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キリスト生誕の謎と

 イエス・キリストが実在していたことは、歴史的な事実である。これを疑うものはいないであろう。しかし、イエス誕生がいつであったか、ということになると、その年月日はいまだに確定されていない。イエスが生まれた時から西暦が始まり、クリスマスが誕生の日だから、イエスは西暦元年十二月二十五日に生まれたと思うのは誤りである。

聖書には「イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった・・・」(マタイ2・1)という記述がある。これをひとつの根拠にすれば、ヘロデの統治期間は紀元前三七年から前四年で、この前四年にヘロデは死んでいるから、イエスが生まれたのは紀元前四年以前でなければならない。

西暦元年との誤差を縮めたいとする無意識の願望に支えられてのことであろうか、イエスの誕生は西暦四年とする説もあるが、現在では、イエスの出生は紀元前六年というのがほぼ定説になっている。

イエス誕生の月日についても、同様に不明である。生誕を祝う儀式そのものは、二百年前後からしだいに行われるようになったといわれるが、はじめのころは、一月六日、三月二十一日(春分)、十二月二十五日のいずれかの日が選ばれていた。

当時ロ-マ人のあいだでは、農神サタ-ンを祭る農神祭が盛んに行われ、この祭りの期間中は、奴隷も自由に主人の供宴に加わり、年齢男女階級の区別もなく、大騒ぎをして楽しんだ。これが十二月十七日から一月一日までの間である。

このうち十二月二十五日は、冬至のあとで太陽がよみがえる一年の変わり目の日として、特に重要視された。そして三五四年以降、まずロ-マ教会がキリスト降誕祭を十二月二十五日と定めて行うようになったのがクリスマスのはじまりである。

このイエスの誕生日については、聖書にも触れられてはいない。ただ、ルカ福音書には、イエス誕生の夜、「この地方で羊飼いたちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた」(二・八)という記述がある。

この地方、ベツレヘムでは、家畜は三月に野に出し、十一月のはじめには連れ戻すのが普通であった。現在でも、十二月には野に羊は出ていない。このことからも、イエスの誕生の夜は、十一月以前ということになる。

イエスの生誕を六月頃と推定している記録もあるが、正確には今もわからない。十二月二十五日でないことだけは確かで、結局いまだに不明ではあるが、その誕生が歴史的事実であることは動かせない。

つぎに、イエスが十字架にかけられ、死んだことも、歴史的事実である。これについても疑うものはいないであろう。イエスは、ポンテオ・ピラトがロ-マ総督をしている時、つまり二十六年から三十六年の間に、エルサレムで間違いなく処刑された。その死体が埋葬されたのも、エルサレムである。

このイエスの受難と死については、詳しく聖書に述べられているので、その概略だけはかなり正確につかむことができる。ただしそれでも、イエスの死亡日時まで特定できるわけではない。
 もともとイエス自身は、何も書いたものを残さず、パウロの手紙を除いては、イエスの直弟子でその言葉や行動を記録しているものはいない。

ただ、それらは語られ、筆記され、語録とされてはいた。いわゆるQ資料とよばれるものである。さらにイエスの思い出を直接に筆記させたと思われるのがマルコ福音書で、これはペテロの口述をマルコが筆記したと思われる。そしてマタイとルカの福音書は、このマルコ福音書とQ資料、および独立の別資料に基づいて、それぞれの福音書を記していった。

聖書は、全体として二十七の文書から成り、四福音書、使徒行伝、パウロの手紙十三、その他の手紙または手紙形式の文書八、それにヨハネ黙示録に分けることができる。これが「旧約」に対する新約聖書である。

これらは紀元一世紀の中頃から二世紀の中頃の約百年に書かれ、場所はだいたい地中海東部の沿岸地帯、パウロの手紙はエ-ゲ海周辺とみられている。

これらの文書の著者は、しかし、歴史的にイエス伝を構成しようとしたのではなかった。イエスがキリストであることを論証し、かつ宣教するのが著作の目的であった。したがって、そこに描かれているイエスの姿は、史実的というよりは「宣教的」である。

これが豊富な聖書の記述がありながら、そこから、史実的イエスを再構成することを難しくしているのである。要するに、イエスの死亡の日時は聖書によっても不明で、誕生の日時と同様にいまだに確定されてはいない。ただ、ひとつの説として、アンニ・ジョ-ベル女史の「日程表」というのがある。

彼女は、独自の調査によって、イエスの死亡に至る数日間の時間的経過を割り出したとされている。正確度についてはなお多くの留保をつける必要はあるが、ここでは、その「日程表」にしたがって、イエスの死亡日時は、紀元三十年四月七日、金曜日、午後三時ごろ、と推定しておく。そのころにイエスはゴルゴタの丘で死んだ。そのゴルゴタに至る道を、イエスはどのように歩んだいたのであろうか
by sigma8jp | 2008-11-10 18:44 | 暗夜とキリストの受難 | Comments(0)
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