い世界の受動的直観。

カント――個人的な批判的悟性の自主性と独立性、プラトン――絶対者やその啓示や教条や教会への依存。ソロヴィヨフにあっては、人生の問題、人生のドラマ、人生の悲劇は、火と水を有機的に結合することの認識論的不可能性にあり、一方は他方を破壊する。

ソロヴィヨフはカントの炎を、スラヴ派と正教の聖水で消すことができなかった。この炎が彼を引きつけた。この消防士の中で、芸術家が目覚める。その芸術家は、消防士としての自分の仕事を忘れて、自分自身の中に没頭し、照らされた目で火事の美しさを眺めて、それに感嘆するのである16。

ロシア・プラトニズムの特徴は、次のように要約できる。第一に、ロシアとプラトンを同一視する。西欧がアリストテレスであり、ロシアはプラトンである。第二に、プラトンとキリスト教を同一視する。プラトン的キリスト教、あるいはキリスト教的プラトニズムが真のキリスト教、つまり正教である。

第三に、プラトニズムとネオ・プラトニズムを同一視する。プラトン、フィロン、プロティノスは、直接的継承関係にある。その結果、「流出」がプラトニズムの基本的観念となる。第四に、プラトンとカントは、正反対の思想として、対置される。
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by sigma8jp | 2008-12-22 23:35 | プラト二ズム思想 | Comments(0)
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