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呪術師の 「力の約束」

力の約束はいつも守られる約束である!

《 約 束 》
 力の約束は自己の時代 the age of the self にあって行き渡っている闇への回帰の信号灯である。それは人間の限界なき力 potential のかすかな光であり、スピリットの無限のデザインが到達しうる限りのところから、我々のために明るく輝いている。

力の運動は人間の機械的な把握を乗り越える。そしてそのリズムは第1の注意力の世界で、測りがたい神秘として、またはげしい矛盾として己を映している。いかにこの複雑さから意味を取りだそうと闘っても、スピリットのデザインは我々に知られることはない。

力の約束はこの測りがたい神秘の中心に座している。このようなものとして、同じ様な不調和を持つ。遍く不変の範囲と適用を持ちながらも、人はいかにして力の約束がそれ自体、地上のあれこれの人間の運命へと翻訳されるのかは、決して予言することはできない。

我々は戦士として、敬意と謙虚さを持ち、この矛盾に同意する。我々は理解を越えた神秘の手中にあることを認める。完璧な impeccable 解放の態度を現実にすることによって、我々は力の謎をもっとも良く尊重する。この離脱 detachment の力ある意味はトルテックの戦士の定式の言葉に雄弁に述べられている。

わたしは自分の運命を支配する力にすでにひき渡されている。
そして何ものにもしがみつかない。
だから何ものも守るべきものを持たない。
わたしは思考を持たないがゆえに見る。
何も恐れないがゆえに、わたし自身を想い出す。
離脱し detached、そしてくつろぎ at ease
矢のようにイーグルの脇を駆け抜ける、自由へと。

しかし戦士の同意は全面的で絶対的ではない。それもまた力の理解しがたいデザインの矛盾した本質を映し出しているからだ。知の道をゆく旅人として、私たちは完璧さをもって、また個人的責任を冷静に引き受けることによって、放棄 abandonment と解放 release が調和しなくてはならないことを知る。回帰への究極の旅は完全なバランスの中で巧みに混合された節度 sobriety と放棄 abandon の同じ重みなしには成し遂げられない。

ふらつく矛盾の極の間で微妙に漂いながら、我々は戦士-呪術師としてこの調和を達成する。力への放棄の感覚を、最も大切なエネルギー資源の節度ある管理 conservation と釣り合わせる。真の抽象的戦士として、我々は意図へ自己を再結合するために無慈悲に relentlessly 闘わなくてはならない。我々の運命の機械的な詳細 mechanical details と格闘するのではなく、どこへ力が導こうと完璧な道を旅する努力をすることによって。

力の約束は輝く光としての全ての男と女に作られた約束である。固体的物体の世界を越えた不変の現実へ全ての人間 humanity を結びつけるのは、揺れることのない不動者 constant である。我々の生活が個々の状況でいかに異なって見えようとも、我々個人個人は意識の同じ契約の意味するところにより、普遍的に祝福されているのである。それは普遍で否定し難い、必ず守られる力の約束なのである。


《 自由の鳥 》
 隠された直観的レベルで、力の約束の瞬く信号灯が我々一人一人をじらしている tantalize 。抽象への回帰の個人的な旅をイニシエートするために我々を誘いながら。不幸にして、人類はナワールのこれら永続する瞬きを無視するように条件づけられてしまった。第1の注意力の複雑さによって、多くの人が抽象の親しみ安い一つの表現に完全に焦点を合わせ続けている。その結果、人はそのすべてのすることのただなかに、さまよい続けている。

たいていの男女が知覚する唯一のことは、自分たち自らが創造した宇宙の限界である。それは固体的物体の世界、トナールの世界である。人間の多数は生涯親しまれた世界の安全な境界の中に幽閉されたままである。己の作際した知覚のバリアを越えて広がろうとはしない。

我々を力から分離しているのは、全てを消費する all-consuming 自己の感覚である。それは我々の持ち得るエネルギーを漏らし、我々の自己-投影の鏡で取り囲む。日々目前で魔術は飛翔し、踊る。しかし我々はあまりに自己に関わりすぎている self-involved。 そしてその現前を認知するための力が流れていってしまっている drained of。

知に到るためには、この自己-投影のトンネルから、未知 the unknown と不可知 the unknowable の想像不能の拡がりへと出て行かねばならない。トナールの世界へ我々を幽閉するものから自身を解放させることによって、条件づけられた期待 expectations の彼方に我々の知覚を拡げなくてはならない。

