この本の表紙には「メルクリウスの霊とその変形」なるものが描かれています。
「奇怪な竜の形で描かれたメルクリウスの霊とその変形。四部分からなり、第四のものが他の三者を統一するが、この統一を象徴するのが秘儀者ヘルメスである。図の上方の三者は(左から右へ)、「月」「太陽」「金牛宮=ウェヌスの館における太陽と月の合一」である。それらが合体してメルクリウスとなる」と書かれています。 この姿を見て、「月=影」「太陽=光」「光と影の統一」というのが容易に見て取れるでしょう。そして、この対立するものの統一こそが、ユング心理学におけるひとつの奥義であるとも言えます。 更に注目すべきは、この三者を統一する第四者なる存在があることです。この秘儀者ヘルメスなる存在がなにを意味するかは、本を読み進めていくうちに明らかになるのではないでしょうか。 尚、この絵を見て不気味さを感じる人は少なくないと思いますが、先に私が【ユング心理学への考察】で述べた「宇宙の進化論」を適用するならば、生命は死に際して、その生前に得た財産とともに、魂の中心、宇宙の中心に、帰り、そこで宇宙の歴史ともいえる集合的無意識との融合を果たすわけで、そういった意味では、このような形も理解できるのではないでしょうか。(様々なエッセンスが融合されるという風な意味で・・・) 更に先ほど注目した第四の存在も、そのものが群を抜いた超絶なる叡智を持つならば、その影響力に注目するという点では、統一する存在といえるのではないでしょうか。(すべてが融合しているのに、なぜ個なる存在があるのかと言われるかもしれませんが、私の考えでは、融合した後も個としての意味は残り、すべてが個であると同時に全体であるという、そんな状態になると思うのです)(そのために「前世」とか「縁」とかいう解釈や定義があるのかもしれません) パラケルススは病気の本質についての知識は「自然の光」に由来する、と言っています。 また、このように述べています。「だから雄鶏が天候を予告したり、孔雀が飼い主の死とかそれに類する事柄を予示するように、鳥が何かを予兆するのはこうした生得の霊的働きによることとも、また認識されなければならない。これらすべては生得の霊によるもので、自然の光なのである。 この「自然の光」とは、集合的無意識、あるいはその中心たる魂のことではないでしょうか。 ここで鳥であらわされた下等生物は、人間に比べると理性がなく、より本能に近い、ということは、集合的無意識に近いところにある、といえます。 つまり、天候予測や死の予告は、これら集合的無意識から得られたものであると推察します。したがって、すべての生命はこの作業が可能であるともいえます。しかしその反面、自我が強いとその作業はできないのですから、その能力を得られるものは同時に、その能力を建設的に使えない、とも言えます。 (つまり無意識の深層にある集合的無意識の能力を使うわけですから、当然自我の能力は低下するわけで、当然、認識・判断する能力が低下するわけです)ある種の宗教では、自我を殺すことにより真理を得ます。この作業は上記の集合的無意識へのアプローチと同じです。 自我と自己、意識と無意識、この対立は、合理性と神秘力の対立ともいえます。合理性にのみ囚われれば神秘の持つ可能性が消え、神秘にのみ囚われれば合理的判断ができません。ここでまたバランスが問題になります。(無意識的な(あるいは神秘的な)要素を無視すれば人間的魅力に欠けて、味も素っ気もないことになりますし、無意識や神秘的なものに囚われすぎれば、現実世界の生活を困難にする事になります) ある種のクライアントは無意識界に埋没するあまり、合理的判断ができません。しかしこの裏には、隠された可能性があるのではないでしょうか。あるいは魂からのメッセージということもできます。そういった意味でも、内なる魂に耳を傾けるのもいいのかもしれません。ただ、先ほども申しましたように、無意識界に埋没すると冷静な判断ができません。個人個人のバランスを見極めるのが大事です。 無意識界に生きる人は、例えそれが現実でないにしろ、それを経験していることは紛れもない事実です。それを考慮したうえで、無意識界に生きる人の言い分が、現実社会において真実であるか、も見極めなければなりません。そう、無意識界に生きる人の言い分をその人の内的事実として受け入れられる態度と、それを一般的に事実なのか客観的に判断できる態度、その両面が必要とされるのではないでしょうか。 キリスト教的な光は父性を帯びた光であると思います。この光は、与える光でありであり、導く光です。しかし、その光の力が強すぎるとき、相手を焼き殺す光でもあります。一方、東洋的な光は母性の光でしょう。