シュタイナー音楽の本質

  ルドルフ・シュタイナーの「血はまったく特製のジュースだ」(高橋巌訳・イザラ書房)に所収の「音楽的なものの本質」をご紹介します。 シュタイナーの芸術をテーマにした業績のなかで、舞踏、絵画、彫刻、建築などにくらべて、理論面でも実際の活動でも音楽に関するものは決して多くはありませんが、音楽を軽視しているわけではないと思われます。

シュタイナーの芸術観は、リヒャルト・ワーグナーのような総合芸術を指向しているようで、音楽を芸術に固有の空間内で他の芸術と結び付けようとすることに意味があるようにとらえていたのではないでしょうか。

本論からの引用です。
音楽に耳を傾けるとき、われわれは自分の霊界の故郷をこの世の現実の中に映し出しているのです。霊的内容のその幻影の中で、魂はこの上ない高揚感を覚え、人間の存在そのものに限りなく近づいていきます。

だからこそ音楽はどんな素朴な魂の中にも限りなく深く働きかけてくるのです。どんな素朴な魂も音楽の中に、デヴァカン界で体験したことの余韻を感取します。そして本来の故郷にいる自分を感じます。そのような折りには常に人は、『そうだ、お前は別の世界からこの世に来たのだ』と感じます。

実際、事物の内奥の部分に生き、働いているものの余韻こそ人間が音楽の中で感じとるところのものなのです。そしてその働きは正に人間の内的ないとなみに親和しているのです。魂のもっとも内る、そして霊界と親和した要素は感情です。

そしてそのような感情を担った魂は、音の中でこそ一番自分らしい働きをします。音の世界に生きる魂にとっては、自分の内なる感情を生かすために、感情を仲介する肉体の存在などもはや必要ではありません。

音楽の原像は霊的なものの中に、一方その他の諸芸術の原像は物質界にあります。人間が音楽を聴くとき、浄福感をもつのは、その音が人間の霊的故郷の中で体験した事柄と一致しているからなのです。

本論の中ではいろいろ論じられていますが、概略については以上の内容です。これに加えて、「訳者付記」の中で高橋巌さんが、シュタイナーの「音楽と人類の意識の進化との関係」について紹介しているところがありますので、引用しておくことにします。この箇所は読み方によれば、グルジェフとの関連性を指摘できるように思えますので、なかなかに興味深いところです。

人間の意識にとって、3度の音程が特別切実に響くように、太古の人間は7度を体験する度に、脱魂状態に襲われた。そしてギリシャ=ローマ時代から中世にかけての人間にとって、5度の響きはまるで天使がわれわれの心の内部で歌っているようであった。

3度は近代人の主観的な喜び、悲しみのもっとも適切な表現を可能にしたが、しかしその近代人も1度から7度までの質的変化は理解できるが、8度はまだ1度と共通の質的体験としてしか感じとることができない。やがて音楽鑑賞の中で、オクターブのインターバルを体験する毎に、『私は今、自分の霊我と出会った』という感情が呼び起こされるであろう。

そしてそれは巨大な音楽体験になるであろう、というのである。シュタイナーは更に、この未来の音楽体験はわれわれのエーテル体(生命体)が肉体からの拘束を脱して、もっと柔軟になったときに現れてくる、とも述べている。

19世紀以来、文化の特質が男性的、理性的な方向に傾く中で、われわれの意識に一種の硬化現象が生じている。固定され、こうちょく化された意識は、自己救済をエーテル体の復活に求めている。そしてこの復活を可能にしてくれる最上の芸術手段もまたふたたび音楽なのである。

クレーの作品の音楽性についての評論もありますが、芸術行為というのは、神秘学的にみると興味深いところがたくさんあります。 シュタイナーにとっては、教育も芸術行為としてとらえられていますので、単に、社会論や記号論などで解釈されるような芸術作品のような既成の芸術論ではとらえられるはずもないことが理解されると思います。

まさに、霊・魂・体という3分節によってとらえられる神秘学的な芸術行為理解は私たちの生きる行為そのものと不断に、そして密接にかかわり合っているからこそ奥深く、意味深いものなのではないでしょうか。
[PR]
by sigma8jp | 2008-12-08 00:02 | 「天球の音楽」と聖なる七音 | Comments(0)
<< シュタイナーの音楽論 Ⅰ 神秘思想家G・グルジェフ >>