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No.7:キリストの死と復活まで

【 7 】
 ルカ福音書では、イエスが現れるのはエマオ途上とエルサレムに弟子たちが集まっていた時の二回であるが、これはマルコ福音書の追加部分(一六・九以下)の場合と同じである。エルサレムでは、復活したイエスは弟子たちの不信仰と心のかたくななことを責めた(マルコ一六・一四)。これについても、その記述は、ルカ福音書のほうがくわしい。エマオから帰ってきた「二人の弟子」が、復活したイエスのことを報告している場所に、そのイエスが姿を現わす。ここではイエスの霊体が単なる霊ではないことが強調されている。

  こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。そして「やすかれ」と言われた。彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。こう言って手と足とをお見せになった。

 彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスがここに何か食物があるか」と言われた。彼らが焼いた魚のひときれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた。それから彼らに対して言われた、「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉はこうであった。すなわち、モ-ゼの律法預言 書と詩編とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。

  そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そしてその名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらの事の証人である。

 見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい」。それから、イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れて行き、手をあげて彼らを祝福された。祝福しておられるうちに、彼らを離れて、天にあげられた(ルカ二四・三六-五一)

  ヨハネ福音書では、イエス復活の記述はもっとも多く四度におよんでいる。まず墓場でマグダラのマリヤに、エルサレムでは弟子たちの前に二度、さらにガリラヤでペテロらの前にという順序である。

 エルサレムでは、最初にイエスが現われた時、十二弟子のひとりで、デドモとよばれているトマスだけはその場にいなかった。そのトマスは復活したイエスが弟子たちの前に現われた話しを聞いてもそれをうけつけようとはせず、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」(ヨハネ二〇・二五)と言い切っていた。そのトマスがほかの弟子たちといる時に、イエスは再び姿を現わす。

  八日ののちイエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスが入ってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手をみなさい。

 手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信じる者は、さいわいである」。(二〇・二六-二九)

  このようなイエス復活の記述は、四福音書のほかに、使徒行伝とコリント前書にもある。それらの証言を列挙するまでもなく、イエスはやはり預言通りに復活したのである。すでに見てきたように、マグダラのマリアたちが訪ねてみると、イエスの墓はたしかに空になっていた。これは歴史的事実であるといってよいであろう。ただし、墓が空であったということが、イエス復活の確実な証拠であると言うことはできない。

 異論もあるし、ためにする中傷もある。マタイ福音書ではつぎのように、ユダヤ教の側では、イエスの弟子たちが遺体を盗み出して甦りという虚偽の宣伝をしている、と風聞を流したことも伝えているのである。

  女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、「弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ」と言え。

 万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。
そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人 の間にひろまっている。(二八・十一-一五)

  イエスの復活は、だから、あくまでも間接的な証言による事実ということになる。そして、間接的な証言による事実であるがゆえに、復活については、長い歴史の中で常に、否定と反論がつきまとってきた。復活は単なる神話であって、弟子たちの誤解から発した空想の産物にすぎない、とする極論もないわけではない。

 しかし、ここで問題になるのは、そのような否定や反論では、あの人間的に弱かったイエスの弟子たちが、イエスの死後、一転して強い信仰を持ち、熱烈な使徒になっていった事実の説明がつかないということである。しばしばイエスから信仰の不十分さを諌められていた彼らが、深く目覚めて一斉に立ち上がり、文字通り生命を賭して師の教えを広めていった「奇跡」についても説明がつかない。

  たとえば、周知のように、パウロはかって、熱烈なユダヤ教徒としてパリサイ派に属し、キリスト教徒迫害の先頭に立っていた。その彼がキリスト教徒を迫害するためにダマスコへ向う途中、復活したイエスの声を聞き、あくなき迫害者から使命感に燃えた宣教者へと百八十度の大転向をとげる。

 この「大転向」は歴史的事実である。そしてそれは、「復活したイエスの声」を聞くことがなければありえなかった。彼もまた、イエス復活の生き証人なのである。ここでは最後に、そのパウロが、イエスの復活に疑問を投げかけた信者たちに対してあたえた、「コリント人への第一の手紙」のことばに耳を傾けておきたい。

  さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者 が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。もし死人の復活がないならば、キリスト もよみがえらなかったであろう。もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教もむな しく、あなたがたの信仰もまたむなしい。

 すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとし たら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。

  もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。

 そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。(一五・一二-二〇)

  パウロがこうして、切々と訴えているように、イエスは間違いなく復活した。それはたしかに、間接的な証言による事実であるかもしれない。しかし、ここでまた繰り返すが、この復活によって、それがあったからこそ、あの弱かったイエスの弟子たちは、はじめて深い信仰に目覚め、捕らえられても、投獄され鞭打たれても、そしてやがて殉教の死を遂げても、決してイエスを信じることをやめようとはしなかったのである。

  イエスが処刑されたのが紀元三十年で、弟子たちはその時から命を賭けてイエスの教えを広めはじめ、原始キリスト教の母胎を築きあげていった。そして、そのあと紀元六十四年にはもう、あの歴史に残る皇帝ネロのキリスト教徒迫害が起こっている。

 イエスの死後わずか三十四年で、ガリラヤに発生したユダヤ教の一分派ともいうべきキリスト教が、遠く離れた帝国の首都ロ-マにまで進出し、皇帝ネロの弾圧の対象となる程までに影響力のある宗教団体になっていたのである。旅行にも通信にも制約があり、マスコミもない当時としては、これは驚くべき現象と言わなければならない。

 イエスの教えは、その後も、時代を越え国境を越え、人種・言語・文化の相違をも越えて、燎原の火のごとく世界に広がっていく。ほかならぬその歴史的事実こそ、イエス復活の最大の証しであるといえるのかもしれない。イエスは死に、そして、そのことによって、生きたのである。
by sigma8jp | 2008-11-10 19:34 | 暗夜とキリストの受難 | Comments(0)
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