内なる無意識から湧き上がる光です。これは無償の愛を前提に、やさしく包み込む光です。しかし、その力が強すぎるとき、相手を深遠に呑み込む光でもあります。パラケルススのいう「自然の光」は、後者であると推察できます。 これは人類の、宇宙の、智恵の財産です。また、ユング心理学でいう集合的無意識のことでしょう。そして私の考える魂そのものであると考えます。(私の言う「魂」は、無意識の深遠にある集合的無意識にあるもので、宇宙の万物の知識・経験の濃縮されたものでありながら、個というものにも非常に関連のある存在であると考えます) キリスト教がここまで勢力を伸ばしたにも意味があると考えられます。キリスト教は父性を示し、自我の強化を要求します。ということは、時代が自我の強化を必要としたとも考えられます。(本当は様々な意味があるでしょうが、あえてここでは触れません。社会規範の確立とか、ね) (社会規範の確立に父性要素、厳格な戒律が必要であったとするならば、逆に言えば、それだけ野蛮だったともいえます。 但し、母性要素に根ざした東洋が野蛮でなかったかというと、そうでもありません。ただ、厳密な戒律よりは、集団の雰囲気のようなものが代わりをしていたのかもしれません。文書化されない規則や戒律です。また、これを破った時の仕打ちも、酷いものだったようです)(このような考えからも、西洋は個を重んじ、東洋が集団や場を重んじていた事が伺えます。・・・まあ、現代社会においては怪しいですが・・・日本は混迷期なのかもしれません) しかし一面的な強化が破綻するのもまた事実です。キリスト教ではそれを防ぐために、聖母信仰が現れました。聖書を見るに、聖母に対する信仰は見られないように思います。むしろ、聖書内のキリストの言葉をみると、その逆の要素さえ伺えるのです。現代に生きる私としては、自我の強化を行いつつ、無意識との会話、集合的無意識にある財産の活用というアプローチをしたいと考えます。 (聖母の愛は「高貴で深い無償の愛」です。未熟な母性とは切り離して考える必要があります。未熟な母性は、時に「条件付の愛」を示します。「あなたの好きにしていいのよ」と言いながら、見えない言葉で理想像を強要することもしばしばです。また、愛や平和の大安売りのような未熟で判断力に欠ける行為とも、区別する必要があるでしょう) 「人間の自我の光は頭に宿り、無意識の光は胸に宿る」 アリストテレスの論説:「汝のうちなる光が闇にならぬように気をつけるべし」 私は人の心は闇という基盤があると考えます。 闇というとマイナスなイメージを想像されると思いますが、そうではなくて、ここでは「無意識の側面」という意です。 闇⇒深遠なる暗闇⇒無意識、ということです。 (あるいは宇宙を想像されると分かりやすいかもしれません。星々は闇のような宇宙に存在します)無意識には本能的な側面が色濃く現れます。食欲、性欲、征服欲、・・・・などなど。 そしてそれらに自我が支配されたとき、人は規範を失い、闇の淵に落ちることとなるようです。 それをさせないのが、自我の光、父性の光でしょう。しかし、その一面のみの光では不完全であり、完全体になるには、内なる光、母性の光、つまり、無意識の中心なる魂にある光と手をつなぐ必要があるようです。 私にとっての科学の結婚は、自我の光と、無意識の光、これらの結合であると考えます。そして、その背景に無意識たる闇があるのです。 自我の光は、智恵、知識、行動などであらわされます。では、無意識の光は? それは個人を超越した人類財産とも言える(あるいは宇宙財産とも言える)智恵、知識、経験のことでしょう。 別の見方をすれば、自我の光は裁き、無意識の光は赦し、とも言えます。 更に別の見方をすると、西洋は前者を神とし、東洋は後者を神とする傾向にあります。 錬金術の中では、光は度々「子」として人格化されます。男と女が互いを知り、聖なる光、新たなる可能性たる「子」を生み出すのです。これは錬金術の奥義でもあり、ユング心理学の補償作用、対立するものの統合、とも言えます。 自我の光は炎でもあらわせることもあります。炎は周りを照らしますが、強すぎると、周りを焼いてしまいます。無意識の光は水であらわせるでしょう。水は生命の源で、安らぎを与えますが、それが深いと相手を呑み込み殺してしまう側面も有します。炎を消すことなく水に浸る、これが大事なのではないでしょうか。 イリアステル:存在一般の根本。宇宙の根。 火の精アレス:決める力、判断力、父性。個別化、細分化。種の方向性。 イリアステルの中でアレスにより個性化の方向性を決めると、人になったり、狼になったりします。 アレスはイリアステルの要素を集中させ人を形づくる。