トルテックの伝統にある戦士として、我々は自己のエネルギーを集め、力の約束の光へと自らを開く。スピリットへの勝利 victoriousへ我々を戻す力の通りが存在するという不可能な展望 impossible prospect へ我々を明け渡す release。

そのような奇跡的な勝利の約束はナワリズムの信号灯であり、戦士の知の道のエッセンスである。地上のあらゆる生き物はチャンスを持つチャンスを持っている。我々個人個人が究極の創造的勝利 creative victoryを実現する隠れた能力を持つというチャンスである。この回帰への魔術の戸口は自由の鳥のメタファーとして戦士の対話を通して見られることができる。

トルテックの言によれば、この神秘的な鳥は全ての人の上を沈黙のうちに舞い上がり、力の約束の意識をその身にたずさえている。この畏るべき生き物は我々一人一人の上を滑空し、意図の構築物を通してその現前を認知する準備ができた者に普遍的希望と目的をもたらす。

ひとたび知覚されれば、自由の鳥はしばしその飛行のうちに休息し、そのときは個人として我々は選択しなければならない。我々はその鳥を過ぎ去らせるかも知れない。あるいは従う勇気を奮い起こすかも知れない。もし留まることを選択するならば、自由の鳥は舞い上がり、決してまい戻ることはない。もし従うことを選択するならば、戦士と呪術への不可解な道へ我々はとりかかることになる。

そしてそれでも、知の神秘的道に関する他の全てのことと同様、このトルテックのメタファーは混乱させる矛盾を持っている。戦士は全てのことにも関わらず、誰にとっても真実に戦士を「選択する」ことはできないということを知っている。それはちょうど、他のものから区別してある選択をするときに優越性を認めるのが馬鹿げたものであるのと同様である。

我々はみな力の手の内にある。そして我々の決定に対して誤っているとか正しいとかいう断言的な categorical 権利は存在しない。しかしながら我々は選択する可能性がある。however we may choose

見る者は、すべてが平等である、トナールの領域においてはなにも重要ではないことを理解している。我々一人一人は自らの運命 fate の複雑さによって、結びつけられている【原語:is bound 他に「方向づけられている」「決心している」など】。我々が自由の鳥とともに行こうとも、それとも留まることを選択しようとも、何ものも力の約束が永遠に不変 constant であり続ける事実を変えることはできない。


《 戦士であることを選ぶ 》
  戦士であることを選ぶ、ということは実は選択などではない。たとえ信じることの中に我々自身を欺き入れることは可能であるとしても、自由の鳥に従う決断を理解し、コントロールすることは可能である。

その選択は我々の意識的コントロールを越えた神秘のたんなる別の反映 reflection である。知の道へ我々を導くのは力である。そして我々のできる最大限のことはそのデザインに同意する acquiesce ということである。

見ることによって、戦士は決定が真実にはトナールの世界に属してはいない、ということを理解する。世界の記述は人間がするように信じることを人間に訓練する。しかし人間はその選択をそういう風にコントロールすることはできないのである。

決定 decision はナワールに属している。そこではコントロールと理性 reason の概念は意味を持たない。地上を歩く人間として、我々は選択し、それでも選択しない。これは戦士の知の道のもう一つ別の基本的な矛盾である。

トルテックの視点からすれば、知に接続する access ために「選択する」ことは単に不可能である。スピリットが前に踏み出すように決定するのを避けることもまた不可能である。力へと到達すること business はたんに操作しうるすること doingではない。

戦士はこれを理解し、了解不能のしないこと not-doingとして、知の道へ接近する。彼らの力の通りを機械的にコントロールする闘いをする代わりに、戦士はその旅のエッセンスを何もコントロールしないことによって命令する。

この意味で、選択する戦士の状態 warriorship は条件づけられたコントロールの行為というよりは、無条件の解放 unconditional release の行為である。知の抽象的順序はいかなる人間の把握も越えている。

そして戦士は敬意と究極の謙虚さをもってこの事実を受け入れることにより、自らを自由にする。力は存在する。力は運動する。これらが力の約束への途上にあって唯一確かに知っておくべきことがらである。
by sigma8jp | 2008-12-25 03:40 | 高次な身体と霊的フィールド | Comments(0)
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