オンディーヌはなぜメリザンドなのか・『水の音楽』(4)

 水に関わる青柳いづみこの音楽論――もう少し続きます。青柳によると、『夜のガスパール』には日ごろ愛聴している次のピアニストの名演があるそうです。

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   1.マルタ・アルゲリッチ
   2.イーヴォ・ボゴレリッチ
   3.アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
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 私はこのうちミケランジェリ以外はCDを持っており、聴いています。そして、青柳いづみこの弾いている『夜のガスパール』のオンディーヌも、もちろん聴いています。アルゲリッチは感情のこもった情熱的なピアノを弾く人です。しかし、ラヴェルはきわめてクールであり、ちょっと考えると合わないのではないかと思ってしまいますが、これが大変な名演なのです。青柳は次のようにいっています。少し専門用語がまじりますが、イメージはわかると思います。

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  アルゲリッチは、ときおり拍がずれたり、トレモロの音が抜けたりするところがあるが、左手のベルカント奏法がすばらしく、ときおりみせるアルペジオのゆらぎが何ともいえない。しなだれかかるようなルバート、かと思うと無慈悲に鋭くはねてみせるグリッサンドの尻尾。全体をつつむ煽情的・蠱惑的なひびきは、あたかも彼女自身がオンディーヌであるかのようだった。― 青柳いづみこ著、『水と音楽』、みすず書房刊
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 確かにアルゲリッチの演奏は、女性ならではというところがあります。本当にアルゲリッチがオンディーヌであるかのような感じがするのです。青柳が留学したときに国立音楽院の教授に「もっと濃艶に歌って弾くように」といわれましたが、その「濃艶に歌う」演奏がアルゲリッチに見られるのです。これと対照的なのは、イーヴォ・ボゴレリッチの演奏です。ポコレリッチの演奏についての青柳の評価は次の通りです。

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  ボゴレリッチの演奏は、アルゲリッチに比べると、ずっと閉鎖的で耽美的な印象がある。かなり遅いテンポ。ミケランジェリに劣らず、完璧な指の分離を誇る彼のトレモロはひとつひとつの音の粒がしっとりと露をふくみ、果肉の奥に核がすけてみえる葡萄の実のようだ。水そのものが言葉をもち、ささやきかける。メロディもよくのびる音でたっぷりと歌われるが、それは聴き手に呼びかける歌ではない。彼の内部で完結している歌だ。   
― 青柳いづみこ著、『水と音楽』、みすず書房刊
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  アルゲリッチのように弾くには、できるだけ指先をのばして天井を高く取り、手のひらの内側だけを緊張させた手を鍵盤の半分まで沈め、力を完全に抜いて、ひじと手首を微妙にふるわせ、鍵盤が反発しようとする力を利用しながら、その動きにさからわずに弾かなければならない。しかし、青柳は手が硬く、とうていできない芸当であるというのです。そこで、青柳はボゴレリッチ・スタイルをアレンジしようとしたと述懐しています。

それに、青柳が指導を受けた国立音楽院の教授は、アルゲリッチ・スタイルのピアニズムで、トレモロの霧の上にくっきりと、計算して甘く歌い上げるロマンチックな演奏をするのです。しかし、青柳はこの曲の解釈として、あまりロマンチックなアプローチは、水に合わないと感じたのです。そのため「もっと濃艶に歌って弾くように」という先生の指示に反発したのです。
つまり、反発の理由は、水というものの解釈の違いにあるのです。青柳は次のようにいっています。

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  水は本来抽象的なものである。水はどんな形でもとることができるが、そのどれでもない。それは、ピアノの音についてもいえる。ピアノは、イマジネーション次第でオーケストラのいかなる楽器にも擬せられるが、実は何でもない。
水はピアノに似ているのである。その証拠に、水をテーマとした歌曲の水の描写の部分は、いつも伴奏のピアノが受け持つではないか。
― 青柳いづみこ著、『水と音楽』、みすず書房刊
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  青柳が弾きたかったのは、水そのものだったのです。水は鏡のように静かなときもあるが、突然何メートルもある渦を巻き、人に襲いかかる。また、心地よいさざ波のときもあれば、どんよりとしたよどみ水になったりしてさまざまに形を変える。しかし、水の本質そのものは変わらないのです。ただひたすらに水であり続けるのです。

そして、青柳は、ラヴェルの音楽には、そういう水の何気ない恐ろしさというようなものが潜んでおり、それを表現する必要があるといっているのです。国立音楽院の教授に対する「オンディーヌはメリザンドである」という反論の根拠は、こういうものではなかったのかと考えられるのです。
青柳いづみこの弾く『夜のガスパール』の「オンディーヌ」はボゴレリッチのようにやや遅いテンポをとり、けだるくまとわりつく女性を象徴するような演奏になっています。

それが水そのものを表現できているのかどうかはわかりませんが、明らかに、単に美しいだけで終わってしまう演奏家の解釈とは一線を画す、青柳いずみこ独特のオンディーヌ論を展開しているようです。

なお、アルゲリッチとボゴレリッチには、面白い話があるのです。アルゲリッチは、1980年にショパン国際コンクールの審査員をしていたのですが、ボゴレリッチがコンクールに落選したとき、これに抗議して審査員をやめています。それほど、アルゲリッチはボゴレリッチを高く評価していたのです。演奏スタイルはまったく違うのですが、「天才は天才を知る」でボゴレリッチの才能を強く感じていたのだと思います。
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by sigma8jp | 2008-11-23 02:29 | 水の精が戯れる「水の音楽」 | Comments(0)
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