混沌の中から必要要素を集め凝固させる。これが肉体であり、自我の意識である。アレスを弱めるとき、人は拡散し、無意識と接触する。すべての個が拡散する。つながりながら拡散する。その身を、その意識を、粒子状に拡散させつつ、尚それを保つ。これこそが自我を持ち、無意識の財産を得る奥義でしょうか・・・。 錬金術的思考による人間の成り立ちを考えてみます。 イリアステルは宇宙の始まりにして混沌であり、ユング心理学でいう集合的無意識である。また、イメージとしては炉であるといえる。(全体としての魂) 次に、アクアステルは原因にしてきっかけ、私のいう魂(個としての魂)である。 またイメージでは何かを形作る上での核である。アレスは火の精にして父性の光、物事を分析・認識する力、意思、自我を形作る力である。イメージでは核の肉付け。メルジーネは水の精にして母性の光、個人的無意識である。この個人的無意識が定着してこそ、個人が集合的無意識につながる。 つまり宇宙の混沌たるイリアステルに、魂ともいえるアクアステルなる核が投げ込まれ、アレスによりそれが肉付けされて肉体と自我を得、メルジーネなる個人的無意識の定着によって個なる人間は宇宙そのものといえる集合的無意識とつながるのである。これが世界の、宇宙の、ネットワークである。 現代においては、科学が先代の聖書的な役割を果たします。先代は聖書を基盤とし、真理を得ました。人間存在においても然りでしょう。現代においては科学を基盤とし、真理を得ようします。人間存在の切り口も当然科学になります。 私は神秘的なものを背景に、合理的な学問的切り口でものを考えます。神秘と科学の結婚です。聖なるものと、実際的なものの結合とも言えます。心の内にあるものと、手にできるものとの結合でもあります。これこそ我が奥義かもしれません。 心理療法としてのアプローチ。 無意識の深遠に沈み、自分が認識できない人は、自我の光を鍛えればよいように思います。そうすれば、拡散していた自我や肉体的感覚は復活し、現世において人として生きることが可能となるでしょう。逆に、強すぎる自我のために身が締め付けられ苦しい人は、自我の光を緩めればよい、そうすれば一息つけるでしょう。その技法はそれぞれの心理療法が持っていると思います。すでに実際に活用しているはずです。 しかしながら、その技法に縛られず、可能性に対しては常に開かれた態度を持つべきです。個はすべて違います。似通った傾向を持とうとも、まったく同じではありえないのです。したがって実際の治療においては個を尊重し、一方学問的にはその傾向の把握と、治療には害悪になる一般論的見地が必要となるのです。 宗教においては神の存在が人間の救済につながります。中世においてはこの傾向が強かったようです。では、現代においてはどうか?神なる存在が人間に与える影響は大です。しかし、それだけでは納得できない部分も出てきました。そこで、そこに科学的なアプローチも加わりました。しかし、それでも釈然としない。では、どうするか? 私は自身で考えるしかないと思います。神とは? 人間とは? 自分とは? 確かに何らかの答えを与えてくれるものは存在します(本とか人の言葉とか・・)。それに共感もするでしょう。しかし、それは借り物でしかない、とも言えます。それらの考えを自身に定着させるには、それなりの思考と経験が必要とされるのです。人は各個人の神話を持たなければならないようです。個人に根ざした真理を持たなければならないのです。 (人が何かに対し理解を深めようと思えば、その問題をかなり咀嚼したり、経験する事が必要なように思います。本に書いてある事柄を理解しようとしても、その問題が深ければ、何度も頭の中で咀嚼し、自身の血肉にする必要があるでしょう。言葉を借りるだけでは、心に根付きません。理解も深まりません) それを可能にするのが心理学です。(この場合、心理療法か・・・) カウンセラーはクライエントに答えを与えません。答えを出すのはクライエント自身です。カウンセラーは自己の経験と技術、人間性や責任を背景に、クライエントと共に歩みます。手は繋ぐかもしれませんが、導きはしないのです。 クライエントがこけても、立ち上がるのを無償の愛を持って待つ。崖から落ちそうになれば、それは全力を持って阻止する。やがてクライエントがひとり立ちし、手をはなし旅立つのを待つ。それによってカウンセラー自身も成長する。互いの人間性に賭け、互いがより高みに達するのです。
by sigma8jp
| 2008-12-01 02:25
| ユングの「精神の錬金術」
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