ザクセン地方ドレスデンで画家としての活動を始めた C. D. フリードリッヒ(1774〜1840)は、プロテスタンティズム、神秘主義、ロマン主義の強い影響の下、19世紀初頭に於ける北方ドイツの厳しい風景を愛国的に描き、その困難な時代を政治的に生きた。しかし王政復古によるビーダーマイヤー的諦念風潮が広がる1830年以降作品の評価は急落し、死後ほとんど忘れられた存在となった。
フリードリッヒの本格的な再評価は1970年代にはじまる。72年にテートギャラリー(ロンドン)でドイツに先駆けて大回顧展が行われたのは、イギリスには同時代にコンスタブル(1776〜1837)やターナー(1775〜1851)といった「国民的」風景画家がいたからだろうか。日本でも78年には『フリードリッヒとその周辺』展が東京国立近代美術館で開催され、2005年の「日本におけるドイツ年」では、フリードリッヒの主要作品6点が相次いで公開、展示された。もっとも現在に至るまで日本ではフリードリッヒ単独の画集は発刊されていない。 海辺の月の出 フリードリヒ・アウグスト1世の治世下、ドレスデン絵画館ではヤーコプ・ファン・ロイスダール(1628頃〜1682)の作品を見ることができた。ロイスダールもモチーフとして「北方の風景」を好んで描き、確かに後のフリードリッヒに影響を与えたには違いないが、フリードリッヒの風景画に特徴的なのは、むしろ「崇高」という言葉につきる、ロイスダール、延いては17世紀オランダ絵画にはない「感覚」だろう。 カテドラル それはロイスダールの影響を受けながらも19世紀ドイツに特有な地理的、政治的、風土的な「条件」から発生したもので、幾ばくか死の匂いを漂わす。少し丁寧に言えば、カント、そしてエドマンド・バークが定義づける「崇高」という観念を「直感的」に感受し、その時代における感覚的な像(イメージ)としての「崇高」を画面に昇華させたもので、初期ドイツロマン主義文学が扱ったイメージと同様に、例えば「異国的」「未知なるのもの」「古代文化の礼賛」「神秘的」あるいは「苦悩」「不安」などという言葉に代表される、ヘーゲルが言えば「ロマン的」な観念となる。 断っておくと、美術に於いて「ドイツロマン派絵画」というカテゴリーや運動は存在しない。そもそもドイツロマン主義はその「ロマン的」という曖昧な感覚が、グーテンベルク以来の印刷術を介した文字メディアを通じて小さな文学サークルに結実したという程度のものだ。 人生の諸段階 しかしながらその「ロマン的」な感覚について、例えば、ザクセンの地方都市で同じようにロマン主義的革命思想を持ち、作曲家であり文字メディアも使って音楽批評をしたロベルト・シューマン(1810〜1848)と対比して考えたとき、ドイツロマン主義とは、おそらく互いの存在を意識することが無くとも、個々の場所で別々の表現形式をとっていても共有できる抽象的な観念なのだと言えよう。フリードリッヒは、ただ「ロマン的」な通奏低音を頼りに絵を描いていた(革命に向かう意志はすでにこのロマン的という言葉に内包されている)。 山上の十字架(テッチェン祭壇画) だからドイツロマン主義文学から端を発し、19世紀の後半にヨーロッパ各地に独自に形成されたロマン主義運動、例えばドラクロワ等フランスのロマン主義 やモローの象徴主義、もしくはイギリスのラファエル前派、ウィーン世紀末運動などから振り返っても、フリードリッヒの絵画に遡ることはできないのは明らかだが、逆に、このロマン的な「何か」が19世紀以降、広範な地域に伝播した事実には注視する必要がある。 氷の海 1935年ドレスデンで始まる『退廃芸術展』のような暗澹たる芸術政策が敷かれる20世紀の一時期に於いて、フリードリッヒの作品がナチスドイツの国家的なシンボルとしては機能したと思えないが、例えば39年『美の國』という美術誌に、ドイツへの留学経験がある東山魁夷の『独逸浪漫派の二巨匠』というフリードリッヒとオットー・ルンゲについての寄稿(内容的には簡単な紹介程度のもの)もあり、ナチスによるフリードリッヒの評価はこんな極東の地にまで波及する。 雲海の上の旅人 フリードリッヒの絵画に於けるロマン主義的イメージが、その本人の意図とは全く違う形で、例えばナチスドイツに引用されるようなことが何故起こるのか。例えば ニーチェの「力への意志」のようなこの時代を背景として生み出された概念が、国家社会主義へ奉仕する妹のエリーザベトを通じて、その著作の意味するところとは全く違った次元でナチスに取り入れられたこと。またはユダヤ人でドイツロマン主義についての論考もあるヴァルター・ベンヤミン(1892〜1940)が、ロマン主義が孕む崇高概念から派生した政治思想に押しつぶされる形で自殺すること。ロマン主義的イメージとナショナリズムの虚像性との関係とは。 人生の諸段階 冬 新古典主義の観念では、美は「美しいと認識される客体の性質」と見なされており、美はそこに存在するものであった。それに対し18世紀には新たな美の観念として、例えば「趣味」や「感情」など客体の特徴と無関係な、主体(画家も鑑賞者も)の性質や能力と関係する観念が生まれる。「崇高」は後者に属するが、特に自然の鑑賞者側の体験としての漠然とした「恐怖」もしくは「不安」と結びつく。 つまりフリードリッヒの絵画が持つ「崇高」は、主体(鑑賞者)の側が内面に作り出すイメージで、「作品」は鑑賞者の内面に対して開かれた「入口」となる。本来は、作者フリードリッヒの体験と、鑑賞者が「作品」を通して受けた体験が共有できる場合にのみ「作品」が機能するはずなのだが、逆に考えると、たとえ故意にではなくとも同時代性に切れ目が生じた場合、「作品そのもの」とその「入口」が容易に切り離されてしまう。 エルベ河の夕暮れ(ドレスデンの大猟場) そして、それがドイツロマン主義における芸術作品の構造なのではなかろうか。結局「ロマン主義的イメージ」は「入口」と外壁のみで構成された空虚な空間で、鑑賞者はその隙間の中に別の理念を繰り広げることすら可能なのだ。さらに「ロマン主義」という外壁がある分、それが客観性や普遍性を持つような錯覚を与えるともいえる。カール・シュミットなら「空虚な容器」と呼ぶものだろうか。 バルト海の十字架 このことをジャン=リュック・ナンシーならば、「不安」という入口と「共同体」という外壁を「我々」という理念が満たすとき、ナショナリズム、全体主義へと移行すると言うかもしれない。しかしながら、人々(つまり複数の「我々」)にナショナリスティックな感情を起こさせる、「個」のメカニズムについては意外に単純な仕掛けだというような気がしている。「ロマン主義的観念」が個々に働きかけ、「社会的なイメージ」を形成する過程、21世紀の私たちのかかえる「不安」とヘーゲル以来の「ロマン主義的イメージ」による近代の呪縛、そして「絵画作品」というメディアのもつメカニズムについてなどが私には気にかかる。 雪の中の巨人塚(ドルメン) アグリジェントのユーノー神殿
by sigma8jp
| 2008-11-19 00:08
| 終末のロマン派芸術
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本ブログは、管理人が、神秘学の世界観をインデックスとして、まとめてみたいという趣旨で掲載したものです。 本編の宇宙のプログラムに触れる前に、まず全体の骨子を理解するため、過去の偉人が残した様々な哲学や神秘思想を学びます。宇宙のプログラムを効率よく理解するためには最適なテキストとなるからです。その意味から、本ブログで紹介している多くのカテゴリは、本編の宇宙のプログラムを実践するに当たっての材料であり、そのための紹介文となっております。 又、ここに掲載されている内容は、主に(ネット・本・辞書)から引用し、編集したものです。 最新のコメント
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